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小説 人蟲・新説四谷怪談〜五十九


「…ひとつ気になることがあるんだが…。」


勝が玲子に向かって言った。


「何?」


玲子が勝に尋ねる。


「伊一郎が袖美を刺した時、袖美は伊一郎に何か言ったよな。そのあと、その言葉に対して伊一郎が「ごめん」って言ったような気がしたんだが…。中津川は聴こえてたか?」


「聴こえてたわ。」


玲子は頷いた。


「最初に袖美が伊一郎に言ったのは「ありがとう」。それに対して伊一郎が言った言葉が「ごめん」…だったわ。」




「ありがとうに対してごめん…。」


勝は、その言葉をゆっくり復唱した。




「秋山袖美は、伊一郎くんに刺された瞬間に我に返ったのではないでしょうか。それでこれ以上、自分に罪を犯させないように自分を刺した伊一郎くんに感謝の言葉を口にし、一方、伊一郎くんははからずも愛する人を刺してしまった悔恨の念から謝罪の言葉を…。」


古川が意見を述べた。


古川の意見は、状況と言葉の流れをみると、至極尤もな意見であった。






しかし。





現場にいた玲子と勝にとってはその意見は、どうにも違和感を感じるのである。






何かが。





何かがおかしい。






「この二ヶ月間、私はずっとあの地下室でのことを考えてたの…。考えれば考えるほど、あのときの秋山袖美と民谷伊一郎に違和感を感じるの。」



「聞かせてもらおう。」


勝が身を乗り出した。


「今日は、それを聞きにきたのさ。俺もあの一件、どうしてもしっくりこねぇんだ。」


「私も聞きたいですね。」


古川も同調した。


もとより、玲子も自分の考えを二人を呼んだわけなので否が応もなかった。



「できすぎてるのよ。」


玲子は言った。


「あの地下室での秋山袖美と伊一郎は、すべてが出来すぎてた。まるで最初から台本があって練習したみたいに。伊一郎の反応も、袖美の告白も。あまりにできすぎてるの。」




「できすぎている…。」




「アタシ達があの地下室にあのタイミングで現れたのは、袖美も伊一郎も予想外だったとは思うの。だけど、いずれにせよ、忠彦をあの地下室に呼び込む計画だったとは思うの。」



「なるほど…。」



「まずアタシが感じた違和感は、伊一郎の反応なの。」



「伊一郎の反応?」


勝は首を傾げ、目を閉じた。



あの地下室での記憶を呼びおこした。



「あの地下室の対決のとき、忠彦さんが伊一郎の父親のこと、母親と又一の関係、さえとやえとの伊一郎、忠彦の関係など、伊一郎が知りえないと思われることを話したわね。」


「奴さん、えらく取り乱してたな。」


勝は、忠彦がさえとやえと、伊一郎が異父兄妹であると告白したときの、伊一郎の反応を思い出していた。



「…そこなのよ…。今にして思えばどうも芝居がかってたように思えるの…。」



「伊一郎くんは知っていたということですか?」


古川が呟くように言った。



玲子は紅茶に口をつけ、少し思考を巡らせている。



「それが自然なのよ…。」


玲子はカップを机に置いた。


「あの地下室の結末がああいう凄惨なことになったことで、アタシ達は自然にそれまでの状況を整理することができなくなってるのじゃないかしら。」



「自然に…。自然に考えるとどうなる?」



「秋山袖美と伊一郎は深く愛し合っていた…だとすると袖美は伊一郎に、さえから聞いたことを全て話したんじゃないかしら。そう考えるのが自然だと思うの。」



「それを聞いた伊一郎は…。」



「…おそらく激しい怒りを抱いたでしょうね…。伊藤又一に対して…。」




玲子は、そこで再び思考を整理する。






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