番外編「スティーブジョブズのはなしかた後編」
スティーブジョブズのプレゼンはアドリブに見える部分も実際には非常に綿密に練り込まれた「シナリオ」であるということは有名です。
この事実はいくつかのスティーブジョブズのプレゼン本にも出てきます。
スティーブジョブズは異常と思われるくらい、プレゼン(カンファレンス)のリハーサルを行ったと言われています。
照明のタイミングやスライドの出るタイミングや椅子や机のような舞台装置に至るまで徹底的にこだわり、納得いくまで何度でもやり直したそうです。
つまり完璧に「つくりこむ」、「不確定な要素」は残さない。
それがスティーブジョブズのプレゼンの極意なのではないかと。
その完璧への追求のあまり。
ワタシが「下手」だと感じたのは、シナリオを「アドリブのように演じる」声や間が完璧を求めるがゆえに「シナリオ」を感じさせてしまうからだということに気づきました。
もっとも。
それは、ワタシのように「お笑い」や「演出」を職業としている人間は、内容よりパフォーマンスにどうしても偏って目がいってしまうからであって、一般の人には、ほとんど気づかないくらいの問題だと思います。
いや。
それより。
綿密に組み上げられたシナリオを完璧に頭と身体に叩き込んでいるスティーブジョブズのプレゼンは、実に「安定感」があり、聴衆が「安心」して楽しめるという絶大な威力があるといえるのではないでしょうか。
「表現者」として自信のあるひと(才能あるなしに関わらず)は、どうしても自分の力を過信して準備を怠る傾向があります。(ワタシなんかもそのクチだと思います。反省しなければ。。)
その結果、めちゃくちゃ素晴らしい時もあれば、めちゃくちゃダメなときもあるというような、実にアップダウンの激しいパフォーマンスになってしまうのです。
これは即ち「再現性」の不確実さであり、もちろんいいことではありません。
「芸術」であれば許される部分もありますが、「仕事」においては「再現性」が低いというものは評価に値しません。
ワタシがスティーブジョブズに感じることは、常に「自分はプレゼンが下手である」ということをベースにプレゼンに取り組んでいたのではなかったかということです。
そしてそのことは「プレゼンの天才」と賞賛を集めてからも一切変化がなかったのではないかということです。
簡単なようですが、なかなか難しいことです。
それはiPhoneや Macを生み出したように、常に「完璧」で「革新的」な製品を追求するスティーブジョブズだからできたことかもしれません。
スティーブジョブズにとって「プレゼン」も「製品」と同じだったということではないでしょうか。
しかしながら、「つくこむ」それを「完璧に演じる」ということは、ある程度のレベルまでなら「練習」で誰にでもできます。
スティーブジョブズのように大掛かりなプレゼンでなければ、われわれにもそれを真似することではできるはずです。
ワタシはこの「つくりこむ」「演じる」をあるトレーニングにしてみました。
次のテーマでそれについて触れてみたいと思います。
あ。
それと。
もうひとつ。
スティーブジョブズには「表現者」としての「資質」の中である「ひとつ」のことだけが「天性」のものがあります。それは孫正義さんにも共通する「特異」なものです。
このことだけが「常識」から外れているのに効果が絶大という「武器」です。
ちなみにジャパネットたかたの高田社長や、小泉純一郎元首相にも共通していることです。
さて。
それはなんでしょうか?
そのことはまた別のテーマにておはなししたいと思います。