安成残滓_1250_630

魔界綺談 安成残滓〜九十五

隆豊を見上げていたのは、骸骨であった。


長い黒髪をたなびかせて、小さな頭蓋骨が隆豊を見上げている。真っ黒い眼窩がこの頭蓋の古さを表していた。

そして、

鮮やかな着物の袖口からは、バラバラになった骨が散らばっている。

その骨はか細く、女のものであることがわかるが、同時に肉片ひとつ付着していない綺麗な骨であった。そこからもこの骸が年月を経たものであることがわかる。

「どういうことだ。。」

隆豊は絞り出すように声をあげた。

あやめはいつの間にか、骸骨を身代わりに逃げたとでもいうのか。

「この女はずいぶん前に死んだようだね。ボクも気づかなかったよ。」

背後で声がした。

弾けるように隆豊は刀を振った。まさに瞬足の速さである。声の主が何者かを考えるよりも先に斬る。隆豊の武将としての反射神経のようなものであった。

ぶん。

声をかけた者は、その凄まじい斬撃の前に血煙をあげて倒れるはずであった。

しかし。

倒れるはずの者は振り返った隆豊の前にはいなかった。斬撃の手応えもない。

代わりに

かつて感じたことのある恐怖が隆豊を襲った。

忌まわしい過去。

そう。あの夏と同じ感覚…

「久しぶりだね。冷泉さん。」

やはり聞き覚えのある粘り気のある声だった。若いが底知れぬ傲慢さと狂気を孕んだ声。その声は上から降ってきた。

隆豊は頭上を見上げた。

蝙蝠。

まさに蝙蝠のように。

その者は薄暗い天井にへばりついていた。

「貴様は…。」

すとん。

その者は音もなく隆豊の前に降り立った。

整った顔立ち。
抜けるように白い肌に紅い唇。
そしてやや茶色がかった短い髪に白い筒状の服。
小柄だが俊敏そうな引き締まった肉体。

あのザビエルという宣教師と一緒ににいた得体の知れぬ若者であった。

「式を使った仮生の術だね。」

「けしょうの…じゅつ?」

若者は、しゃがみこんで頭蓋に手をあてる。そして軽く息を吐いた。小さな息の流れがその美しい唇から漏れる。

息の流れで頭蓋に貼りついた美しい黒髪をゆらす。

何かを感じるように若者は目を閉じていた。

そして、小さくため息をつく。

隆豊は毒気を抜かれたように若者の行動を見つめていた。

ただ

この若者の言葉を待っている自分がいた。

それはこの不可思議な出来事の真実はこの若者にしかわからぬことであり、隆豊はその真実を欲していたからである。

知らず知らずのうちに隆豊は若者と目の前の骸に囚われていた。

「このしゃれこうべの主は間違いなくあやめだね。ただ、死んでから数年経ってる…おそらく…最初の大三島合戦のあと。」

「最初の大三島合戦のあと・・。」

「最初の大三島合戦というと、安房が死んだ時だね。あやめはその後を追って自害したようだね。誰にも気づかれず。」

「自害?それでは我らが見たあやめは・・」

若者は愉快そうに声を上げて嗤った。

「あやめの死骸に式を忍ばせ生きてるように操った。みなにはあやめが生きている者と錯覚するように。」

「死骸を操る・・そ・・そんなことが・・」

隆豊は唸り声をあげた。百戦錬磨の剛勇である隆豊をして底知れぬ恐怖が背中を這い廻る。

若者は紅い唇をおのが舌で舐めた。ぞっとするほどの色気が漂った。若者は少し遠い目をしておのが考えを反芻するかのように首をひねる。

「転生の術を使えば、あやめを蘇らすことができた。しかし、その者はそれをしなかった。それはあやめがおのれの思うがままにならぬから。ならば、肉体だけを蘇らせ、おのれの意のままに操る・・」

「おのれの意のままに…」

「いずれにしてもその者は相当な使い手だね。陰陽道の。」

若者はにやりと凄惨な笑みを浮かべた。


「晴明と、魔界少女拳そのいずれか…いや…」


若者はあやめの頭蓋骨を拾い上げた。


「こいつはボクがいただいておくよ。冷泉さん。君たちも一杯喰わされた口さ。大三島の連中はどいつもこいつも…まぁ。いいさ。いずれにせよ、君の現世での仕事はなくなった。あとは好きに死ぬがいいさ。」


若者は頭蓋骨を抱えたまま、まるで闇に同化するように消えていく。

「待て!なにもわからぬぞ!もっと詳しく教えよ!」

隆豊は叫んだ。

それまでは死の覚悟を決め、この世になにひとつ思い残すことのなかった隆豊の胸中にふいに執着が沸いた。

「待て!」

隆豊は若者を掴んで引き戻そうとした。しかし、若者の身体は実体のない空気のように、隆豊の腕をすり抜けた。


「冷泉さん、謎を知りたければ君も転生を果たすことさ。残念ながらボクは君には興味がないんでね。いずれにせよ、現世でこの謎を解くことはできないよ。�君にその気があるなら念じることだね。きっと君を必要とする連中もいるさ。」


若者はそう言い残して消えた。


「待て・・。」


残されたのは薄暗い闇と、首のない骸骨だけであった。

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