小説 人蟲・新説四谷怪談〜二十四
「師走だというに、このような面倒なことに巻き込まれるとは。」
南町奉行所与力、小原正三郎は溜息をついた。
数年ぶりに江戸に降る大雪は止むことなく降り続いている。
正三郎の溜息も瞬く間に白い塊となる。
「小原殿いかが致しますか!?一気に討ち込みますか!」
配下の武蔵川伊之助が正三郎に尋ねる。
言葉は威勢がいいが、足が震えている。
「今しばらく待て。あの狭い入り口を我らが押し合いへしあい攻め入るは賊の思う壺じゃ。」
正三郎は重々しく伊之助を制した。
「はっ!」
伊之助も重々しく頷く。
その表情は明らかにホッとした様子である。
怖いのだ。
それは正三郎とて同じである。
正三郎らは、吉良家家臣伊東忠兵衛とその妹を斬殺した婿養子田宮伊右衛門が潜む本所の古い庵を囲んでいる。
太平の世だ。
殺人事件など早々起こることはない。
まして、歴とした大名家の家臣の斬殺事件などという重大事件を正三郎は担当したことなどなかった。
お役目は何事もなく終わるのが良い。
常々、正三郎はそう考えている。
功名心などは欠片もない。
このような事件に巻き込まれること自体、正三郎にとってはあってはならぬことなのだ。
そのあってはならぬことが起こっている。
下手人の田宮伊右衛門は、吉良家剣術指南役の伊東忠兵衛を一刀のもと斬り捨てるほどの凄腕だ。
とてもではないが、正三郎以下の並の同心達が束になって掛かっても勝てる見込みなどないだろう。
そう正三郎は思う。
現に。
最初に踏み込んだ野田や内田といった正三郎の組の中では手練れの者達があっという間に斬り伏せられた。
幸い鎖帷子を着込んでいたので死は免れたが、手負い逃げ出してきた彼らの言葉に正三郎達は震え上がった。
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