小説 人蟲・新説四谷怪談〜三十三
玲子と勝は四ツ谷左門町にある古い2階建てのアパートの階段を登っていた。
錆びた金属の手摺が、二人が登る振動でギシギシ音を立てる。
陽が傾き、風が冷たさを帯びる。
「ここが小岩さえの部屋だ。」
勝は2階の一番奥の部屋の扉の前で云った。
「今年の7月、この部屋で小岩さえの白骨遺体が見つかった。」
勝は鍵穴に鍵を差し込んだ。
ゆっくり回すとカチリと音がした。
玲子は勝に先立って部屋に入る。
締め切った部屋の内部は熱が篭り、独特の臭いがした。
六畳一間。
玄関近くに小さな台所があり、その奥に畳の和室。
小さな食卓がひとつ。
汚れた壁。
そこにかかっている白いワンピース。
妙に。
新しく感じるのは気のせいだろうか。
その白いワンピースだけが生々しい生命感を漲らせているようだ。
「小岩さえの白骨遺体はこの辺に散らばってたってことだ。」
勝は台所と、和室の間にある引き戸の下辺りを指した。
「この引き戸の上っ面に釘を打ってそこにロープをかけて首を吊ったようだ。」
夕暮れの陽射しが勝の指した辺りをオレンジ色に染める。
「まぁ、三年も経ってたわけだから当然、骨はバラバラ。着てた服と一緒にこの辺に散らばって、ロープだけが垂れ下がってたようだ。」
玲子は少し首を傾げる。
「そんな状態になるまで誰も気づかなかったってわけ?」
「考えてみりゃ、この話おかしいことだらけなのさ。」
勝はそう言って、和室の奥に歩き窓を開け、その窓に寄りかかり煙草に火をつけた。
「首吊りなんざすると、身体から体液が全部外に出ちまうもんさ。汚い話、小便や糞なんかが漏れるのさ。それをそのままほっとくと、今度は身体に残った体液が少しづつ垂れていく。そうすれば、そこの畳や床は腐ってしまうもんだ。それがどうだい。そんな後どこにも残っちゃいない。」
玲子は勝の言葉に頷く。
「それよりも何よりも、死体が骨になるまで、誰も気づかないってのも妙だ。人間の死体が腐るなんてのはとんでもなく臭うもんだ。こんな古いアパートいくら締め切ってたって臭いが漏れないなんてあり得ない。」
「じゃあ、警察はなんでそこを追求しなかったの?」
「面倒臭かったんだろうな。」
「面倒臭い?」
「ここで遺体が発見されると、すぐに身内のやえが現れて身元の確認ができたこと。それと、検視の結果、首吊りであることは間違いなかったこと。ついでにこのアパートの2階が、この部屋以外長らく空いていたということ。さえが過去に何度か自殺未遂を起こしていたこと。さえは以前、自殺サイトの募集に参加して死に損なったことがあるらしいのさ。ま。そんなことから多少、おかしな点はあっても自殺と結論づけたようだ。」
「なんかいい加減じゃない。」
玲子は非難するように言った。
勝は苦笑いして煙草の煙を窓の外に吐き出した。
「いい加減だな。今の世の中、事件が多すぎるんだよ。正直、警察は手が足りてないのさ。ハッキリとした事件性、つまり他殺の証拠がない限り捜査に手をつけれないのが実情さ。」
「ここで遺体を発見された経緯は?」
「家賃の滞納さ。」
「家賃?」
「毎月、きっちり収められていた家賃が今年に入って滞納になった。そこで大家が家賃を取り立てに行った。そこで…って運びさ。」
「ちょっと待って?」
玲子は思わず声を張り上げた。
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