小説 人蟲・新説四谷怪談〜三十五
三宅十兵衛は、庵の扉を開いた。
開くといっても、扉は半分ほど壊れており、もはや扉の体は為しておらぬ。
恐らく、先ほど庵の中から逃げ出した同心達が勢い余って破壊したのだろう。
庵の中に身体を差し込むと、黴の臭いと、何かが蠢く気配が十兵衛の五感を襲う。
蠢くものは尋常な数ではない。
黴の臭いと共にそのもの達から発せられる獣の臭い。
生臭く、へばりつくような臭い。
この庵室の全ての水分は、この臭いの主の体液によるものではないかと思うほど湿った生乾きの臭い。
床も柱も水分を含み、腐っている。
十兵衛は慎重に足場を確かめる。
嗅覚と共に、視覚も冴えてくる。
庵室の床、天井、梁、柱、至る処に光る赤い玉。
夥しい数の鼠であった。
赤い眼玉を光らせ、獰猛に牙を剥き一斉に啼いた。
きゅーきゅーという、なんとも不快な音が庵室に鳴り響く。
それだけではない。
床を這い回る無気味な摩擦音。
しゅーしゅーという音。
蛇だ。
数十匹という数ではない。
夥しい数の鼠と蛇が絡み合い奇怪な啼き声を醸し、その薄汚い毛穴から異臭を吐き出す。
それだけでも尋常な人間は気を喪うに相違ない異常な光景だ。
十兵衛は眼を細めた。
庵の奥。
柱を背にして。
武士がひとり坐りこんでいる。
寝巻きであろう。
闇にも武士の着ている白い着物が浮かび上がる。
その上半身はべっとりと大量の血糊が附着している。
そして右手には鈍く光る銀色。
ふたりの人間の生き血を吸った大刀が握られている。
武士は長身で細身の身体を柱に預けている。
両頬は痩け、闇でその表情までは窺い知れぬが、瞼を閉じ眠っているように、身じろぎひとつしない。
恐ろしきは。
武士がひとつの骸を胸に掻き抱いていたことだ。
その骸は女であった。
長い黒髪が生前の女の清楚さを僅かに感じさせるが、骸は腐り、処々、骨がみえている。
おぞましいのは、女の骸全身に蟲がたかり、蛇や鼠までもがその屍肉を喰らっていることだ。
その蟲や、鼠、蛇などは武士の身体にも無数によじ登り、その肉に喰らいついている。
武士は生きたまま、それらおぞましきものどもに喰われていた。
十兵衛は低く息を吸った。
そして、微かに聴こえる程度で甲高い音を吐き出した。
すると。
摩訶不思議なことに。
鼠、蛇どもは静まり、その姿を床下や天井に消して行く。
蟲ども同様にその姿を消していく。
やがて庵室には静謐が訪れた。
「奇妙な術をお使いなさる。」
武士が静かに眼を開いた。
「御役目ご苦労でござる。手前が田宮伊右衛門でござる。」
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