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小説 人蟲・新説四谷怪談〜五十七


「忠兵衛の妹、梅が伊右衛門に惚れてしまったのでございます。梅は伊右衛門と岩が兄妹であることを宅悦から聞いていたと思われます。伊右衛門に対する思慕のあまり、岩にそのことを告げ、身を引かせようと致しました。伊右衛門が申すには、ある祭りの夜、岩が梅と宅悦と出掛けた後、岩が伊右衛門に離縁を迫ったと申しておりました。」




「伊右衛門は自分と岩が兄妹であることは知らなかったのか。」



「最期まで知らなかったようにございます。岩はその事実は伝えずひたすら自分は醜いと申していた様子。恐らく畜生道に堕ちた自分が忌まわしく思えたのでしょう。しかしながら、その事実を伊右衛門には伝えることができなかったのでございましょう。」



「宅悦はなぜ殺されたのじゃ?」



「しかとはわかりませぬが、岩は心に異常をきたしていたのでしょう。
それもこれも元はといえば、自分達を捨てた宅悦のせい。岩を心配した訪ねてきた宅悦に憤激したのかもしれませぬ。」



「それではなぜ忠兵衛は、真実を伊右衛門に伝えなかったのか。」



吉保は続けざまに十兵衛に問い掛けた。


十兵衛は、何かを自分に伝えようとしている。


しかし、なぜそのことを、伊右衛門と岩の一件を通して回りくどく離さねばならぬのか…。


吉保は自分の言葉に焦燥と怒りが含まれるのを感じていた。




「田宮伊右衛門という男。拙者も剣を交えましたが、なんとも不思議な男でございました。剣の才は天賦のものがございました。およそ人の欲なる物なく。清貧な人物でございました。梅と同じく忠兵衛も伊右衛門に惚れたのでございましょう。」



十兵衛は庭を見た。






雪が舞い踊っている。






「例えて言うなれば、雪のような人物でございました。


忠兵衛は事実を伝えれば伊右衛門は自害すると思ったのでしょう。


されば、岩が出奔したのを幸いに伊右衛門を梅と目合わせたいと考えたのではありまさぬか。」





「されば、岩はどうしたのか。」



「忠兵衛が死に際に岩の居場所を伊右衛門に伝えたところをみると、忠兵衛は人を使って岩を探したのでございましょう。推測ではございますが、忠兵衛は岩と会い、伊右衛門と梅を娶あわせたいと言ったのでありませぬか。岩は伊右衛門の幸せを願い、その旨を承知し、尚且つおのが不幸を呪い、自害したと思われます。」



「哀れな話よの。」


吉保はそう言って押し黙った。


十兵衛も口を閉じ、沈黙した。










ふたりの間に静寂が流れた。









一刻ほど時間が流れた。








吉保は閉じていた目をそっと開いた。






「ときに十兵衛。」



「はい。」



「伊東忠兵衛は相当の遣い手であっただろうな。」



「はい。」



「もし、忠兵衛が健在であれば赤穂浪士の大いなる脅威になったであろうの。」



「間違いなく。」


「田宮伊右衛門は奇しくも赤穂浪士の討ち入りの最大の敵を討ち果たしたことになるな。」



「御意。」


十兵衛は吉保の目を見た。


怜悧な剃刀のような頭脳を持つ男の冷静な目だった。


「この勝負。このままでは、御前の負けでございます。」


ずけりと十兵衛は言った。


吉保はその言葉に動揺を見せず頷いた。



「今宵、吉良上野介は屋敷におる。赤穂浪士が討ち入るとすれば今宵しかない。」



「御意。」



「赤穂浪士には万が一にも上野介を討ち漏らしてもらっては困る。」



「御意。」



「赤穂浪士が闘いには圧勝し、しかしながら上野介を討ち漏らせば、その裁きは難しくなる。一年前の浅野家断絶の裁きの矛盾を再び天下に晒すことになる。それを大石は狙っているか…。」






十兵衛は静かに立ち上がった。





「吉良上野介生かすべからず。」




柳沢吉保は呟いた。







十兵衛の姿は吉保の前から消えた。






雪が再び激しくなっていた。








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