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2. 人見知りのくせに1人で備品倉庫の大玉を転がしまくった HSS型HSCな幼児期


関西に引っ越してきた
関東出身の両親、
2歳上の兄、
3歳下に生まれた弟と
5人暮らし
わたしは真ん中っ子だった。

田舎でも都会でもなく
適度に落ちついた地域の
山の手にある
一軒家。
いろんな植物が植えてある庭に出ること、
兄の行動をまねること、
母が読んでくれる絵本の時間が
とても好きだった。
どちらかというと発達が早く 活発で
3歳ごろから
お絵かきをたくさんしはじめたよう

保育園のあと
幼稚園の年少に入る代わりに
YMCAというところに
1年 通っていた。
大きな道路を挟んで
消防署の向かいにあった
"わいえむしーえー"。
変な響きだ
ほかのコトバと何かがちがう
ここは一体 なんなのだろう。。??

誰かからその名詞を耳にするたびに
語感のよそよそしさ
わからなさから
わずかな不快を感じていた。

記憶にあるのは
薄いグレーの絨毯張りになったフロア。
部屋の隅にピアノだかオルガンがあって
たいていその前に集められて
何かやっていたこと。
人見知りで 
同じビーバーぐみの子たちが苦手だったこと。
朝 みんなが走り回っている部屋に
自分も入っていく
その足取りが重い
いつも
あの子たちとむりやり会わされるのは
なぜなんだろう?
とくに会いたくもない子たちと、なぜ。。
ぼんやりとした疑問を抱きながら
続く日々のなか
お絵かきや工作はすごく楽しかった。
という印象がある。

ある日
みんなと離れてひとり
備品倉庫のような部屋をのぞいたら
中に 
布製の巨大なボールが並んでいるのを発見。
大玉転がしの大玉だった。
これ なに?!!
勝手に入り
夢中で転がしまくったのを覚えている。

とんでもなく大きなボールが、
こんなに!!
激しいときめきで
吸い込まれるように
近づいて
3〜4色の大玉を
夢中であっちこっち転がし続けた。
眼前をうねる色の奔流
自分より こんなに大きいボールなんて!!
こんなものが!
こんなことが!!

この現実に
ますます魅了される
と同時に
頭の隅で 一抹の後ろめたさと心配もある。
「みんなと違うことを、はなれて、一人で」
これは 
ダメなパターン。。
何か 良くないことが起きるのでは、
という不安。
でも
あまりに楽しすぎて
やめる理由には至らず
シーンとした無機質な空間で
ひとり静かに興奮し
黙々と
色鮮やかな大玉を転がし続けていた
白昼夢感のある
シュールな記憶。

その後は覚えていないが
先生に見つけられて
やんわりと
ビーバー組へ連れ戻されたらしい。
それを聞かされた母は
驚いて恐縮し
娘の行動を心配したところ
「さきちゃん 大玉触りたかったんでしょうね!
この年齢ではよくあることですから、大丈夫ですよ〜」
と 
言われたそう。



気づき

*集団は苦手だが とても好奇心旺盛で、
強い興味に対して欲求を止めにくい子供だった。

*楽しさ100%ではなく少しの不安や心配を含んだ ないまぜな気持ちだった。スリルを感じながら続けていたため、強烈に記憶に残ったと思う。


*のちの「いつだって 混じり気のない純粋な感情を感じていたいのに」というはっきりした希求につながっていく原体験かもしれない。


*YMCA は居心地よくなかったわりに 粘土の壁掛け作品にうめこまれている遠足写真の中では 実に楽しげに写っている。
そして小学生の頃は
「この写真の中の自分の、なんと冴えないことか。自分はなんでこんな見た目なんだろう。恥ずかしい。このまま生きていくなんて」と見るたびに無性にみじめな気持ちになっていたけれど 
今見ると はるか遠い他人事のようであると同時に 街ですれちがう見ず知らずの子どものような 新鮮な愛おしさを感じる。


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