にっき飴が溶けるまで
2020.03.09
月曜の夜から、インターネットカフェにパソコンを持ち込んでnoteを綴っている。栃野めいです。
その話をその声で聞いたのは凡そ1ヶ月前の土砂降りの日だったし、昨年末の話も、先月末の飲み会の話も、一昨々日の話も、昨日の話も、今日の話も、それそれ別の人の話なのだけれど、それぞれに自分をチクチクと刺しては振り返ってわらっているような心持ちにさせた。それぞれの話は、基本的に殆どが良い、明るい話であったし、まあ根暗な自分には、その話題が眩しければ眩しいほど、こちらに落ちる影を濃く感じてしまうのかもしれないけれど。
幼馴染が長く勤めた会社を退職して転職したこと。
長く恋人のいなかった友人が、お付き合いをして、それなりに楽しそうにやっていること。
学生時代の友人が、結婚してパパになること。
弟が就職して、免許を取って、納車されたこと。
古い友人が、恋にあれこれ悩んでいること。
職場の向い合せの人が退職したこと。
馴染みの店の、仲の良い店員さんが辞めてしまったこと。
元クラスメイトが、なかなか大きな病気と闘っているらしいこと。
ずっと漫画を描いていた、好きだったひとのデビューが決まったこと。
かたや自分は安い給料で働いて、noteを書きたい、歌を録りたいからと副業を辞めて、それでも締切を破りまくって、ようやっとパソコンを開いたと思ったら、思いついてこんな文を書きなぐっている。当たり前のように恋人もいないし。何も始めてさえ、スタートのラインに立ってさえいないのに、自分だけが置いていかれる気分になっている。みんななんだかんだで大人になっていくんだなと思った。ちゃんと、まっとうの。自分はなにか、文を書こうと決めたあの日から、歌を歌いたいと思ったあの日から、変わっているんだろうか。嫌いなものが増えて、気力はどんどん底に落ちて、諦めることと言い訳ばかりが達者になった。純真なこどものときより、もっともっとわるいな。
早く自分もまっとうな大人にならなくちゃ、と焦りながら、おとなになることを拒絶している。まっとうな大人がなんなのかも、わからないくせにね。
先月、パソコンを買いました。
せめて月一本は三題噺を挙げられるように、誕生日を迎える前に歌が撮れるように。
昔みたいに、あのひとに挿絵を貰えるように。
まずは地面を踏むところからはじめなければと、焦っている。