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オルガンの思い出

ギターを小屋の天井に貼り付けて音楽の神様を閉じ込めていた。という話をしましたが、その前からわたしは音楽の神様に大変罰当たりなことをしていたことを思い出しました。

わたしの一番古い記憶は3歳の秋、幼稚園年中さんの運動会の朝。
すごく天気が良くて、寒くもなかったので多分9月頃だったのかな?
体操服を着て元気に玄関を飛び出したわたしは、そこで盛大に転んだんですね。
玄関ポーチと言うのですか?お洒落な家ではないのでその呼称には違和感がありますが、その段差の先に砂利が敷き詰められいて、その尖った石が幼子の膝を切りつけたのです。

もう行きたくないわけですよ、そんな事になったら。

なんでこんなに膝から血を出してるのに運動会に行かせる?むりだろ。行かない!と泣いて喚いてばあさんと母を困らせたのでしょう。
(今思い返してみると、あの母がよく無理矢理にでも園に引きずって連れて行かなかったな、そもそもいなかったのかな?)

記憶は定かでないのですが、行かない。と決意したことと、歩いてすぐのところに幼稚園があったので、先生が迎えに来てくれて膝に赤チンで太陽マークをつくってもらったことは覚えています。
玄関に植えられていた笹竹の前にしゃがむ黄色いエプロンが印象的で、その光景は今でも焼き付いてます。

その時の事を母に確認したら、

中村さんって誰。
じゃあ黄色いエプロンの記憶はなに?

てか娘転んでんのに笑ってんじゃねえよ。
この人はわたしが階段から転げ落ちても笑ってましたからね。

まあ子供の記憶なので、このくらいの改竄は仕方ないでしょう。運動会の朝に盛大に転んだのは間違いないです。
ちなみに、この運動会の朝の思い出は音楽の神様には関係ないです。話の枕にしようかなって、一番古い記憶を紹介したのですが、書いてるうちにもっと古い記憶が次々出てきたので、何の話されたの?って思ってくれていいです。

本題に戻ります。

我が家は茶の間を襖で隔てた先にもう一部屋あって、親戚が集まったら部屋を繋げてみんなで食事できるような造りになっています。
普段はわたしの遊ぶ部屋という感じで、そこででんぐり返りしたり、天袋に登ったりしてたんですが、そこにオルガンがありました。
母がよくそれを弾いて、歌って聞かせてくれたんです。嘘だけど。
あの人が楽器を触っている所なんて見たことがないです。
彼女をブランディングしていたものは煙草とビール。
子守唄は専ら背に負われて聞いた香西かおりの流恋草。

流す涙は乾いても、寂しい心は隠せない
星も見えない、こんな夜はあなたしかないわたし

捨てられたんか。

母はそんな始末だし、父も祖父母も音楽を嗜んでいた様子はない。

誰のものか聞いたことも無かった。
ミルクティーブラウンの木目調の蓋を閉めれば子供用の棺桶のような風体になるそれは、畳張りの部屋には不釣り合いで、それでいて金ピカの次郎長の置物や煙管、額縁に入った大判小判のレプリカ、古臭いものに囲まれて育ったわたしには、そのお洒落で洗練された佇まいに、近寄り難いお姉さんのように感じていました。

そのオルガンはわたしが入園前後に処分させることになります。

先述した通り、オルガンには蓋がついていて、閉めれば棺桶になります。
平らになるんです。

そこに乗って飛び降りるのが好きでした。

いかにも日本然とした我が家に控え目に吹く唯一の異国情緒の風、オルガン姉さん。奏でられる事もなく部屋の隅に追いやられ、あまつさえ冬でも裸足で走り回る幼子の小汚い足に踏まれ、彼女にも我慢の限界がきたのでしょう。
とうとう天罰が下ります。

悪童は鋭利な棺桶の角に大事な所をぶつけ悶え苦しむことになったのです。

ミルクティーブラウンの子供用の棺桶によって地獄に送られるのはわたしでした。わたしのための棺桶だったのです!!

その時のことは覚えてませんが、母が嬉嬉として何度も繰り返し語るので、想像上のわたしはくっきりとした苦悶の表情で痛みを訴えます。
多分わたしが嫁に行くことになったら、小春日和の穏やかな日に縁側でアルバムを開いては何度も繰り返し語る話はこの一件でしょう。

「こいづバガだがら!おっぺぶつけて、ぶっくれちゃんこうやってきたんだよー!って教えるんだっけ」

わたしは、いかに痛かったか大好きな母に伝えるために、リアクションを再現して見せたのです。
股間を押さえ、痛みを逃がすように跳ね上がるそれは、男性が股間にダメージを受けた時の様子をイメージしてくださるとわかり易いかと思います。

これは推測の域を出ないのですが、その時に処女膜を喪失したのではないかと思っています。
初体験の際非処女疑惑が出たのです。こちらから言わせれば相手の殿方のナニがナンだったのですよ。

そんな訳で、オルガン姉さんの怒りでわたしは痛い目を見たわけです。その時の事を母はやはり楽しそうに語ります。

「こいづバガだがらオルガンさおっぺぶつけたんだ。2回も!」


もう1回やっとる。

かくして、オルガンは処分されることになります。
ただ、オルガンが処分された理由はバカ娘が股間を二度もぶつけたからではないのです。
誰も弾く人がいなかったから、邪魔だったのでしょう。

わたしは酷い目に合ってもオルガンを捨てないで欲しかった。オルガンという横文字の楽器が「ザ田舎のばあちゃん家」な我が家にあるだけで嬉しかったのです。

しかし、オルガンは足元のペダル?を踏まないと音が出ないから、小さなわたしには弾きようがありませんでした。

我が家の仏壇には誰かわからない人の写真も何枚か飾ってあります。曽祖父の代の親戚の誰かなのでしょうが…きっと、あのオルガンも、誰か遠い親戚のを譲り受けたものだったのかな、と思います。
昔は誰かに奏でられ、時には家族団欒に音を添え、時には寂しさに寄り添い、もしくはお利口な子供の成長を見守っていたのかもしれません。

いい機会だし、母にオルガンのことを聞いて見ました。


お前のかい。

お前のかい!!!!


弾いたとこ見たことねえぞ。

↑ほらな、一生言ってる。


以上、オルガンの思い出でした。
余談ですが、ピアノを習いたいと親にせがんだ事があります。習い始める前に「一度ピアノの発表会を見においで」と言われ、結局行かずに今に至っております。

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