三十路、ラブソングとの付き合い方

25歳を過ぎた辺りから、遍くラブソングは自分より年齢が下の子たちに歌われた歌だと思うようになった。
懐メロや歌謡曲ですら、ムーディな雰囲気を漂わせる割に、実の所うら若き乙女と精悍な若者の曲なんだろ、昔の人は年齢よりも大人びて感じるもんだしな。と言った具合だ。

勿論それは間違いで、どんな年齢の人も、どんな歌に共感し涙しようが、罪はない。
ただ、やはり、28歳では、はしゃぎ過ぎてる夏の子供になれないし、改札はヨソヨソしい顔で朝帰りを責めない。BPMを190にしながらロックを聞かせてくれる人もいなければ、前前前世から誰も探しちゃいない。

いや、ほんとは別にいいんだろうけどさ。
その歌で再生される脳内ドラマは、セックスを覚えたての、恋愛ごっこの振りをした若い恋愛模様で、好きに理由なんて必要なくて、容易に永遠を信じてしまう様な若者が主演。大抵が6畳1間のアパートに住んでいる。さらに言えば環七沿い。

2年付き合って結婚まで秒読みだった彼氏と別れたばかりの28歳のわたしにはそうは思えなかったのよ。

20代前半に学生時代から付き合っていた彼氏と別れた時に散々お世話になったbacknumberさんに、またお世話になるのは気が引けたの。

上記のような書きかけのnoteが残っていた。
何を書こうとしたのかは分からないが、言いたいことはわかる。

このnoteを書いたのは28歳。今は31歳だ。

このnoteもここ数日で何度も書き直している。
えらい長文で過去の恋愛と、それに関連する曲名を挙げ連ねた。
そうしていくうちに、遍くラブソングは自分のためのものだと思っていた過去の自分の傲慢さに感心し、滑稽でみっともない終わり方をした恋の後ではラブソングに感情移入できないのも当然だろうと呆れた。

まかり間違ってまた誰かに身を焦がすかもしれない。
どうせそうなれば、世の中のラブソングに寄り掛かり、自己憐憫に浸ることになるだろう。
ようするに、感情移入できないのは今恋愛してないだけ。それだけなのだ。

何を格好つけて語るつもりだったのか。
あほである。

わたしの過去の恋愛関連楽曲は枚挙に遑がないので、そのうちエピソードと共にお伝えできたらなと思う。

とはいえ「若者」というには遠慮してしまう年齢になったわたしが、明らかに若者の恋愛を歌った曲にそのままダイブできるかと言われたら、やはり気が引ける。

上記した「改札はよそよそしい顔で朝帰りを責めない」というフレーズ、本当は「朝帰りを責められた気がした」という歌詞。
吉澤嘉代子の「残ってる」という曲だ。

初めて意中の相手の家に泊まり朝帰りしたとう内容を、ぽろんぽろんと奏でられるギターとアンニュイな声がスローテンポで歌う。
夏から秋に変わる様子が、二人の関係が一線を越えたことを暗示していて、じわじわエロい。
くあ~お前ら昨日セックスしたのか~!ひゅ~!

例えば今のわたしが誰か好きな相手と初めて同衾したとて、この曲に自分を重ねることができるかといわれたら、なかなか難しいと思う。やはり、31歳の女の朝帰りを誰も責めない。

だけど、その曲の当事者世代でない者たちは、共感して寄り添ってもらえない代わりに、その曲を聞いて思い出すことができる。

初めて彼氏の家に泊まった翌日の朝、頬に纏う冷たい空気とか、夜とは違う駅の慌ただしい雰囲気とか。当時感じた喜びや、その後に訪れた悲しみや、もう取り戻せない時間への虚しさ。失ったものや、手に入れられなかったこと。
その通り過ぎて行った時間が歌への理解に深みを与えて、長年連れ添った良き友人として、ずっと傍にいてくれるのだろう。

歌を聞くのに経験や年齢は関係ないし、共感や自己投影だけが歌の聞き方じゃない。

余談だが、友人の結婚式でbacknumberの花束が流れた。

僕は何回だって 何十回だって
君と抱き合って 手を繋いで キスをして
甘い甘いこの気持ちを 2人が忘れなければ
何も問題はないじゃない
ケンカもするんだろうけど

素晴らしい歌詞。

前述した通り、彼氏と別れたあとbacknumberさんには大変助けてもらったのだが、丁度その友人の結婚式というのが「一度別れてヨリを戻した彼氏とまた別れかけている」という状況で、甘い甘い気持ちとやらを我々二人はとっくに思い出せないレベルになっている事に気づき、幸せいっぱいの結婚式を見て、我々は絶対こんな風にはなれないな、と別れを決意させた曲である。

彼氏と別れ東京を離れる時、学友がbacknumberの「青い春」と「思い出せなくなるその日まで」をカラオケで歌い初めてbacknumberに出会った。
その際普段クールな友人が「なんで帰るの」と私の前で初めて涙を見せた。
普段失恋曲ばかり聞いていたもので、花束にはガツンとハッピーオーラで殴られた気がした。

二人でやっていけるとおもう?
んんどうかなぁでもとりあえずは
僕は君がすきだよ

ずっと好きだと約束するのでなく、今好きだという気持ちが続けばいいんだな。と目からウロコ。

次に付き合った彼氏の時は、チェックのワンピースも聞かなかったし、当然、思い出せなくなるその日までも聞かなかった。
「花束」が自分の曲になった。

だが、結局その彼氏とも別れたし、結婚式で花束を流した友人は旦那の愚痴が止まらないし、清水依与吏は不倫をした。

勿論曲を貶めるつもりはない。

ただ自分がその曲を通り過ぎただけ。

自分の人生において、あれだけ幸せな曲に共感できた瞬間があったというのは、素晴らしい経験だったと思う。

やはり、当事者から外れたことは少し寂しくもあるが、思い出す楽しみ(思い出して発狂する場合もある)が増えたというのは、歳を重ねた特権だと思いたい。

おわり

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