選択肢がないという強み
今回は選択について感じた事を文章にしてみたいと思います。
ダラダラとYouTubeを観ていた時、元K-1チャンピオンが温泉に入りながら語っていた切り抜き動画の中で
「格闘技しか選択肢が無かったからチャンピオンになれた。選択肢が無いというのは強みだ。」
※一字一句覚えている訳ではないのでニュアンスだけ伝えたい。
と言っていた。
これは成功者と言われる人はこの境遇やマインド(自ら選択肢を断つマインド)が強い傾向がある気がする。
与沢翼さんの書籍『ブチ抜く力』にも一点集中で取り組む事の大切さが書かれていた。
※私の記憶違いでなければ。
確かに1つの事に1000時間かけた人と100時間かけた人じゃ力の差がでるのは当たり前で(ここではかけた時間の内容は同じとしている)理にかなっていて多くの成功者が発信している。
ならば特に私が取りあげる必要は無いと思う。
ですがこれからの時代は強く意識しなければならないマインドだと思って私は書いてみようと思いました。
令和の時代には従来の成功者像に魅力を感じない人も増えてきたでしょう。
であれば多様性が重要な時代にこのマインドは淘汰されるべきなのか?と疑問がわいた。
私はNOだと考える。
なぜか?
選択肢の多さが人間の処理能力が追いつけない域に達していて、人が人と交わり心身が健康的で生きる事にエネルギーを割く事が出来なくなってきていると私は感じる。
それはタイパと言う言葉が出てきた事で証明されたと思います。
タイパのひとつをとりあげると、映画を早回しで観るという行為は間からうまれる表現を捨てる事で感じる事を捨てると同義に感じます。
選択肢の多さが感じる力や心の豊かさのようなモノを侵食していると強く感じています。
人と語らい、人に喜び、人に苦しみ、人に悩み、また人と語らう。
人との交わりの中で感じた事を言葉やその他表現をとうして確認しあい人間は自分を保っている。
とても大切な行為で時間を必要とする。
少しわかりづらい表現を使うが、
ヒューマンでありアニマルである我々人間は余暇時間を潰す事はできないのです。
(人間の動物性と人間性についても書いみたいが今はニュアンスだけで感じ取ってほしい)
昔も今もやれる事の量は変わらないのだ。
もしかするとマルチタスクに侵された現代人の方がやれる事の量が少ない可能性も感じる。
※マルチタスクについて書いた記事を貼っておく。
簡単に言えば
やる事が多過ぎるのです。
私達は今街を歩いていても、スマホを見ていても、コミュニケーションの中でも膨大な量の新しいモノが入ってくる。
取捨選択と言う言葉がありますが
今私達は意識、無意識に関わらず常に「取り入れる」をしている。
人生を豊かにする為に私達は今「捨てる」を強く意識して、自ら選択肢を減らしていかなければならないと感じています。
この社会で勝ち上がる為のマインド
【選択肢の無い強さ】であったが
現代では勝ち上がる為ではなく
豊かに生きる為に必要なマインドだ
そう感じたので文章にしてみました。
ありがとうございました。