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【エッセイ】130日の休職で感じたこと〜ある日会社に行けなくなった〜


ーーー適応障害。

診断書に書かれた文字に私は疑問符が浮かんだ。


『しばらくゆっくり休みましょう』
病院でそう診断された。2020年秋のこと。

適応障害とは、生活の中で生じる日常的なストレスにうまく対応することが出来ず、不安感や行動に変化が現れて社会生活に支障をきたす病気とされている。
病名について当時よくわかっていなかったが、ひとつだけわかっていることがあった。


ああ、これでしばらく会社を休める。


となんとも不謹慎だが、そう思った。
先に言っておくが、いわゆる私の職場はブラックなところではない。勤務時間外に働くことはほぼない職場だった。仕事の出来る有能な人たち、立ち振る舞いを含め、大人な対応をする方ばかりであった。一見何の問題もないように思える。


だが、私は病気になってしまった。
今思い返すと兆候はあった。
年明けくらいから少し体調に異変は感じていた。
だが、季節的なものだろうと特に気にしていなかった。

主な要因として、職場内で最も信頼していた上司の異動。
前からそうなることは決まっていて、予め覚悟はしていた。

大丈夫、何とかなるさ。


と思っていた。
だが、予想以上に堪えていた。新しい上司の方もとても良い方で時間をかければよい関係は築けたと思う。人数は変わらない。一見変化はないようにも思えた。

直属の上司は私に対してずっと無関心だった。威圧的な態度も多く、常に怯えながら仕事をしていた。
ほとんどまともに会話をした記憶がない。
ただただイエスマンになっていた。

異動した上司はそんな私の様子を知っていて、
『あなたはちゃんと頑張ってるから、気にすることないよ』
といつもさりげなくフォローしてくれていた。どれほど心の支えになっていたか計り知れない。
その支えを失くし、徐々に私の居場所がなくなっていった。そんな錯覚すら感じた。
(気のせいじゃない?)
そう思いたかった。だが、日に日に孤独感が増していった。その理由の一つは後輩。
前の上司の時は皆で協力して仕事を進めようとしていたが、異動した上司がいなくなってからは私に相談することなく独断で仕事をするようになった。どうして?と思うことが多くなったが、じっくり話す機会もなく、私の中でもやもやとしたものが溜まっていった。
その後輩も異動した上司を慕っていて、とても寂しがっていた。その穴を仕事で埋めるために一人で頑張っていたのかなと今になってみれば思える。だが、当時の私はそんなことを考えられる余裕もなかった。

見えない壁を作られたような心地だった。

真っ暗で、誰かそこにいるのに、手を伸ばしてもがいてももがいても何も届かない、異様な世界に入り込んでいくような感覚しかなかった。

(仕事なんだから我慢しなきゃ、無心で)
もがいてもがいて、なんとか心を殺して体にムチを打つように働いた。
だが、心と体は繋がっている。


ついに体も悲鳴を上げた。


ある日、起き上がることが出来なくなり、実家の母に助けを求めた。背中が折れたように痛くてたまらない。
一人暮らしである私に母は何事かとすぐに来てくれた。
体を支えて貰いながらなんとか起き上がり、お手製のおにぎりを食べながら泣いて胸の内を話した。
病院にかかったのはそれから二日後だった。
病名を聞いた時、よく分からずネットで調べた。正直なところ「パニック障害」かと思っていた。よく似た症状が出ていた。
その症状とは通勤時電車に乗った途端息苦しくなる発作によく襲われていた。息苦しさが続くと、今度は気持ち悪さと手足のしびれ。時間にしては十分くらいだと思うが、これが永遠に続くのでないかと不安と恐怖に苛まれていた。酷いときは一駅降りて、休んでまた一駅乗って職場に行ったこともある。自分なりに分析し、満員電車が駄目なのかなと早めに家を出ていたおかげか、遅刻はせずに済んだ。だが朝から疲労困憊になっていた。そんな状態では仕事も身に入らない。最初は行きだけだったのが、ついには帰りにまで発作を引き起こすようになっていた。
今では通勤経路を変更し、通勤電車で発作は起きなくなった。
だが、それでも人混みで長く電車に乗ることは少し怖い。

あの時の症状を今考えると「パニック発作」であり「適応障害」であったのだ。
診断結果、翌日から休職になった。
直属の上司に電話をすることに恐怖を感じ、診断書を写真で撮り、休職の旨を一方的に伝えた。心臓がバクバクと落ち着かなかった。
特に何も言われず、お大事にとだけ言われた。
後の事務作業などについてはまた追々することになった。

適応障害の治療はまずストレスの原因から離れること。そこから始まるらしい。
本来ならば、休職するには会社に行き、書類等き、日程を相談してからなのだろうが、全部すっ飛ばした。
それ程悪化していたのかもしれない。

突然の休職。
休める、会社に行かなくていいことに安堵はしていたが、正直何をしていいかわからなかった。
考える判断能力も相当落ちていたので、必要最低限のことをして、後はひたすら時が過ぎる、流れに身を任せ、ボーっとしていた。なんとか食事はとれていた。

数日すると、気持ちが少し落ち着いてきたので、先のことを、正確にはゆっくり休む為にすることを考えた。
体調が回復し、今の職場に戻っても事態は何も変わらない。
そう思った私はある上司に相談した。
内心かなり怖かった。
でも言わないと、伝わらないと思った。
責められたらどうしよう。事実、頼りにしていた別の上司に相談した時に正論を言われ、酷く落ち込んだ。
そんな不安を抱えながらも電話をかけた。指が震えていた。
上司は私の話を聞いた後、翌日喫茶店に呼び出し人事部の人を引き連れ、共に私の話をじっくりと聞いてくれた。
凄い行動力だと思った。
そして私の現状を理解し、復帰に関して配慮すると約束してくれた。
張り詰めていた気持ちが緩んだのか帰り道、ほんの少し涙が出た。
気持ちが前向きになり、休むことに関しても罪悪感が無くなった。
幸いなことに離れて暮らす両親もしんどいなら帰っておいでと言ってくれ、ほんの少し甘えることにした。とても恵まれた環境だった。
次の病院の診察まで文字通りボーっとしつつあまり頭を使わないゲームをしていた。
睡眠時間は殆ど変わらず、朝六時には起きていた。てっきりずっと寝て過ごすのかと思っていたので意外だった。
一月経過した後の診断は、まだ早いと言われ、休職が延びた。
年明けには復帰出来るかなと思っていたのであまり深く考えず、ゆっくりしようと思った。
意欲が少しずつ戻り、この頃から日記と朝の体操を始めるようになった。
この二つは今でも続いている。
そして二ヶ月が過ぎる前に職場から復職を促す連絡が来た。
かなり焦った。まだ気持ちが追いつかない。
こんな状態ではまた再発する可能性が高い。
先生とも相談し、復職は延期になった。
そして、二ヶ月が過ぎた頃。
そろそろ働けそう。
そんな気持ちになっていた。
いや、働きたい。社会に出たい。心の底から強く願った。
だが、会社都合で復職は早くても一月半後と告げられ愕然とした。
私の膨らんだ気持ちはしょぼんと縮んでいく。
その気持ちをひたすら文字に書いた。そして冷静になって見つめた。


だったら、仕事復帰するまで自分のしたいことやればいいじゃない?


そんな風に考え、やりたい事を書き出した。
出来るか出来ないかは別問題。自分の気持ちに素直になった。
すると、やりたいこと、結構出てきた。
今までもやりたい。と思っていたが、何かと理由をつけてやらなかった。
休職中の今、時間だけはたっぷりある。


やりたいならやればいい。


と半ば開き直ってチャレンジしてみた。
二つの創作コンテストと公募エッセイ。創作コンテストの一つは絵本のストーリー募集。毎年募集はありやってみたかったものだった。今回は時間もあり、今出来る限りの表現してみたかった。そしてもう一つはつまみ細工。自分なりの創作に挑みたかった。公募エッセイは応募者全員に各々が書いたエッセイをまとめた冊子と文の添削までしてもらえる仕組みだった。学生の頃、文集に憧れていたので夢が叶えられるとも思った。
なんだかんだで無事に達成していった。
今までの自分では予想もしないくらいの行動力だった。結果はどうであれ、やり遂げた。
そのことが自分に自信を持たせた。
休職中、実家に戻ることもあったが、後半は一人で生活していた。
ひたすら自分と向き合い、寄り添うことを徹底した。
日記には日々の出来事はもちろんのこと、自分の感情を書き出していた。どんな悪い感情でもまずは外に出して、受け止める。そして冷静になって考えられた。
それが今までは全否定して向き合うことすら出来なかったので、大きな進歩だった。
自分のことは自分しか分からない。
誰かにわかって貰う前に、まずは自分から自分を知ろう。
そんな気持ちでいた。
自分と向き合う。そのおかげで今は以前より心穏やかに過ごせるようになった。
上手に感情の波と付き合えるようになった気がした。
認知療法と言うのかもしれない。
心の整え、自分らしく生きたい。そんな風に素直に思えた。


そして復職を迎えた。
朝、お弁当を作り、決まった時間に出勤。
誰かと会話。前までなんでもないようなことが、とても新鮮だった。
ようやく社会復帰、働けることに喜びを感じた。
人の優しさ、温かみを教えられた。
『長い人生なんだからちょっとくらい寄り道、休んでもいい』
ある人が言ってくれた言葉だ。
胸に沁み、とても励まされた。

もう休職はしたくない。
けど、この130日の休職は私にとって必要な休息だったのだ。立ち止まって自分を見つめる大事な時間。
今、私には目標がある、今後私と同じようにメンタルで悩んでる人達の力になりたい。
大したことは出来ないが、ただ人の話を聴く。
コミュ二ケーションでもっと大切だと言われる傾聴。
この傾聴について深く学び、少しでも誰かの役に立ちたい。
自分のこの経験を糧にして。
人生無駄なことなんて何一つないから。

大丈夫、またここから始まる。
新しい自分が。

もっと自分を大事に、好きになっていけますように。

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みけにゃん@12/1文学フリマ39o-35
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