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0-2. 37th MARATHON DES SABLES / モロッコ到着~ビバーク到着

前回の投稿で示した通りモロッコ到着からテクニカルチェックまでは非常に大事な時間となる。
待ちに待ったロードブックとのご対面もあるが、その前に個人的な楽しみも控えている。
それらについて凄まじい脱線力を発揮するのが今投稿である。
その影響でテクニカルチェック終了まで書くつもりがビバーク到着までになってしまった。ご照覧あれ。

●モロッコ到着
モロッコはエラルシディア空港に到着した。

到着した飛行機付近から


エラルシディアは大アトラス山脈の東端の南側に位置する都市だ。
空港自体はこじんまりとしている。

そして降機して覚える強烈な既視感。あっ、やっぱり9年前のあの空港だ・・
MDSでは毎回コースを変更する=スタート地点も変わるためそこまでの移動手段の起点も異なる。
基本的には到着空港からは大会用意のチャーターバスでスタート地点のビバーク(宿営地)まで移動する。

建物などの様相は変わっているが、全体的な雰囲気から29回大会と同じ空港と判る。
R姐さんにその話をすると様変わりした理由はすぐに判明した。何年か前に改装したらしい。
小さな空港のため降機後は徒歩で入国審査の建物に向かう。
すでに砂漠気候に属する場所なので熱線が容赦ない。これこれ懐かしい、この刺すような日差し!

みんな思い思いに記念すべきモロッコ到着を写真に収めている。
私は歩きながらR姐さんの姿を探し、合流する。
ここからビバーク到着まではこの方と行動を共にする事にとても大きな意味がある。
ビバーク到着までの流れは、

①入国審査
②荷物受け取り
③バス乗車
④バス移動&コースマップ配布
⑤ランチパック配布
⑥ビバーク到着

各所でMDSスタッフからの歓迎があり、彼らに対しR姐さんは日本人で一番顔が売れている。
主催者のパトリック・バウアー氏も例年②か③辺りで選手を一人一人出迎える歓迎式を行うが、
その際に氏が顔と名前が一致する数少ない日本人選手がR姐さんなのだ(他には前回の投稿で紹介したJ子さんやB藤さんなど)

彼女といれば確実に氏と遭遇した際に”間”ができる。
そして私はその”間”を使って氏と僅かでも言葉を交わしたいと考えていた。
※パトリック・バウアー氏についてはこちらの投稿が詳しい

●パトリック氏との縁
その理由はもう5年以上も前、2018年の1月のことである。
パトリック氏が来日した。

R姐さんが来日を勧めたのがきっかけだ。彼はとても愛された存在であり、日本事務局を始めMDSの過去参加者は沸いた。
アテンドはR姐さんが務め、MDSの過去参加者を集めてのパーティーも東京で盛大に催された。

が、私は赴くことができなかった。参加を強く望んでいたがどうしても私事で都合をつかなかったのだ。
私はMDSに、ひいてはパトリック氏に大きな恩を感じていた。
前回、2014年の参加がきかっけで妻と出会い、2年後に結婚。4月には第1子の誕生が予定されていた。
R姐さんに私の翌年に同じ大阪から出場する方にメンターとして紹介され、妻はその友人だった。
MDSによって生まれた繋がりが巡っての幸運だったが、その元はといえばMDS主催者パトリック氏によるものなのだ。

一方的な恩義だが、どうしても感謝を伝えずにはいられなかった。
私はR姐さんに相談して手紙を書くことにした。
MDSで稀有な体験をし、仲間を得、妻子を得、人生に彩りを与えてくれた事に対して感謝を述べた。
次はランナーとして完走を目指すこと、そして子供が大きくなったら一緒に出場したいことも書き添えた。
フランス語が堪能なR姐さんに原文を翻訳してもらい、それを便箋に書き綴ってR姐さんに郵送してパトリック氏に手渡してもらった。

これでいい。彼が生み出したものによって人生が変わり、感謝している者が日本の片隅にもいる。そのことは伝わるだろう。

そしてパーティー当日、突然R姐さんから動画が送られてきた。
動画を開き、私は号泣した。

それはパーティー開場前にR姐さんがパトリック氏に私の手紙を見せ、それを読む彼の様子だった。
彼は時折深く頷き言葉を漏らし、そして目頭が赤くなって涙を流していた。最後には笑顔も見せてくれた。

伝わった。そのことが嬉しく、泣いた。帰宅中の電車の中だったが関係なかった。
妻にそのことを伝えると彼女も目頭を熱くした。
その後のパーティーでも彼は冒頭で私の手紙に心を動かされたと語ってくれたそうだ。

私も心を大きく揺さぶられ、翌日全ての予定をキャンセルして東京に赴いた。
ありがたいことにR姐さんの計らいでパトリックと一日行動を共にすることができ、彼と存分に語り合えた。

2018.1  東京の蕎麦屋にて

より深くなった感謝を伝え、様々なアドバイスをもらい、2020年大会での再会を約して彼と別れた。

だが約束の2020年大会はエントリーはしたもののコロナ禍により参加ができず、
延び延びとなってやっと今年約束を果たしに戻ってきたのだ。

パトリック氏は主催者としてとても忙しい。確実に会えるタイミング、まして話し込める”間”は限られている。

まずは、ここだ。この歓迎式でR姐さんと一緒にいるのが一番確率が高い。
R姐さんも「任せて。ちゃんとパトリックに伝えるよ!」と私の意図はしっかり把握されている。
ここでR姐さんが「伝えるよ」と言うのにはそれなりの理由がある。
パトリック氏はまず間違いなく私の顔を覚えていないからだ。
彼は、覚えない。なかなか覚えてくれない。R姐さんですらある時期までは「お前フランス語話せるのか!?」と毎度リアクションされていた程だ。
そんな彼が何年も前に少し会っただけの私の顔を覚えている道理がない。私もR姐さんもそれを理解しているが故の「伝えるよ」なのだ。

●歓迎式
ひとまずは彼の出没地点を確認できるまでの諸事を進めていく。
まずは入国審査。窓口が2つしかないので激込みである。
ただ前回は炎天下で外に並ばされたが、今回は建物内での待ちなのでゆるりと心静かに待つことができる。
モロッコの入国カードは2019年に廃止となった。それもあり特に問題なくスピーディーに通過。お次は預け荷物の受け取り。
荷物は次々とターンテーブル付近に並べていかれる。
中々出てこない自身の荷物を待つ間、その先の様子を窺う。
荷物受け取りの先ではまた行列があり空港出口まで続いている。その先にはバスが見える。
どうやら出口付近で何か手続きがあるようだ。
多分、この辺りでパトリック氏との遭遇がありそうな雰囲気だ。

荷物は無事手元に帰ってきた。受け取って先に進むと行列の脇に紅茶と豆菓子の提供があった。
恐らく大会中にも提供があるモロッコの紅茶メーカーによるものだろう。
アーモンドを齧りながら列の先を眺めると・・・いた!パトリック氏だ!
サングラスをかけディレクターのベストを着たお馴染みのスタイルだ。
氏が到着した選手に歓迎のハグをしている。

ゆっくり話したいから行列の最後尾で行こうとR姐さん。
最後尾なら長話で後ろが詰まることもないはずだなと同意し、更に付近を見渡す。
するとパトリック氏の近くにモロッコの空港集合の日本人選手3名が待ち受けていた。
ここまで自力で辿り着いた3名は流石にリピーターだ。
着ぐるみ姿で完走し、”牛さん”の異名で著名なY山さん、10年ぶり2度目の参加でスパルタスロンを始め様々なレースを走られているT本さん、
最狂の35回大会を完走し、今回はより上位を狙うH本くん。3名とも確かな実力者である。
現地先入りは大変だが利点として気候への順化を進めることができる。昨日は少しだが雨も降ったなどグループチャットで情報も提供してくれていた。
ただ、直前の4月20日までラマダーンに当たっていたため食事の確保が大変だったようだ。
ちなみに開催国のモロッコではイスラム教が国教のため、大会の日程はこのラマダーンの期間に大きく左右される。
通常であれば4月初旬から始まるMDSも今年は約3週間もズレての開催だ。

R姐さんは馴染みのスタッフを見つけて話している。やや年配のその男性はマーシャルの責任者らしい。

こんなところで焦っても仕方がないのだが、流石に列の進みが緩やかに過ぎる。
理由はどうやらテクニカルチェックのシートを持っているかのチェックも併せて行っているからの様だった。
提示する準備を行っていると苦い顔をしている男が一人。当人Y口くん曰く「パリに置いてきた(預けてきた)荷物に入ってる」
oh..どうすんだよと思ったが本人は焦る様子もなく、先のマーシャル責任者に事情説明。瞬く間に話を通してしまった。みんな対応力スゲーわ。

そうこうしているうちに他のチャーター便が到着し、空っぽになっていた入国審査はあっという間に大行列。
手続きを終えた選手達は当然こちらの行列に加わるため我らの最後尾ゆっくり長話計画は水泡に帰す。

テクニカルチェックシートの確認は簡易だったので先頭に達すればすぐに終了した。
そして、いよいよ待ちに待ったパトリック氏との5年ぶりの邂逅である。

R姐さん、更に一緒にいたJ子さんに対しては流石のパトリックも名前を呼んでハグ!
J子さんは女子最多出場者でもあるので早速メディアにも画をおさえられていた。
R姐さんもフランス語で再会を祝している。

再会したパトリック氏とR姐さん

そしてそれを脇で撮影していた私を指して何やら言ってくれている。
そしてパトリックがこちらを向き、笑顔でまさか過ぎる言葉を発する。

「ハジメマシテー♪」

ん?

豪快にハグ&握手
んん?

あ、こいつ・・分かってねーわ。

ハグを解くと彼は笑顔のまま同じ感じで後列の選手の歓迎式に移っていった。

目が合ったR姐さんが察して言う。
「パトリック私の話全然聞いてねえわ~」

ですよねー。
主催者として忙しいしね、また機会はいくらでもあるしねとR姐さん。
レース中に見かけたら今度は日本で会ったときの写真を見せるか・・

沢山ある今回の目標・目的が初っ端から躓いたことに少し気分が落ちそうになったが、
すぐこの後の本日一番の楽しみを思い出して持ち直す。

歓迎式のポイントから後ろに並んでいるバスに向かう。
R姐さんとはここも一緒に行こうぜと相談済みである。なぜなのか?
それはこのバス乗車のタイミングでロードブックが配布されるからだ。

●バス移動 ロードブックとのご対面
MDSのコースは毎年変わるのがお約束である。
競技としては初参加でも不利がないよう、運営面としても安全性の向上が理由としてある。
毎年変わるそのコースの情報一切は事前には公表されず、参加者がそれを知るタイミングはこのロードブックをゲットした瞬間だ。

このロードブックにはコースマップとして地形図とイラストの2種が掲載されている。
ちなみに、イラスト版はその独特のタッチからこのロードブックに「冒険の書」という愛称を付与している。
その他にも各ステージの距離、スタート時刻、打ち切りの制限時間、配水、チェックポイント(以下CP)の配置、
全体のスケジュールや諸注意など様々な情報が満載されており、且つ受け取ったと同時にレース中の必携装備となる。

上記の如くこのロードブックから読み取れる情報は果てしない。特にコースの地形、距離、配水は戦略に大いに関わる。
が、初見だとコースを見ても「ふーん」である。かつての私がそうだった。知識や経験がなく想像ができないからだ。

私とR姐さんが組んだのは、今回の日本人選手で恐らく我々2名が最もこのロードブックを楽しめるからに他ならない。
R姐さんは言わずもがな10回連続の出場で知識、経験ともダントツであり、大会の諸事情にも通じている。
私はリピーターとしては最小の2回目の参加ではあるが、前回出場の翌年=30回大会から故あって毎回コース資料を集めて内容を書き起こしており、
また出場者にも実際の内容の聞き取りをしているため机上の知識だけはかなりのモノを持っていると自負している。

MDS愛好者の2人が雁首揃え「今年のコースの具合はどうかな」と悦に入る至福の時間なのだ。

R姐さんと私は誘導されたバスにそそくさと乗車。だがすでにほとんどの席は埋まっていたため一番前の席に並んで着席。

MDS愛好者の2名


そして座るとそこには1.5Lボトルのミネラルウォーターが置いてあった。
「あっ」と思い手に取ると、やはりそれは今大会から公式のミネラルウォーターとして採用されたモロッコの「Aïn Atlas」だった。

大会公式ミネラルウォーター「Aïn Atlas」

この水はレース及びビバークでの生活水として定められた量が配布される。正に命の水である。
昨年までは長らく同じくモロッコの「Sidi ali」が採用されていたが(多分色々あって)今回から変更となった。
変更に際しR姐さんらサハラ仲間と成分がどう変わったか調べ、長距離練習時に成分の似たミネラルウォーターを多量摂取して身体にどう影響するかの確認を行ったりした。
ちなみに先の「Sidi ali」から僅かに硬度が上がったがカテゴリとしては軟水~中硬水なので日本人としては飲みやすい部類だ。
ただマグネシウムの含有量がやや多いため、元々サプリでマグネシウムを補給を予定していた私は配布量を見ながらその量を調整することにした。

このように、たかが水であってもそこから読み取れる、レースに影響する情報は多大である。
そしてその最上物がロードブックなのだ。

着席してそわそわしているとバスに同乗する女性スタッフが手に何か抱えてやってきた。
間違いない、ロードブックだ。
そして彼女は先頭で座る我々にこう尋ねてきた?「フランス語版と英語版のどちらがいい?」

MDSの主催者ではあるパトリック氏はフランス人であり、その運営団体のスタッフもフランス人が多い。
参加者もフランス語圏が多いため公用語としてはフランス語、英語が用いられる。そのためロードブックも両言語に対応しているのだ。
ちなみに公式HPなどではスペイン語の表記もあるため、もしかしたらこのロードブックにもスペイン語版が存在しているかもしれない。

私はどっちもダメだが、僅かにでもマシな英語版を選択。

きた・・遂に。
早速御開帳といきたいが右上にゼッケンナンバーを書くように言われたので失くす前にパパっと記入。
さあ、開くぞ!まずは勿論コースマップから!

まず目に入ったのは全ステージのコースをひと繋ぎにした地形図。

お待ちかねのロードブック・地形図


これには距離表示等がないのでひとまずサッと流すに止めたが、
見知った地形の位置関係に「おや?」っとある疑念が湧く。
「もしかして・・」と思いページめくって各ステージのイラスト版を順に確認していく。

「ない・・ない・・ない・・!」「・・メルズーガがないっ!!」

「尾西くん、チャリティーだ!」と、R姐さん。

瞬間、「いっしょしゃああああああぁっっ!!!!!」と私、大歓喜。

私のトラウマ、毎年恒例サハラ砂漠で最も美しいと呼ばれる「メルズーガ大砂丘」がタイムランキングステージのコースに組み込まれていない。
9年前、第1ステージのスタートからCP1までの15kmのコースのうち、3km地点以降がこのメルズーガ大砂丘(以下メルズーガ)の縦断だったのだ。
その年は暑く、かつ初日のため食料が減っておらずザックの重量はマックス。おまけにスタートに際し1.5L×2本の計3.0L=3.0kgの水が配布された。
15kmで3.0Lは多すぎると日本人選手でも水を1本破棄していく者が続出し、結果水が足りず地獄を見た。
私は安全を期して水を捨てなかったが、あの延々終わらない砂丘地獄とリタイアを報せる発煙筒の破裂音に苛まれ、
「初日のしかもCP1にも辿り着けず終わるのか・・」と精神を抉られた。結果的に完走はしたものの、今でも思い出すと粟が立つ。

今大会のモロッコでの集合地点であるエラルシディアはメルズーガから程近く、
ここが集合の場合に第1ステージまたは第2ステージで同地を縦断というある種のコースパターンが存在する。
記者会見などで一部を漏らす場合を除き、我々参加者が事前にコースを予想するのはこの集合場所と直近大会のコースパターンから読み解くしかない。
MDSのコースは毎年変わるというのは先に述べた通りだが、使用するエリアとそのパターンはおおよそ確立されており大雑把に言うと東進ルートと西進ルートがある。

一昨年、集合はエラルシディアの西進ルートで第2ステージにメルズーガ。
昨年、集合はエラルシディアの東進ルートでチャリティーステージにメルズーガ。

上記以前で集合が他のエリアの場合も勿論あるし、連続で同じルートだったこともある。
ただコロナ禍で一旦途切れた感があるので私は上記直近2大会を参考にしており、序盤でメルズーガが来ることを予想&覚悟していた。

が、それが見事に外れたのだ!
嬉しい・・。しかもランキングとは関係ないチャリティーステージでしかも縦断でなく横断・・。最高だ!
加えていうとメルズーガの砂は大変美しく、前回できなかった採集を考えていたため1.0Lのポリ容器を準備してきていた。
序盤で採集した場合は比重の大きい砂を完走まで持つ覚悟もしていた。
だがチャリティーステージであれば、配布の水のペットボトルを使って採集できるので嵩張りまくるポリ容器は不要となる。

まずは我が事成れり。やったやったと喜びながら各ステージの内容に目をやる。
ちなみに、朋輩のC守さんは序盤がっつりメルズーガを望んでいたので落ち込んでいた。

・第1ステージ(4/23)
 36.0km D+510m CP数2 スタート:8時30分/制限時間:10時間30分

・第2ステージ(4/24)
 31.7km D+760m CP数2 スタート:8時00分/制限時間:10時間00分

・第3ステージ(4/25)
 34.4km D+590m CP数2 スタート:8時00分/制限時間:10時間30分

・第4ステージ(4/26-27)
 90.0km D+1,330m CP数7 スタート:第1グルーブ 8時00分
 第2グルーブ 11時00分/制限時間:36時間00分

・第5ステージ(4/28)
 42.2km D+650m CP数3 スタート:第1グルーブ 7時00分
 第2グルーブ 8時30分/制限時間:12時間00分

・チャリティーステージ(4/29)
 9.0km D+不明 CP数0 スタート:9時00分/制限時間:なし

最初に感じたのは第4ステージ、通称オーバーナイトステージの長さ。90.0kmは過去大会を見ても指折りの長距離だ。
ただ、MDSの総距離は大体決まっているので、ここが長いと他が引っ張られて短くなる。
第5ステージはその通称がマラソンステージであり距離は42.2kmというお約束のまま。
なので実際は前3つのステージが(第1ステージが初日としてはやや長いものの)短距離となり、今回もその様な趣きとなっている。
これも私にとってはかなり嬉しい距離設定だった。
MDSに向けて本格的にトレーニングを始めたのは本番まで4ヶ月強となった12月初旬。
身体にびっしりついた贅肉を削ぎ落とすとともにMDSの距離感に合わせるため30~40kmのロング走を主なトレーニングとして頻繁に走った。
最終的にはこの距離が私の最も上手く走れるシチュエーションとなったので、この3つのステージは正に適正距離であると感じた。

続けて「どの年と同じ」コースかをR姐さんと共に探る。
使用するエリアとそのパターンはおおよそ確立されているというのは先に述べた通りだが、ある年と全く同じというパターンもまた多い。
R姐さんは2013年28回大会以降の全てを自身の足で踏破しているし、私は「サンドネ」というMDSのファンサイトをお手伝いしている関係でおおよそのパターンは記憶している。
同じパターンのコースであればその経験者にコースマップを眺めるだけではわからない地形や難度を確認することもできるし、気候条件は違うが記録を見ればある程度の参考にすることもできる。

記憶を探るとともにスマートフォンに準備していた29~36回大会のコースマップを確認する。
第2ステージの尾根伝いは特徴的なのでそこから探していく。33回大会は、この尾根も使用しているが第3ステージでありここに至るまでの道程が異なる。
後半のステージはよく使うコースなので被っていることは多い。
私も前回はここを西進した。
今回は東進なのでこれで両方踏破できるねとR姐さん。やったぜ。

確かに見覚えあるんだけどなぁ~とR姐さんと引き続き記憶を捻る。
あとこのコースで特徴的なのは通称「アイツ」。MDS御用達の標高741mのEL OTFAL jebelの往復である。

「これにR姐さんがハッと気づいて30回大会と同じかもと呟く。・・む、確かに記憶では30回大会はアイツを往復している。
この年はコースマップの表現クオリティがなぜか著しく低い落書きレベルだったので、先にサッと見比べたときは結びつけることができなかった。

で、どうやら当たりっぽい。

サンドネ設立前の大会ではあるが、友人が出場していたのでそのときの資料を漁って確定ができた。
30回大会は記念大会であり、オーバーナイトステージは過去最長の91.7kmであった。
オーバーナイトステージ含め各ステージの距離が僅かに違うが通過ルートは同じである。
また、R姐さんによると中盤は異なるものの28回大会にも似ているとのこと。
と、いうことは私が気になっている尾根伝いは、今回の参加者でいうとR姐さんを含めて6名は経験しているはずだ。後ほど意見をいただくことにする。

確定できたところで日本で情報をまっているサハラ仲間にマップの写真を送・・ろうとしたが送信が完了しない。
テキストすら送れない。モロッコに着いてからahamoのローミングが不安定なのか回線は掴んでいるが送受信ともにできなくなっている。
同じくahamoだがデュアルSIMで副回線を用意しているR姐さんは送受信サクサク。=モロッコでahamoならデュアルにしておくことがオススメです。

そんな訳でR姐さんから仲間に情報を送ってもらう。
彼らはそれを使ってコース解説を作成し、また公式で発信される情報をまとめて「サンドネ」にアップする。
MDS期間中、日本で応援している参加者の家族や愛好者に楽しんでもらうためだ。
今回のコース解説はちょうど30回大会に出場した干支がひと回り上の我がパダワンなのできっと生き生きとしたものと成るだろう。

バスはすでに出発している。
バスの大きなフロントガラスにばっちりひび割れが刻まれているが誰もそんなことは気にしない。
懐かしい茶色い風景が流れていく。

茶色い景色。前を走るのは先導車

揺れる社内で私は続けて各ステージのCPとそこでの配水量を確認する。
各ステージのCPの数は基本的に距離に依って増減する。
第1ステージは3つあってもおかしくない距離ではあるが2つ。第2、第3も2つ。
長尺の第4ステージは7つ。フルマラソン距離の第5ステージは3つ。
配水は第1〜3ステージは1.5Lまたは3.0Lの組み合わせでそれぞれ計4.5L。
暑くなった場合はかけ水としても使用するので量にやや不安が残る。スタート時に3.0L持てるように調節しよう。

第4ステージは3.0L配水されるCPが多い。
レース中に調理で使うことが考慮されている故だろうがありがたいことだ。
マラソン距離の第5ステージは計6.0Lと厚めである。

配水量によって電解質などを配合したドリンクパウダーの量も調整するのでこの時点で一旦の数量を決めておく。
また、行動食やサプリメントの補給は基本的にCP付近で摂取と決めているのでその数量もCP数で増減させる。
これらはビバーク(宿営地)に着いてからでもできることではあるが、その為の時間を他の事や再検討に回す方が有意と考えている。

そして続けて各ステージの地形を眺め、おおよそのイメージとどう対応するかを思案する。
今年はご丁寧に獲得標高まで記載されている。
山、丘陵、砂丘などの合計なのだろうがどのステージも大した数字ではない。
個人的にMDSはトレイルよりロード寄りのトレーニングをした方が利があると考えている。
その理由はこの獲得標高の低さだ。
コースで使用するエリアが限られている以上ここは大変わりしない。
よって私のトレーニングはほぼロードであり、
トレイルにいたっては登り用の筋トレと最後のひと月に合計100km程度走ったに過ぎない。

ただこれはトータルで考えた場合の話で、局地的には当てはまらない箇所がままある。
その代表的な例が第2ステージと第4ステージに配置されている例のアイツである。
どちらもCP2の後に配置されているが進入路が異なる。第2ステージは北から入り、第4ステージはその反対の南から。
北からのルートは前回経験しており、その登りのキツさはまだ感覚として残っているし、下りはややテクニカルなガレ場だ。
南からのルートは聞いた話だがガレ場を緩く登って下りは砂地を一気に駆け下りれるとのことだ。

トレイルの経験が浅く、また苦手ともしている私は北からのルートは登り下りともにまた苦労することになるだろうとこの時点で察した。
その他にも第1ステージ中盤の丘陵の連続、第2ステージの前半の山ラッシュでは後れを取ることも飲み込んだ。
逆に各ステージに散りばめられた砂丘は大体みんな遅くなるので順位維持に徹しよう。
ステージ後半の景色が変わらず集中力が途切れそうになる長くつまらない平坦は、逆に最も得意とするところなので上手く動こう。
CPの数が少ないが、貴重な陰のある休息所なので私と争うレベルの選手ならここで道草を食う者が多く出るだろう。最短で出立すればいくらかタイム差を稼げるな。
第4ステージ(オーバーナイトステージ)は思っていたより長距離だが逆にチャンスだ。
これだけ長ければ上手くこなせば大きく総合順位を上げれる。後半の難度が低いので日が暮れてからが本当の勝負だな。

などなど、地形を鑑みつつどうすれば足りない実力で他の選手に追いすがれる、あるいは差をつけれるかを思案していた。
この思考は、私が今回の目標というか矜持にしていることでもある。
それも含め、諸々の目標の様なものが心中には無数にあって、改めて書き出してみると大小なかなか沢山だった。

まず、必ずそうすると固く誓っていること ※一部レース後も入ってます
・徹底徹尾の自己管理
・速く走るではなく、気候と地形に折り合いをつけて上手く走る
・積み上げ、考えた方策の答え合わせ
・できる限り走って完走
・上位300~400位以内
・こだわってきたオーバーナイトステージは最大限の結果を出す
・オーバーナイトステージは寝ず甚八の起きた総司
・オーバーナイトステージで灯りを消して夜空を眺めながら走る
・パットリックへ感謝を伝える
・R姐さんの業務補助
・R姐さんとC守さんの骨肉の争いを見届ける
・ブリーフィングは最前列で映像に映り込む
・家族の写真をフィニッシュで掲げる
・メルズーガの砂を持ち帰る
・平穏無事なトイレライフ
・ここが私のアナザースカイ
・4年間我慢して膨れ上がった酒への渇望を、仲間との祝杯で世界一美味い一杯へと昇華させる
・我慢していたスイーツの解禁は世界一のパティシエのケーキで
・子供たちが将来一緒に行きたいと思う映像を残す
・妻へのお土産を沢山買う
・妻に褒めてもらう

続いて、他力も絡むができ得てほしい、経験したいと考えていること
・知己の仲間の完走を見届ける
・テント仲間全員の完走
・日本人選手の表彰式登壇
・暑くなく涼やかなサハラ
・砂嵐に遭ってみたい
・サソリを見る
・ラクダに乗る

最後に、難しいがもしできたら最高だなと考えていること
・上位200位以内
・第2グループのスタートを味わう
・第2グループで走って第1グループの日本人選手に声をかける
・第2グループでR姐さんに追いついてこれまでの礼を伝える

難しいだろう、と考えている200位以内は随分前に、多分5年ほど前に一度だけ口にした。
だが自分程度には恐れ多いなと早々に下方修正し、直前のSNSでの決意表明でも文章の最後に隠れるように(しかも具体的な順位は抜いて)付け足すに止めた。
前回の参加時に第2グループで私を抜いていった日本人選手の背中に憧れを抱き、
いつか自分もあんな風に走ってMDSを完走できたら最高だろうなと考えていた。
また、もしそれができれば今回初参加の日本人選手に同じような想いを抱いてもらえるかもしれない。

ロードブック絡みの思考をひと通り終えて、思う。
決して自分に不利なコースではない。大崩れしなければ300位代は大丈夫だろう。
後は、天候次第。入念に準備している者が有利になる舞台が整えさえすればあるいは・・

●ランチタイム
出発から1時間程度だろうか。
バスが停車した。トイレタイムだ。
バスの外は荒野。施設の様なものは見当たらない。当然、そういうことだ。
男性はそこらで並んで、女性の多くは遥か彼方で用を足す。
そういえばパットリック氏が言っていた。
「最初は遠くに行く。だが数日もするとテントから5mで用を足すようになる。それが自然だ。」、と。

私は別段尿意はなかったが、しばらくするとどうやらここでランチタイムも兼ねるようなので外に出る。
バスの貨物室に搭載されていたランチパックをスタッフから受け取る。
茶色の紙袋の中にはツナ缶、モロッコ定番のパンであるホブス、チーズ、オレンジ、胡桃とデーツ、オレンジジュースなど。
これを車外で食べろとのことだ。暑いわアホか。

陰を求めたがそんなものはないので腹を決めて日本人選手と並んで日向でいただく。
ツナ缶は油モリモリでホブスに絡めて食べると美味であった。スプーンとかないからそうせんとすくえないしね。
このランチパックは年々クオリティが劣化してるとのこと。そういえば以前はもう少し豪華だった気がする。
オレンジは生モノなので一応食べ控えた。

そういえばバスは何台か連なっていたが、外で食べていないバスもあったような?まあこの辺は当たり外れあるよね。

乗車し、点呼の後に再出発。
相変わらず茶色い風景をバスが連なって進む。ちなみに先導の車両も付いている。
そのうち、同乗のスタッフの無線の発信・受信が頻繁になる。
ちなみにこのスタッフともR姐さんは沢山話しており、R姐さんがオーバーナイトステージで大ロストかましたときの顛末も他のスタッフから伝え聞いており盛り上がっていた。

空港を出発してちょうど2時間ほどだろうか。
バスが舗装路を外れて脇の砂利道を進み始める。
もうすぐかなという期待感とこんな観光バスでこの路面は大丈夫なのかよという心配が同時に沸き立つ。

舗装路からだいぶ進み、反対からくる参加者を降ろしたであろう別のバスと擦れ違い、
やっとそれは見えてきた。

9年ぶりに、ビバークに帰ってきた。