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#7 ひとりの

ひとりでカレーを食べに来ている。今はそのカレーを待っている。人気のカレー屋さんで、並んでいたら諦めようと思ったけど、幸い割とすぐに入店できたので、ほっとしている。もしここがダメならラーメン屋さんと決めていて、そこも早くまた行きたいなと思っていたところだから、それだってよかったし。なんとも自由で気の休まる時間。自分が行きたいところ、食べたいところ、それだけを理由に行き先を決めてすぐに出発できる。それがどんなに安らかなことか。娘が産まれて2年半。少しずつ少しずつ取り戻している。自分を、なんだろうけど、自分がそもそもこれと言い切れず。だけど取り戻す、という表現が合っているこの感覚。ちょうど一年前くらいから、月に一度二度、ひとりで出かけることができるようになった。いつも私と一緒の娘を、夫に長い時間預けられるようになったことがとても大きい。それと同時進行で、ひとりの時間が必要な性分だとあるヒーラーさんに教えてもらったことや、メンテナンスできるサロンができたことなど、いろいろなことがあり、ひとりの時間づくりが日々の大きな楽しみとなった。

と、ここまでがその当日のメモ。
ここからは、その後何日かしての文章。

noteを始めてから日常のあらゆる場面で、このこと書きたいっていうことが降って湧いて、消えていく。。なかなかタイムリーには書き残せないことばかり。私はいわゆる専業主婦なので、日中子供がひとりで落ち着いて過ごしている時は、好きなことをする選択もできる。だけどそんな時はたいてい、やっておきたい家事をする、トイレに行く、インスタなどのさっと見られるSNSを見る、ぐらいのサッとできることをする。もっと時間ができれば日記を書く。でもそのくらいの時間がある時は娘と遊んであげたいとなるので、noteを書く、までのひとり時間レベルには達しない。そもそもスマホなどを触っている様子は、できるだけ娘には見せたくない。そのマイルールで自分を縛るほどではないし、そんなにも書きたいのなら開く。でもこういうことは、娘が眠ったあとに静かにやりたい。

ひとり時間はもう十分全うした、となったので妊娠したいと思ったのは、現在に至る大きな経緯。パートナーとは一緒にいても独りみたいな付き合い方が極まっていた。子供が居る今、かなり波はあるものの、もし今娘が居なくなったら(超仮定)divorce して新天地で新人生スタートしたる!!っていう野望もある。どうなっても楽しくやり直せる自信がある。なんて、大口叩いて実際どうなのか、、なんて続けないと落ち着かないのが私の性分(いちいち書く)。子を持たない選択をした夫婦に何組か出会う機会があったけれど、皆2人だけの時間を楽しめる関係性だった。同じ映画を見て楽しんだり、おしゃべりしながら散歩したり、一緒にお酒を飲んで語らったり。それなら子供が居ようといなかろうと、幸せだし楽しいよね。漠然と夫婦とはそういうもの、そうなるものと想像していたけれど、私たちの場合は違ったみたい。そんな自分達がかっこいいと思ってもいた。だけど、その「個か一緒か」のバランスがあまりに個に傾きすぎると、こと夫婦という関係においては、関係の維持に支障をきたすように思う。これが私達がなんだと胸を張っていられる時もある。でも、消えてなくならない共有したいという思いが、寂しさとなって心に影を落とす。落としたまま、子を授かり、育てる毎日に移行して、今。でも娘が育つほどに、共有が叶う瞬間が増えている。何度も「個か一緒かのバランス」のことで衝突したけれど、ただひたすらにかわいいひとのおかげで、なんとなく解決されていく。うやむやになる、だっていい。曖昧だけどなんだかいい感じ、そんなときが増えたことは確かなんだから。私達はやっと家族になってきたような気がする。

そして現在、ひとり時間を心待ちにして、訪れることでこんなにも噛みしめているのだから、やっぱり個の比重多めの私。だけど今は、ひとり時間も家族の時間も楽しめるという、思えばなんて贅沢な暮らしなのだ。もしかしたらこの先、夫と夕方に散歩に出かけ、夜になったら2人でおしゃべりしながらお酒を飲んで映画を楽しむかもしれないし。そんな未来を想像してワクワクして、楽しい。

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