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もういいよ#10 ひとにはひとので、みんななかよく



映画「魔女の宅急便」鑑賞方法の変遷



私の大好きな映画「魔女の宅急便」は1989年12月に公開されたもので、私は当時小学一年生だった。でも実際に鑑賞したのはその数年後、たしか小学校3年生くらいだった気がする。金曜ロードショーで放送されたものを視聴したのだった。そしてそのときVHSに録画したものを、その後ビデオデッキが失くなるまで、くりかえしテレビで観た。

DVDで初めて鑑賞したのは大人になってからだけど、いつだったかは覚えていない。私にとって魔女の宅急便を鑑賞するのは、あの古いVHSの再生か、金曜ロードショーで放送される時の視聴によるものであり、そんな方法よりずっと便利で何倍も美しい映像と音でDVDやBlu-rayから再生されるそれではなかった。いまでは海外からもNetflixで視聴できるくらいだし、よろこんでその恩恵に与ればよいのだけど、なんだかそういう気にもなれない。


この部屋のシーン、解像度が上がると
いまだに初めて気づくことが多い



娘が生まれて図書館に行くことが増えてからは、DVDを借りて観る機会が増えた。その頃にはもはやDVDすらあまり主流ではなくなっていたものの、プレーヤーは持っていたし、いざ再生しても集中して数時間、テレビの前に居続けられる生活ではなくなっていたため、ちょっと気になる映像作品を無料で借りてきて、観れたら観る程度の鑑賞にはちょうど良かった。

その時にもしかしたら、魔女の宅急便を初めてちゃんとDVDで鑑賞したかもしれない。ずいぶん久しぶりに観たタイミングだった。そんなに好きならDVDを購入して手元に置いておけばよかったのに、上記の理由というか経緯から、DVDを手に入れるまでの熱意がなかったのだ。


というか、しょうみな話
当時の私にはDVDって物入りだったのよね



Netflixでジブリ作品を観ることができるほど日本のアニメーション作品が海外でも人気がある理由は、作品のクオリティーの高さや普遍性によるものだろうとなんとなく解釈していた。実際は、ここ数年続く90年代から00年代カルチャーのリバイバルも、大きな理由のひとつのようだ。こんなことはとうに出ている見解だが、そういう考察をわりと最近初めて聞いたとき、感心してしまった。ジブリ関連の作品は、「となりのトトロ」や「風立ちぬ」、「火垂るの墓」のような、昭和を描いた作品の印象が強い気がしていたけれど、「魔女の宅急便」「千と千尋の神隠し」「崖の上のポニョ」などの大ヒット作品は平成のど真ん中に公開され、今では言葉の壁を越えて愛される世界的作品となっている。

ちなみに、当時子どもだった私にとっては地味な印象しかなかった「海がきこえる」は、SNSで映像の切り抜きが「おしゃれでかわいい」と話題になったことを機に、昨年、映画がリバイバル上映されたり、31年を経てビジュアルブックが販売されていたらしい。



ちょうど同じころ、アメリカでも大手の映画館で、ジブリ映画のリバイバル上映がされていた。私がそれに気づいたのは昨年の夏だったけれど、どうやら一昨年にも同じような期間があったようだ。アメリカにおける、昨今の急速な日本のアニメーション作品やキャラクターものの人気の高まりはものすごく感じていたけれど、これほどまでに安定した人気があることにとても驚いた。

そして私は、念願の魔女の宅急便の映画館での鑑賞を、アメリカの映画館で果たすことになる。クロネコヤマトの宅急便のCMや水野晴郎さんと制作陣の対談を早送りする必要がないだけでなく、おそらくテレビ画面では確認しづらい細かな背景も確認できて、何しろ高音質の大音量による映画鑑賞だ。いくらでもおうち映画を楽しめるようになったけれど、いつか映画館で観てみたいと願い続けながらほとんど諦めていた、映画館での上映。しかも日本語音声の英語字幕付き。落ち込むこともあったけれど、大人になってよかった。


こんな感じで、他にもポニョやハウルなど、
たくさんのジブリ映画を上映していました




映画館で観る夢が叶った日



良席をあらかじめ予約し、満を持して臨んだその日。私は冒頭の、主人公のキキが田舎の湖畔で、ラジオを聴いているシーンから胸がいっぱいになっていた。この、ヨーロッパの静かな片田舎といった風景に、今すぐトリップしたいと願った高校時代。具体的な将来の目標が決められない曖昧な自分の中に、その思いだけが強烈だった。オープニング、荒井由実の「ルージュの伝言」が流れる頃にはもう、溢れるものがあった。


「私のおばあちゃんに似てる」って、
全国の少女が思っていたんだろうな


小学生の頃初めて鑑賞した時は、おもしろいとは思ったけれどそこまで感動はなく、むしろ大人になっていく過程の中で、この映画は私の心に刺さりまくっていった。すべてが理想的な世界に途方もなく憧れたし、同じ女の子としてキキに共感し、彼女のひたむきさに学んだ。キキを取り巻く登場人物ひとりひとりに思いを馳せるようになったころにはすっかり大人になっていて、母になってからは保護者の視点からキキの成長を考えるようにもなった。

そしていつからか、鑑賞を始めると反射的に、自分でも収集がつかないほど様々な思いが一気に去来してたまらなくなるようになった。かつてこの映画を、何かから逃げるように、何かにすがるようにVHSでくりかえし観ていた自分。そういう時私は、だいたい自分のふがいなさ、情けなさに嫌気が刺していて、現実には不満を、未来には不安を感じていた。社会人となり、少しずつ大丈夫になってから鑑賞しても、当時の複雑な思いや感覚は残像のような姿で蘇った。


がんばれ!!



私がどんな状態で鑑賞していようと、物語はクライマックスに向かう。結末を知っているのに、毎回震えるようにしてキキに、「がんばれ!!」と言ってしまうのはなぜだろう。心臓がばくばくしていて、もはや誰の、何に向けられている声援なのかわからなくなる。一瞬時が止まり、迎える大団円で一気に緊張がほぐれる。と同時に、よろこびと安堵と、どこからかやってきた黒猫のジジの”猫みたいな声”にどうしようもないせつなさを感じ、小さな諦めを強いられる。

ハッピーと残酷が共存する瞬間。私たちはもう後戻りできないこと、次のフェーズに進まなければならないこと、でもそれは決して悲しいことではないことを受け入れる覚悟が、まだ頼りないけれどたしかに決まる瞬間。トンボがどこまでも能天気でいてくれることが救いだ。そしてエンディングの「やさしさに包まれたなら」が流れ出す。



そのとき、びっくりする速さで場内のライトが全開で点いた。


え!と思った。
え!まだ終わってない!と思った。



でももちろん再び暗転することはない。「終わりでーす!」だ。でも私はまだ観終わってはいないので、状況に面食らうも立ち上がらなかった。嗚咽にとどまらず、軽く声を上げる程泣いているのだ。退場の準備なんてまったくできていない。私にとっては、この映画はキキが両親に宛てた手紙を読み終わり、「おわり」の文字が画面に出る最後の最後までが、当然のごとく観るべきそれなのだ。



すると、後ろに座っていた10代くらいの若い女の子たちが「So Cute♡」と言った。え?と思った。ただでさえ、あまりに早すぎる場内の点灯を呑み込めないでいる。So Cute?いったい何がCuteだというのだろう?…あ、キキとかジジのビジュアルのことか…少し考えて、そう思い直した。でも、この映画を観終えて一発目に出る感想が、それ?



なんだろう。なんだかとてもあっけない気持ちになった。周りを見渡すと、同行した娘と夫を含む私以外のほぼ全員が、席を後にしている。いや、そりゃ、きっとこの中で唯一のリアタイ勢だと思うし、日本人だし、年季の入った古参のファンだろうし?…その優越感もなかったわけじゃないけど…他のお客さんはそんなに思い入れとかないかもって思ってたけど…。いろいろと大きい温度差にうろたえながら、夫と娘を追いかけるようにして会場を後にした。


たしかにかわいいの
このラジオのポーチほしい!




ひとにはひとの、に尽きるしかなさそうなこれからの世界




その体験で考えたことは、これだけ長く愛される作品は、もちろん時代や世代によって受け取り方が違うし、感想や、作品に興味を持つ理由もさまざまだということだ。当たり前すぎるけれど、いつもひとりで観ていたから、そんな、他者の感想をなんとか受け入れるための考察なんてしなくてよかったから、当然の事実に実感を伴うことができていなかった。私にとっての鑑賞後一発目の一言が「So Cute♡」ではないだけで、ただ魔女の宅急便のビジュアルがかわいいから大画面で観たかった、そういう方もいる。ただそれだけのこと。

でも、なんか私、ものすごくひとりで浸っちゃって、ノスタルジーに酔っちゃってたなあと、ちょっとだけ恥ずかしくなったのも事実。だけど、ひとにはひとの魔女の宅急便なのだ。いやでも、私これでも普段からけっこういろいろ許容できる方でみんな違ってみんないいと思っていてそういう心がけでやってるし、基本的にアップデートできる大人でいたいのだけど、魔女の宅急便はひとりで、または内輪で観るのが一番と思ってしまった。


ジブリ映画のみならず、スーパーマリオにサンリオ、ポケモンやその他アニメまで、日本のカルチャーやキャラクターの人気はここにきて、売れる、かわいい、おもしろい、などともてはやされ消費されるフェーズを抜け、もっと揺るぎない存在として海外に定着してきていると思う。

私が暮らす地域にアジア人が多いから、手に入りやすい場所に見知った物を見かける機会が多いからだとしても、数の増え方がすごい。カルチャーが人種や世代を問わず多くの人の心をつかんでいると言ってよいか、信用があると言ってしまってもよいか。強がるつもりはないけれど、現地の方が「次の休みは日本に行きたい」と口を揃えて言うのは、円安だけが理由ではないだろう。


そんな折、招き猫と台湾風ラーメンと小籠包と餃子の絵が同居している”アジアっぽ”なポストカードを見つけた。おそらくアメリカ人のアーティストが描いたものだ。アジア人としては逆に、その違和感がかわいく感じたりもするから、かわいいも人それぞれ、ヒットすれば儲けもん。旧正月はアメリカの大型ショッピングモールをあげてお祝いされる程に定番化したし、K-POPはみんなずっと大好きだしで、そういう潮流が日本人気を押し上げているのかもしれない。

アメリカン招き猫、Lucky cat


文化の線引きが曖昧になることが、正確な発祥や発売元が忘れ去られていくことになるかもしれないことを懸念したりもするけれど、一方で、みんなひとつになったらいいなんて想いもある。もちろん搾取や強奪によるものでない、自然と調和し共存した結果の、「ひとつ」だけれど。



そういえばXのおすすめに上がってきた何かで、ハローキティが世界でどんどん商品化されて消費されることに対し、サンリオの方が、「サンリオの企業理念は『みんななかよく』だから、一人でも多くの人が笑顔になってくれて、世界中に幸せの輪を広げていけるなら本望です」のように答えていて称賛の嵐。といった内容の記事を読んだことがある。もちろん、日本から生み出されたすばらしい何かは正しく商標登録されて、しかるべき形で商品化されなければならないことは前提にあるけれど、なんとも日本人的で調和的な精神性にシンプルに感動してしまった。




日本人は議論や交渉が苦手で、世界と対等に関わっていくには堂々と主張する態度を身につけないといけないとかなんとかもう、さんざん言われてきているし、私もかくあるべきと信じてきた。だけど最近は、民族的な特性を考えるとか、そうした態度を日本人に求めることにそもそも限界があるのかもなんて思う。

開き直る形で、「主張するほど譲れない意見、ほぼ無し!この場が収まるならだいたいのことは合わせる!」とすら思う。そしてそれを恥じる必要もないし、心からの強い思いがあるときに、自分なりの伝え方で伝えればいいのでは。ビジネス、となればそうも言っていられないかもしれないし、その文脈でダメ出しされてるのだとも思うけど、地球の大転換期を迎えた後の世界で、日本人のどうにもこうにも調和を重んじてしまう国民性がポジティブなものでしかなくなる、はあるかもしれない。



私が生まれ育った国のカルチャーが、しかも自分の青春時代のそれらが世界を席巻していく様は、誇らしいようなおもしろいような、不思議な気持ちだ。それが、かつて好きだった懐かしい過去のものではない、今現在も大切な何かであるとき、不思議がる余裕はなく単純に複雑な気持ちになるのも本音。それでも、同じものを見ていても、違う国の違う世代の人の目には違って映ることや、違った形で継承されていくことは大事で、そうやって文化が伝わった先にいるのが私たちだとしたら。

まだ、「”老害”認定されてもかまいやしない!!」の域には行けないけれど、「若い人の好みもわかってる」風の大人になるのも嫌だから、やっぱり自分だけのアンテナは好奇心のままに働かせて、誰に迎合したり怯えたりするでなく、こんな時代だからこそのいいところどりで楽しくやっていきたい。

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