22歳になりました
2021年2月1日、わたしはついに22歳の誕生日を迎えました。
あっという間にこんな年になってしまった、というのが素直な感想で、未だに18歳だったときの夢見心地のような感覚を覚えている。今のわたしはどう見えているのだろうか。
ここ数年、幸せな誕生日を過ごせた記憶がなかった。そんなことを言ったら、祝ってくれた人たちにとても申し訳ないけれど・・・18歳から21歳までわたしは学生じゃなかったから、今まで当たり前のように過ごしていた学校の友達というのがいなくなって、自分でなにもかも決めていかなければいけないという経験をして、今思えばわたしは孤独だったのかもしれない。学位ももらえない学校に通わせてもらうという贅沢なことをしていたという思いもあるし、わたしなりに頑張っていたという思いもあるし、だけど結局はただの金食い虫だったような気もする。いや、今もそうかもしれない。今のわたしはなにも持っていない気がする。
悲しいかな、誕生日とは本当に辛いものだった。
誕生日に限ったことじゃないけれど、節目節目に自分はなんで生きているんだろうって考えてしまう。なにも成していない、なにも持っていない、なんでわたしという人間が生きているのか、なんのために生きているのか。
死にたいとかそんなこと言うべきじゃないけれど、わたしは自分に噓がつけないし、つきたくないから22歳のわたしはせめてここでだけでも、なりふり構わず自分の思いを書くということをしてみる。かすり傷みたいな苦労しかしてないような人間が死にたいとか戯言でしかないことは分かっている。けれど、辛くて、辛くて、コロナの影響で家に缶詰めになった2020年は必死で日常にしがみついていた。早く解放されて、「自分」になりたかった。言い訳だろうけれど、1年が忙しすぎて、目まぐるしすぎて、必死に置いていかれないように頑張ったけれど、代わりにわたしはなにか大事なものを失ったような気もする。一時的に拘束から解放された今は、時間がなくてできていなかった自分のやりたいことをして、様々な感情を描いて、自由に創作をしている日々が充実していると言える。
先日、三浦春馬さんが主演を務めた「天外者」という映画を見た。ここでは内容には触れないけれど、今では彼の遺作となってしまったこの作品を通して、わたしはなにかを学んだような気がしている。一所懸命に、この身が尽きるまで、なにかに取り組んだということはあるだろうか。彼の体当たりの演技を見ていて、燃え尽きるような感覚を得た。三浦春馬さん演じる五代友厚さんは49歳の若さでこの世を去ってしまうのですが、自分のすべてを、一生を捧げて、時代を、社会を変えようとする姿にわたしは圧倒され、彼が選んだ選択について少し思いを寄せた。
きっと、陽はまた昇るんだと思う。山あり谷ありだってことさえ分かっていれば、辛い気持ちになっても乗り越えていけるんだと思う。ネガティブなことをつらつらと書いたけれど、普段はとても楽観的だって自分でも自覚してる。
誕生日祝いのメッセージをくれた方々、どうもありがとう。この記事を読むとは思わないけれど、わたしはあなたのメッセージをもっと大事に受け止めるべきだなと思う。
誰か、芸人さんが言っていたことが印象的だった。彼女の新年の抱負は毎年同じなんだそうで、それは「生きる」ということ。なんて素敵なんだろうと思った。命の重みを量ったり、物事に意味や目的を求めたり、自分もしてしまっているけれど、これってすごく息苦しいことだなって気付いた。なんか、馬鹿みたいだなって。もっと、上を向いて、笑顔で、理由や目的より自分の思いや意思を尊重することを大事にしたい。「幸せ」を優先する生活を忘れないようにしたい。これからも、よろしくお願いします。