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ココ観ました。
さあうたえ! ザルード!
誰よりも強く
恐れはしない
われら森の血
声をあげろ!
われら森の血
声をあげろ!
ここ毎日イベントのことばっかり書いてましたが、ちょっと気分転換に映画の感想を書きます。
考察とかじゃなくただの感想なので、全然整理できていません!
寿司20皿分食った後に視聴したので、前半ぼやぼやながら観てたりして、そんな深い考察がまだできてないんですが、ムビチケがまだ1枚あるので、
一旦感想を整理して、しばらくしてからまた観に行きたいと思います(もしくは誰かいきましょう)
ポケモン映画ガチ勢のみんな、浅い感想で許してくれ!また舞台挨拶でなに話してたか教えてくれ!!またコマ送りできる世界になったら僕に解説してくれ!クイズ出してくれ!!たのむ!
ネタバレを多分に含みますので、まだ観てきていない方はこの3連休中に観てきてください!
前評判
前評判がめちゃ良かった。まあもちろんみんなポケモンだいすきで良識ある人なので、わざわざタイムラインでネガキャンするような人がいないのはわかってるんだけど、
それにしたって観た人のぶっ壊れ方が半端なかった。いや、もともとぶっ壊れてる人ばっかりだけど。
泣いたところ
最初のところから世界観が素敵で結構じんわりきてたけど、すするくらい泣いたのは3回ありました。
・父ちゃんが森のみんなに頼みにに行くシーン
「フライゴンは~…テッカニンは~…モンメンは~…」っていうところ。
あ~~~ちゃんとココの話聞いてたんだね~;;知ってたんだね;;覚えててくれたんだね~~~;;;んわー!ありがとう父ちゃん
・「親になるっていうのは…」のシーン
この映画のピークだと思いますけどね。当然泣いた。
「大人だからわかる」みたいなのはこっから来てるんだろうなー。子供いないけどたしかに子どものときはわかんないのかもなー。でも子どもの時に観てもめっちゃいいシーンだったと思うよ。
・「おれ、これ、いれてない」
僕、一番好きなシーンここです。
ここで涙腺決壊した。いまも文字打ちながら泣いてる。あ、やっぱもっかい観に行こ。絶対いこ。
一回サトシと別れた後、ストーリー終わりかぁと思ったら、もう一回サトシとあって、なんかすっころんで、「え?突然どうした?」とおもったらこれよ;;;;
だってさ「俺はポケモンで人間で」とか「親になるって」とかのシーンももちろんめちゃいいんだけどさ、ストレートにキャラに代弁させるのももちろんいいんだけどさ、
こういうさー、言葉にしないけどわかってたみたいなのを最後の最後にもってくるのずるいな。自分らで言ってただけじゃなくて、ほんとにココのことほんとに思って通じ合ってたってことじゃーん。ベタだけど!たしかにベタだけど泣いちゃうよ;;あの花火ぜんぶ伏線だったんかいな~~;;;父ちゃん、父ちゃ~~~ん;;;誰がなんといっても、あんたがほんとの父ちゃんだよ;;;
そんな感じで感情の大洪水。泣いたよ。いい映画だった。ありがとう父ちゃんありがとう;
おもったこと
ちゃんとまとまってないけど、キミに決めたあたりから思ってたことを書くよ。
キミに決めた以降、ポケモン映画ってちょっと変わったと思っていて、
起こっていることでいうと、パラレルな世界観になってますよね。
そこまでのポケモン映画って、アニメの世界観と地続きになってたけど、最近のポケモン(ミュウツーは除く)はサトシとピカチュウというところは同一だけど、アニメとは違う時間軸のパラレルサトシですよね。たぶん。キミ決めなんかは特にそうだし。
僕は「みんなの物語」が一番好きで「ココ」もそれに匹敵するくらい良かったので、とても良いと思うんですけど、意味としては「主人公サトシの冒険を描かなくてよくなった」ことだと思うんです。
僕は首藤剛志信者なのでミュウツー~エンテイまでの背景はめちゃくちゃ読んだんですけど、
昔はアニメの宣伝、おもちゃやゲームの販促、もしくはポケモンというゲームの世界観の啓蒙のために、サトシがカッコいい冒険活劇を描かなくてはいけなかった。
ポケモンは①ゲーム②アニメ③それに付随するグッズであり映画はその販促だろうにという世界観。
そこを覆したのが「みんなの物語」だと思っていて、サトシとピカチュウは出演するものの、主人公はリサでありカガチでありトリトであり、ヒスイでありラルゴだったわけじゃないですか。みんなの物語観てないなんてひとはまさかいないよね。
そこではじめて、「サトシ大活躍物語」から脱却した「"ポケモン"と"人間"の物語」つまり「みんなの物語」が描かれたというのが本当に好きです。ブレスも好き。
それまでが悪かったということではなくて、「みんなの物語」のような映画が達成できたのは、それまでのポケモンの世界観の啓蒙の積み重ねであったり、サトシというキャラクターの厚みだったりすると思うんですよね。
コナンやのび太やしんのすけと同じくらい、だれも「サトシって誰やねん」と言わないとおもう。
要は20年以上ポケモンが続いて「サトシ」とか「ポケモン」とは、みたいな説明をしなくてよくなった。みたいなこと。
ポケモンとは世界。というか、我々の日常との境界がどんどんなくなっている。(これにはポケGOの存在が僕は大きいと思います。)
そういうところまで含めてぼくは「みんなの物語」が好きなんです。ゼラオラも大好き。ラルゴの最後のセリフもほんと好き。
っていうことで僕はサトシ信者なんですけど、「ココ」はサトシ&ピカチュウ成分少なめだったなと思うんです。
それが映画観終わった後にちょっと引っかかったとこで、もっとサトシとピカチュウの活躍みたかった(レモンをキャッチしろ!)というのがあったんですけど。
1日たってみて、その代わりになにが描かれていたかというと、
「ポケモンとポケモンの世界」「人間と人間の世界」だったのかなと。
今まで、伝説ポケモンが暴走して一般ポケモンが被害をうける、みたいな対立構造はあったけど、
ザルード⇔ほかのポケモンたちみたいに、人間が全くかかわっていない森の中で、ポケモンとポケモンが日常的に対立しているみたいな構造はあんまりなかったなと。でもよく考えたらそうだよねと。
一方、ゼット⇔研究者 みたいに、当然人間と人間も対立するよね、あたりまえだよね。結構リアルに描かれてたね。びっくりした。
そんな感じで、ポケモン⇔ポケモン 人間⇔人間 ポケモン⇔人間 ポケモン&人間⇔人間 みたいにいろんな構造がそれぞれあって、(ザルードはみんな人間の言葉しゃべるのかー、って始まってからの「違ったんかい」という裏切りの見せ方も良かったっすね)
その中で親子ってなんだろうっていう太い軸があって、よくよく考えると複雑な構造の新しい作品だったなと思います。「自然との共生」もあるしね。
これもまた、「みんなの物語」みたいに「サトシ大活躍物語」から脱却して、さらに「人間ポケモン大活躍物語」からも脱却して、
単純に、生き物と生き物の「親子の物語」だったと思います。
サトシ信者だけど、そういう意味だとただの1人間として描かれるサトシも良いじゃんと思います。”ドラえもん”的に、”ポケモン”を通じて何かを伝えていくようなそんな映画になったら毎年楽しみですね。
矢嶋監督まじすげえっす。来年も楽しみです。