YouTubeばっかり見ている(2024/12/13)
YouTubeにおすすめされるままにクリスタルキングの『大都会』を聴いた。Googleは私の主体性を日に日に奪っていく。私はもう身も心も人生もGoogleに委ねたい。私にもしものことがあれば、カルフォルニア州マウンテンビューのサーバー棟の横の木の下にでも埋めてGoogle葬にしてほしい。
「裏切りの言葉に」や「故郷を離れ」の部分は巻き舌で歌っているものだと思い込んでいたが、この曲のどこを切り取っても二人は巻き舌を使っていない。へーそうなのかと思ってあの曲も聴いてみたがやっぱり巻き舌は使っていない。濁りのないクリーンな発声である。
この時代にはそういう歌い方がなかったのか、それともこの二人に特有の個性なのかはわからないが、巻き舌を使っていない歌として聴き直してみると、抑揚の付け方はむしろ塩化チックである。否、演歌チックである。歌い方とか歌詞の言葉遣いとか、たった40年ほど前の作品でももはや今とは違う味がする。
ところで、北斗の拳のオープニング曲・エンディング曲はどれも珠玉の名品揃いであるが、特にこの曲をYouTubeで何度も聴いてしまう。KODOMO BANDの『Dry Your Tears』である。理由はアップロードされている、
この動画のヴィンテージ感。完璧な熟成。テレビからVHSテープに録画したせいと思われる最高に気持ちいいテープコンプのかかり具合、高音の削れ具合。それはもう私の記憶と同じだけ角が取れて色褪せて圧縮されて倍音が染み付いている。
懐かしみに心をかき乱されそうになる音楽といえば、現代においてはやぱりヴェイパーウェイヴの本領発揮となるわけで、これをヴェイパーウェイヴ愛好家やヴェイパーウェイヴ作曲家がヴェイパーウェイヴと呼ぶかどうかは知らないが、うんなんとなくしっかりとヴェイパーウェイヴである。
こういう音楽を漁っているとYouTubeは私にどんどんと周辺のジャンルも紹介してくる。私はアメリカ人ではないのに、なぜ90年代のアメリカの天気予報のBGMを懐かしいと思うのだろうか。考えている間もヒスノイズは私の心を落ち着けつつかき混ぜて底の方の沈殿物をいまさら明日の予定についての思考に混入させてくるから厄介である。
他にも昔のアメリカのデパートの店内のBGM集というのもあって、これも「あなたは懐かしいと思うはずだ」という暗示に似た何かしらの要素に満ちているので懐かしいと思って聴いてしまう。もはや懐かしいという感覚は、私の記憶の一部が再生されたときに随伴する感情なのではなくて、音のテクスチャに触れたときに与えられる感覚に近い。
音にこだわる鉄道マニアが音鉄とよばれるように、音にこだわるショッピングセンターマニアというのもいるようで、ショッピングセンターやスーパーの館内放送を録音して公開している人がある。音ショとか音スーである。
もっとこだわりが深いとイオンモールだけに興奮してしまう人もいるようで、なかなかマニアの世界は広い。
Googleは私の生活に深く入り込んですべてを支配していると期待したが、イオンモールの館内放送を聞いて考えを改めた。私の人生はイオンモールによって構成されている。酸いも甘いもイオンモールとともに。あってよかったイオンモール。何も無い田舎に出現した完全なる空間。すべてがあると信じて人々が生きていける場所。本当にあるかどうかなんてどうでもいいのだ。99.9%と100%の間の満足感。だからといってイオンモール葬はちょっといやかもなとか思いつつも、イオンモール橿原が増床工事を進めていて、世界最大の売り場面積の無印良品ができると知って、もうちょっとは生きていようと思った。