英語ができない僕が外資のカントリーマネージャーになったら 4
不安だらけのクリスティーナとのミーティング。英語で説明できるのか?いや多分できない。資料を見てもらって、そこに記載した英語が正しいのを信じるだけです。
「英語ができない」私がどれだけ英語ができないのか?少しだけ私の英語の遍歴をご紹介します。
高校1、2年まで英語にものすごく苦手意識を持っていました。テストは30ー50点ほど。簡単な発音問題や文法問題は少しわかることもありましたが、長文とかはほとんど読むのを諦めていたレベル。でも2年次の後半くらいから大学は受験しようかと思い立って、同じクラスの藤井くんにどうしたら英語の点数が伸びるのか相談してみました。
藤井くんは、吉野は単語の意味分かってないでしょ?と。単語をある程度知らないと全然できないからまずは単語覚えたら?と。
その言葉を盲目的に信じ、その後必死に単語だけ覚えることにしました。学校で指定された単語の参考書?で1ページ分の単語を覚えたら次のページに移り、また前のページに戻るを繰り返すのが一番効率的に覚えられることを発見?してひたすら覚えていきました。今思うと、インプットしてアウトプットして、違うタスクをした後にまた記憶を引き出す作業を繰り返していた訳で、これがどんなことを覚えるにも、あまり記憶力のない私にとってはとても効率いいらしい。
まあ兎にも角にも単語だけは人並みに覚えると、今まで全く読む気が起きなかった長文読解も少しは意味が分かるようになり、そこからはなんとか大学受験できるレベルまではいけたように思います。
でも大学に入ってからも積極的に英語に関わることはなく、最低限のテスト勉強やレポート提出だけ「こなす」意識低い大学生活を送ることになりました。卒論を書くときに英語の論文も参考として読んだりしましたが、まあ何とか辞書をフル活用して、それなりには読解できたように思います。それでも聞く、話すは壊滅的というか、ほとんどできない自信はありました。
一度だけ大学卒業間際に、親に頼み込んでオーストラリアに3週間という短期留学にいきました。事前に覚えた簡単な挨拶程度の英語は何とかなったものの、ホストファミリーの会話に入ることはできず、ステイ中は同じように短期で来ていた日本人同士で連んでばかり。英語が上達する訳もなく、大学卒業前のいわゆる記念旅行のようなものでした。ハバグッダイ、シーヤなど、いくつかのオージーイングリッシュだけは覚えましたが。。
英語を必要最低限以外は避けてきた私は、大学卒業後も英語はほとんど使わないであろう、ドメスティックな会社に入社しました。
その会社は研修の時に、TOEICを新入社員全員に受けさせるところでした。ヒアリング問題はほとんどできず、485点だったか、英語ができない大卒新入社員の平均より少し低いくらいでしょうか。
それから一度だけTOEICをまた受験してみようと、社会人2年目か3年目の時に再度受けてみましたが、その時は625点、少し問題数に慣れた人が取る平均点くらいのスコアにはなりました。
とにかく、その後は一切英語との縁を断ち切りました。海外旅行にいくことはあっても、買い物や食事程度なら何とかなるし、どう言ったらいいか分からない時はスマホでgoogle先生に聞けば何とかなる、という感じでした。
本当に文明の進化ありがとう。google先生ありがとう、です。
その「英語ができない」私がいよいよクリスティーナとのミーティングを迎えることになります。
クリスティーナは、サイトに写真が載っていたので見ると目がくりっとしていて、すごく聡明そうで少し神経質そうなアメリカ人女性でした。
次回に続く。