英語のできない私が外資のカントリーマネージャーになったら 8
年内に会社に1月いっぱいで退社することを伝え、なんだかフワフワしたクリスマスと正月を迎えました。
クリスマス休暇はあるが正月休みはないらしい。
無償で英語のレッスンを受けさせてもらえることにもなりました。
最初のレッスンは土曜日の朝に予約しましたが、時間を1時間間違えて講師からの電話で起こされました。英語で電話がかかってきて軽くパニクりました。
ソーリー、ミスアンダスタンド・ザ・タイム・トゥ・スタート。
プリーズ・ウェイト・ア・ミニッツ。
始まる時間間違えてまだ寝ていました。準備するまで少し待ってください。
と言いたかったのですが全く単語が出てこない。。。
慌てて着替えて、寝癖がついたままレッスンの画面に入りましたが、そこでも英語が全然出てこない。
簡単な単語も出てこないし、分からない単語を違う言葉で言い換えようと思ってもそれも思い出せないような状態でした。
アイ・キャナット・エクスプレイン・ウェル。
アイ・キャナット・リメンバー・ザ・ワード。
英語少しはできるようにならないと、とその時は危機感を覚えました。
NEIスコアという指標では40点満点中20点。
Frithからは、全然英語できないなんてウソ、結構できるんでしょ、
と言われましたが、いやいや自己採点は10点くらい、全く英語が話せない状態でした。
年末からもそうでしたが、1月に入るとFrithからの連絡が連日のようにありました。
顧客企業の担当者や関係者とのメールにCCで入れて、どんどん巻き込もうとしていました。
始めるまでに少しでもキャッチアップする、とは伝えたものの、
2月からスタートですよね?と疑うほどでした。
せっかちで待つことが苦手、
これがCEOのFrithの性格です。
そして時々嫌味っぽい言い方をします。。。
1月末になると2月からの予定を話し合いました。
Frithは12月に日本に来て、それからずっと日本に滞在しています。
かつてホームステイをしていた神戸のホストファミリーの家に泊まったり、年末年始はスキー旅行に行ったりしたりしていました。
2月の最初は神戸で一緒に仕事をしよう、ということで最初の1週間ほどは神戸で、その後東京に戻ってどこかで一緒に仕事をする、ということだけが決まりました。
私は、前の同僚に説明しにくい仕事だなあ、なんて思いつつお別れの挨拶を社内外にして、同僚や取引先からは、私の全く畑の違う分野へのとらばーゆと英語ができないのに大丈夫?と驚きや心配をされる中、いよいよ未知の領域に足を踏み出しました。
コロナ禍で随分と空いている新幹線へ乗り込み、初めて神戸に降り立ちました。ちょっとの期待と大きすぎる不安を抱きながら。
神戸での仕事場はFabbitというシェアオフィスです。
これからしばらくはFrithとここと東京で実質NEI日本法人の立ち上げをおこなったいくことになりますが、それはまた次回。
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