愚者
青天の霹靂。雲ひとつない青空を見て、私は思うことがある。
「死ぬには今日がいい」
と。
産まれ落ちて、生きるレールを引かれて、反抗することも、あまつさえ提案さえ出来ずに漠然と生きてきた。何か功績を出したとしても、他人に自慢として使われた気がして。逆に残せなければ罵倒される時もあった。
愛されていないのか、そう考える時もあった。
いいえ。
愛されているのでしょう。
ただ、それが拳になり、罵倒になり、軽蔑に変わっただけのこと。他の家庭もそうなんだ、小学生ながらに考えて、20歳を超えて気がついた。
ショッピングモールのフードコート。和気あいあいと、私と歳が変わらないような男が親子水入らずでご飯を食べていた。小学生の息子、娘と手を繋いで歩く、若い夫婦を見た。
何故か、どうしようもなく胸が痛い。
被害妄想だと思う、バカバカしいと罵る人もいるだろう、だけど何か見せつけられてるような気がして、痛い。
行けと言われた大学も、他人とのズレを感じて、学校にも行かなくなって辞めた。吸わないと決めていた、親父のようにはなりたくないと思っていたタバコも気づけば吸っていた。
枯れるほどの寂しさを満たすために、料理も作るようになった。自分のためではなくて、誰かのための。褒めて欲しかった、認めて欲しかった、このどうしようもない寂しさを埋めたかった。そんなもののために料理を学んだ。
私はもう、この曇天のような気持ちを引きずってただ歩いている生活に疲れた。
私は家を出ようと思う。
贅沢はいらないから、1人で生きていこうとおもう。奨学金だとか、母の事だとか、その他の不安はあるけれど。
親不孝と罵られても、もう構わない。どのみち、このままでは私はきっと22歳を迎えることは無いだろうし、鉛のような鼓動に耐えることは出来ない。
私は、家を出ようと思う。