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まるいオーラの気のレッスン《その7》
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深い深~い『胎息』についてのお話し
日々自分の「まるいオーラ」を育ててゆきますと、呼吸の状態も『胎息』に近い呼吸になってゆきます。
『胎息』というと、不老不死の身体を求めて修行としておこなう仙人仙女たちのおこなう呼吸です。
おなかの中の赤ちゃんもこの『胎息』をしています。仙人仙女も、赤ちゃんも、鼻・口・肺を使わない呼吸となっています。
まるいオーラが成長してくると「中心」が目覚めて来るのです。中心とは微細な粒子の一点のことです。その一点の呼吸が『胎息』なのです。そうなるともう、鼻・口・肺ではない呼吸に近づいているのです。
『胎息』は、呼吸が身体の内側にある「脈」に浸透しながら循環している状態となり、それは「酸素」ではなくて「気」という生命エネルギーの微粒子が身体中に巡っている「息」なのです。
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呼吸というと「呼」と「吸」の出し入れのことですが、「息」という呼び方になるとそのような出し入れではなくなります。それはデンキのように生命エネルギーが流れているような姿です。植物に近いかもしれません。
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老人のオーラと老人でない人のオーラ
身体が老化してしまった人のことを「老人」といいます。それで、老人ではない人と老人との違いはどう違うのかなと、外側からその人たちを見ていて気付くことがあります。
もちろん肉体のカラダが老化しているのは見ればすぐにわかります。それはごくごく当たり前なので驚きません。
老人を見ていて分かるのは、身体のまわりに出ている「オーラ」が薄くなっていることです。老人になる前には「病人」であったはずです。おそらく病人の時期に「オーラ」が薄くなって来ているのだと言えます。
10代の人たちを外側から見ていますと、もちろん肉体の身体が若くて元気なのはわかりますが、それよりも身体のまわりにある「オーラ」が濃厚となっています。
さらに小学校以前の子供たちを見ていると、本当に身体が浮いてしまうくらいに元気な「オーラ」に包まれているのが見えます。
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身体にもっとオーラを「貯金」してゆきましょう
肉体のカラダの病気や老化はともかく、せめてもの、意識的にトレーニングさえしてゆけば「オーラ」は増やしてゆけるものです。減った分だけトレーニングで増やすというものです。
オーラのリハビリテーションです。リハビリテーションとは「回復」という意味を含みます。「生きる」を取り戻す。それはオーラの「貯金」です。
オーラが肉体のカラダを守ってくれます。見えないエネルギーの筋肉(エアマッスルなんて呼んでいます)となって。
始めはなかなかオーラの貯金は増えませんが、なにかの時に見つけたコツをきっかけにオーラの回路が開いて、一気に増えることだってあります。
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肉体のカラダの老化や病気はそのままでいいですから、オーラを増やすトレーニングだけでも続けてゆければ、きっともう「老人ではない人」になれるかもしれません。たとえ年齢は高齢になっていたとしても。
始めはまだ身体の外側にある薄皮のようなオーラですが、だんだんと身体の中心にまでオーラが浸透して来るようになれば、動けなかった身体も歩けるようになるかもしれません。
オーラのリハビリテーションのお話しでした。
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肉体のカラダは「生・老・病・死」のサイクルからは逃れられません。オーラのカラダや気のエネルギーの場合は、その原料である「気」は目の前の空気や空間の中にありますから、成長させ放題です。
オーラのカラダや気のエネルギーというのは、スピリチュアル系とも言えますし、意識的エネルギーとも言えますし、ココロの物質とも、呼吸の物質とも言えます。
オーラのカラダも気のエネルギーも「見えないもの」なのに「在る」ものであり「有る」ものです。空気とか電波とか重力とか浮力や揚力のように属するエネルギー体です。
「気」もたくさん集まれば、圧縮されて濃縮されて、膨張や反動もします。肉体のカラダをボールだとすると、そこに注入されるのが「気」です。タイヤの中に入っている空気のようなものです。
この「気」を身体の中にたくさん通るようにしてあげて、蓄えられるようにしてあげると、きっといいことが増えてゆきます。
気のエネルギーのリハビリテーションのお話しでした。
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仙人仙女たちが不老不死のためにしている『胎息』とは?
これは中国の道教のハナシです。道教はいつ始まったものかどうかわかっていません。道教では不老不死の身体になって宇宙と同じ年齢まで生きてゆきましょうという教えです。
仮に肉体のカラダが死んでしまったとしても、あの世で生きるためのカラダを生きているうちに用意しておけば「死んでも生きてゆける」という思想もあるようです。
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中国の道教では『胎』という思想があります。『胎』というのは母親の母胎のことです。人は、こちらの世界に生まれる以前も『胎』にいて、生まれ出ても『胎』という仮想の空間の中で生きて、そのまま死んでも『胎』の中で生きているんだよ、というようなものです。
今の説明は、自由に勝手に解釈して書いたものですが、どこままで本当かとうか分からない中国の道教は、自由に解釈も許される世界のようです。
生まれる前でも・生きていても・死んでしまっても、どこにいても『胎』の中に棲んでいるというのが素晴らしいと思います。
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それで、このようなハナシは、肉体のカラダを中心に思想していないということです。そんな「生・老・病・死」のサイクルから逃れられないものなんかは「教え」にはなりませんから。それならばいっそ「不老不死だー」というのを教えとして掲げたのでしょうね。
そして、そんな境地にまで到達したスーパースターを「仙人・仙女」という雲の上の存在に仕立て上げています。
『胎息』だって、生まれる前でも・生きていても・死んでしまっても、どこにいても『胎』の中に棲んでいる、というあたりに「かけた」のだと容易に想像ができます。
仙人仙女や不老不死も、中国の道教の「なぞかけ」で作られたのかい?と思えるようなハナシですが、しかしそういうのがホントであってもウソであっても「気」というのは存在しているのだから、よろしいのではないかと思っているのです。
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感じられれば「気」は有るし。感じられなければそんなものは無い。
中国の道教は「気の思想」というのが中心です。すべてのものは「気」で出来ていて、集まれば「形」になり、散ずれば「気」になるという万物の素材を「気」としているようです。
生きてオーラがある人には「気」が集まって「形」となり、老いて病気になってゆく人の身体は散って「気」に戻るということです。なんだか「気」とはチリのような扱いです。
見えないほどの極微小なものから、大きすぎて見えないものまでが「気」で出来ています。生きるこの世の世界も「気」ならば、死んだあの世も「気」で出来ているようです。
神という存在ですら「気」で出来ていると言われていますから。
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このような「気の思想」は、当然、人のカラダ・人のイノチにもかかってきます。人のカラダも「気」で出来ていて、人のイノチも「気」で出来ているとなっています。
だから「気」の質や量を高めて、働きを極めれば、人のカラダ・人のイノチにもそのまま反映されるという思想です。
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このnoteで書いています「まるいオーラ」も「気のレッスン」も、こうやって書いてきました「気」を素材として使う説明をしていますが、これが中国の道教でいうところの「気」と同じものかどうかは不明です。
中国でも日本でもインドでもチベットでも、それはどうでもいいことです。
「気」は無色透明で万物の素であり、誰のものでもどこの国のものでも無い「万国のインフラ」です。この「気」を感じられれば自分のものとして使用可能所有可能です。
しかし「気」というものを感じられないという人もいます。
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感じられない人にとってはおそらく「気」なんて「無い!そんなものは!」と言うでしょう。
ですからこのあたりは、感じられる人どうしでの相性が合えばいっしょにレッスン出来るということです。
残念ながら「気」を感じられない人に感じさせてあげるためのドリルというのはありませんから、そういう場合は縁が無かったとするしかありません。「しかたありません」なのです。
「気」を感じられる人たちで《イキル・エネルギーネットワーク》をつなげたら素晴らしいことだと思います。
気の合う人たちで「気」を同調し合うと、それはそれは掛け算で研ぎ澄まされた「気」にみんながなれてゆくものですから。
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本日も とてもよくできました!
また次回も お楽しみに!
し ら の ゆ き ひ と
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