002\\\ ふたりはペアリングをしています。
今回のテーマ《002\\\ふたりはペアリングしてます。》は、なんだか恋愛マニュアルのようですね。ドキドキしながら読んでいってくださいね。
001\\\「外に意識のカラダを出す」という練習の続きが、これです。
前回の記事001\\\を書き始めた頃は「外に意識を出す練習」というタイトルだったのです。しかし、「外に意識を出す」というよりも「外に意識のカラダを出す」の方がいいのではないかと思って、変更しました。やはりネーミングは大切です。
「意識」に「+カラダ」して「意識のカラダ」というようにしたわけです。
こうすることにより、抽象的で形が見えない「意識」よりも、少しでもヒトの形のイメージを思い浮かべられる「意識のカラダ」にした方がいいかもと思ったわけです。「カラダ」と付くだけで、「ヒトのカラダ」の形としてイメージが出来ますね。
幽体離脱の「幽体」とは、「幽(幽界の)のカラダ」の意味です。幽体離脱の「体」が付け加えられたことで、(幽体という)見えないものがちょっとでも「ああ、ヒトのカラダをした幽体というものが身体から出てゆくことなんだね。寝ているうちに」とイメージが出来ます。少なくとも、煙のような湯気のようなものが出るとは思われないわけです。
そのような思いが浮かびまして、「意識」に「+カラダ」して「意識のカラダ」というようにしたのです。このような、「意識のカラダ」なんて呼び名を付けた人なんていないとは思いますが。
実際、自分の身体から出した意識のカラダを目の前で見ますと、なんだか透明人間のようなモヤモヤとした(お湯の中に水あめが潜んでいるような)ヒトのカラダの(ような)感じとして見えるものです(気のせいかもしれませんが)。
自分から出たものが、煙のような湯気のようなものだと、嫌になってしまいます。自分の身体から出たものですから、やはりヒトのカラダの形として思いたいものです。いずれ、自分の大切な「パートナー分身」となる相手なのですから。
この練習を誰かに教えている時にも、その人がうまく「想い」を使えて、目の前に意識のカラダ出せた(出た)時にも、「見えた見えた!」っと、思わず拍手!してしまいます。わーい!やったねって。
その時も、やはりヒトのカラダっぽい(ような)感じに思えるものです。決して煙や湯気のようには見えないものです(透明なヒトの気配という感じとも言えます)。
意識のカラダは、眼でもぼんやりとは見えるものでもありますが、どちらかというと、空気感や触覚感覚での方がわかりやすいものです。目の前でも感じることもできますが、相手との相性さえ良ければ、電話の中ででもわかるものです。
では、今回のテーマ《002\\\ふたりはペアリングしてます。》のお話しに入ります。
「想い」の使い方がなんとなくわかって、意識のカラダを自分の身体から出せたとしても、その後に何かのことで緊張してしまったり、気分が散漫になったりすると、せっかく出てくれた意識のカラダは、すぐに元の身体の中に引っ込んでしまうのです。なんだか臆病な小動物みたいなところがあります。
自分側の変な雑念や、不安で嫌なことを思い出したりすると、せっかくの意識のカラダも、たちまち自分の中に閉じこもってしまいます。そんな時は、好きな音楽を思い浮かべてあげるとか、聴くとか、遠くを見るとか、息を長く吐くなどをしてあげると、また安心して意識のカラダは外に出てくれるようになります。
(自分の)意識のカラダとお付き合いするためには、まずは、静かに見守ってあげることから始めます。好きな人とデートしているかのようにですよ。しかし見守ると言っても、あんまり肉眼をパッチリと開けすぎてしますと、かえって見えなくなります。
よく分からないからといって、にらみつけるのはダメです。どちらかというとぼんやりと(ひたいの眼で見るように)、空気の中に潜む妖精でも見るかのように、おだやかな視線で見てあげることが大切です。
そうやって、静かに、時間をかけて、ふたりが、お互いがやさしく向かい合うようにしてゆきますと(意識のカラダの方もこちらを見ていますから)、ふたりの間には、「情のようなつながりを感じるような」、深いつながり感になってくるものです。
それは、お互いがお互いを「認識」し合うような関係になっているのだと思います(意識のカラダの方もこちらをちゃんと認識します)。さらにもっと深くひとつに、分かり合えるようになってゆくことを目指します。このあたりは「時間をかける」というものがふたりの結びを強くしてくれます。
自分の「想い」で、意識のカラダを自分の外に出すのは、意外と簡単なのですが、簡単に出来てしまうことは、逆に言えば簡単に消えてしまうということでもあります。
自分の目の前の意識のカラダに対して、大切な気持ちで見てあげるような感覚で接してゆけるようになれれば、ふたりは、静かに深く、更につながりが強くなります。
こうやって、ふたりの間には強い結びとなります。それは、「絶対に別れないふたり」のように。このつながりを《ペアリング》と呼んでいます。
「二重性」とは、ひとつの身体が、意識のカラダと肉体のカラダに「二重」になることです。しかし「まだ浅い二重性」ですと、「ふたり」はなかなか分かり合えないものです。知り合ったばかりの男女のように。
この「ふたつのカラダ」は、考えてみれば、元々はひとりの自分自身だったのですから、仲良くなってくれないと困るのですね。ふたりが深く認識し合えると、自分の中に「2倍以上のチカラ」が生み出せるようになります。これを「合力」といいます。ハサミのような原理で。自分の中にテコのチカラが生まれます。ひとりなのに「ふたり分以上のチカラ」が生まれる原理となるのです。
ペアリングとは、ふたつを組み合わせること。ダブルスでペアを組むこと。ふたつの機器の間で相互認証を行うこと。などという意味です。
意識のカラダと肉体のカラダという「二重性」が体験出来たから「これで完了」ではありません。まだ先があります。ペアリングという「特別な関係」を結ぶことが必要です。このあたりも恋愛と似ています。
ペアリングとは、ただの友だちだった相手が夫婦になってしまうような深さのある強い結ばれです。「奇跡のような出会い」のようですね。こんなことを「ひとりの中」でおこなうというのは、なんだか不思議でもあり、変なことです。
ただ、残念なことに、まだ、正式に「ペアリングの関係になるためのテクニック」というのは確立は出来ていません。その代わり、ペアリング関係になっているのかどうか?をテストする方法はちゃんとあります。
そのあたりは、次回の記事に詳しく書きますが、少しだけそのやり方の一部をここで書いてみます。それは、目の前の意識のカラダを「歩かせてみる」というチェック方法です。
自分(肉体のカラダ)と相手(意識のカラダ)が、「本当に」ペアリング関係になっていると、意識のカラダの方を歩かせてみれば、自分の方の肉体のカラダも、意識のカラダに引っ張られて(見えないヒモのようなもので)、歩かされてしまうのです。その感じは、ふたりの間に「磁石」でもあるかのようです。
これについては(なぜそうなるのかは?)、ぼくもうまく説明が出来ないのですが、もともと「ひとつの身体」だったものを、意識のカラダと肉体のカラダのふたつに(意識的に)「分離」させたせいで、両者が「元に戻ろうとする」作用が働いて、このような磁石のようなヒモのようなものが現象として働いてしまうのではないか?と思うわけです。
ですから、まだペアリングされていない「薄い二重性関係(つまり意識のカラダと肉体のカラダに分離したてのまだ初期段階のことです)」でしたら、目の前の意識のカラダを歩かせても、そこに引力のようなチカラは働きませんので、こちらの肉体のカラダの方が引っ張られて動かされることは無いわけです。
どうやって、意識のカラダを「歩かせてみる」のか?という方法も、これもまた「そのように想う」でけです。「歩いてね」と、意識のカラダに語りかける。それ「だけ」です。
このあたりが(ぼくは)、この練習に《カラダ///二重性》と名付けたゆえんなのです。これはカラダの持っている「原理」なのではないか?と思うのです。自分を(自分の身体を)意識的にふたつに分離分割させることで、その分けられた両者は元に戻ろうとする原理、と言えばよいでしょうか。
これは、「心身統一」の真反対で、わざと「心身分離」をさせることで起きてしまう逆効果や反作用を、「動かす身体のため」に、その効果を使っている(使える)というわけです。
それが、引力なのか、電場なのか磁場なのかは、ぼくにはわかりません。自分が動かす身体として練習しているうちに(ぼくが自分の動きの中で)発見した「原理」なのです。
次回は、《003\\\「思い通りに」意識のカラダを動かす練習》という内容を書いてゆきます。ペアリングも、深い結びつき関係になると、だんだんと「思い通り」が通用するようになってゆきます。
★呼 吸 法 ワ ン ダ ー ラ ン ド///★