091\\\ 空気とひとつになって地面に鎮まる。
これはなんだか「禅」の世界のようですよ。このようなタイトルですと。
禅の道元さんがいわれる、「心身脱落」という言葉が、自分の身体には合うような気がしているのです。これは、自分の心と体をひとつにして、地面に落として放してしまうことを言っています。「無」に通じる境地かもしれません。
合気道(心身統一合気道)にも、同質な教えがあります。太極拳にも、同じ系統の技法があります。
人間の身体だけで、いくら一生懸命にトレーニングしたところで、身体を超えることは出来ないよという教えだと思うのです。それよりも、身体のチカラを抜いて、身体のまわりにあるエネルギー情報を受け取りながら、それとひとつに、なってみようよ。ということだと思います。
まずは、自分の身体とまわりの空気とをひとつにしましょう。簡単です。身体の中に空気をいっぱい、入れます。吸いの「呼吸」を使います。
一度に一気には、たくさんの空気は入りませんから、ぼくは小刻みにシュ・シュ・シュ・シュと、息を自分の中に入れます。細かく入れると、それも、何十回・何十回と重ねて重ねて、入れて入れてゆくと、空いているところにどんどん入って来てくれるような感じがします。
ある程度、たくさん入りましたら、そこで息止めをします。息止めはとっても大切なこと。ゴムボートに入れた空気を抜かないために栓をしますが、それと同じこと。ゴムボートも、身体も、空気はエネルギー源ですから、吸って入れて、止めて、抜かないで出さないで。
慣れると、息を止めていることで、身体の中にぐるぐると空気が循環してゆきます。止めることで、体内循環。ぐるぐる。全身に。このとき、身体は絶対に動かさないで、ただ自分の体内の空気を観察してゆくこと。
身体の中で空気が循環して、めぐりめぐって、さらに行きつくところと言えば、それは地面。地面の中に。空気は地面が好き。地上から吸い入れた空気は、身体の中をめぐって、地面の中に行きたがるのです。
自然に、そうなるんですよ。不思議ですが。息を止めていてばかりで、ほとんど吐かないのですけれど、ちゃんと息は(空気は)、外に出てゆきますからだいじょうぶ。出てゆく行き先は、地面の中。
地面は、空気にとって、おかあさん(母性)のような存在なのかもしれません。この「息止めの技法」は、ぼくは誰に習ったわけではないのですが、かなり前に、太極拳のような踊りのようなことを、自分流でやっているうちに見つけてたどり着いた技法です。
しかも、このように、吸った空気が地面の中に通じる(落ちて着く)ようになった時に出るチカラって、とても強いものがあるのです。身体から根っこが出て地面の中にしっかりと埋め込んでいるかのような。
激しい動物的なチカラではなくて、静かな植物的なチカラなのです。
自分の身体の中から、見えない根っこが出て、地面の中に通じて入ってゆく感じ。これをぼくは勝手に、禅の世界で使われている「心身脱落」というネーミングを使わせてもらっています。
自分の身体の真下に、地球が延長して生えているような感じなんですよ。まわりに空気があってね。自分は浮いている。自分という存在は、地面に置かれた置き物のようではなく、浮いて、そして、自分の真下に地面が生えている。
ちょっと、この世の感じではないのですが、このまま自分の真下に地球をぶら下げて、あの世に行けてもよいのかもと、思ってしまいます。もちろん、こんな感じになれるのは、息を止めている間だけ、なのですが。
「呼吸」のつくり方。
・~ 薔 薇 の 呼 吸 ~・
この『薔薇の呼吸』をいちばん素晴らしい「呼吸」といたします。
薔薇を宇宙と見立てた「呼吸」なのです。
しらのゆきひと///呼吸のデザイナー