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明日には消えてしまうかもしれない、美しく脆い砂のお城をつくり上げること

「俺たちが研究室でやってたことって、次の日には崩れてしまうような砂のお城を、みんなでせっせとつくるようなことだったよね」
と、先日隣で同級生が隣でビールを飲みながら話しており、やっと私の研究室生活に形が与えられました。私が学部3年から大学院2年までの間で手に入れたものは、砂のお城をつくる仲間と、その技術だったのです。

今日は、研究室時代の話を少ししたいと思います。

私たちの所属していた研究室は、デザイン系学部の中でもさらに異色な場所でした。私の担当教員の先生は、研究者でもデザイナーでもなく、「ものをつくる人」と自称していました。卒業制作の条件はコミュニケーション、プロダクト、サービス、にかかわらず、なんならデザインとも呼ばれないかもしれないアウトプットに至るまで、分野の縛りは特になく、「何かしらのものをつくる」ことでした。基本的には自由でしたが、先生は放任ということではなく、相談しにいけばきちんと時間を取って話をしてくれました。
研究室に行けば、いつも先輩たちがいました。先輩たちは誰もが「良いもの」をつくる人たちで、そして、いつも何かつくったり、話したりしていました。話し足りない時は、朝までだって話していました。そのうちに私もその中に入っていきました。その文化は後輩にも受け継がれていきました。他の研究室の人たちも、あの場所に行けば、みんな話の輪に入っていました。あの場では、みんな、ゆっくり話す人になりました。

そうやって話していたのは、形や答えのないことでした。何を作ってもいいということは、自分で何をつくるかを決定する必要があること、そして、なぜそうつくるかについて、自分で決め、それを他者に共有するために言語化しなければならないということで、私にとっては本当に難しいことでした。他の人たちにとってもそうであったと思います。
でも、研究室にいるのは、そこでなければいけなかった人たちでした。社会や他者との関係や自分自身の経験の中で、簡単に誰かと共有できない何かの感覚に気づいてしまったから、そこで考え続けられたのかもしれません。少なくとも私はそうでした。

・デザインとアートの間はどこか
・記号と言語の違いについて
・「生きる」ことって船旅みたい!
・どうしてものをつくるのか
・かたちのないものを信じることってちょっと怪しく見えるのはどうしてだろう
・本物と、偽物は何が決定づけているのか
・美しいってどういうことか
・心地よさの正体とは
・「自然に」って何
・自分らしさを知ってもらうには
・些細なことを大切に思いたい

などなどについて、そこにいるそれぞれが最近読んだものや、個人的な経験を例に出しながら、少しずつ共通認識を積み上げていくのです。簡単に相手をジャッジしないこと、不必要にせかさず、相手が話終わるまできちんと待つことが自然と行われていました。

冒頭の話に戻ります。社会に出て初めて会った人たちに、自分が何者であるかを説明するとき、私は本当に困っていました。「何を勉強してたの?」と聞かれて、上記のような営みについて述べたところで、お城を一緒に作ったことのない人にあの時間のことがどれほど伝わるのでしょうか。(それでも、砂のお城を作っていた、という比喩があることで、それをもう少し平たく言えばいいんだということがわかったので良かったです。お城をつくる経験を共有できないことがずっと寂しかったのですが、これで自己紹介をしていけそうな気がします。)

明日には消えて無くなってしまうかもしれない、美しく脆い砂のお城を、みんなで砂をかき集めながらつくりあげていく行為は、一見無謀で、無意味なことかもしれませんが、お城をつくる技術があること、そのお城に価値を見出す他者がいることを確かめあうことでもあります。その経験があるから、みんなには伝わらないかもしれないことも、誰かには伝わるかもしれないと信じてものをつくることができるのかもしれません。

それは、かたちのないことについて、かたちを与えることを通して、考える技術。研究室の外でも砂のお城をつくる仲間とお城をつくっていくことが、今の所の私の人生の目標になりつつあります。先生の中には、長い年月をかけて丁寧に作られてきた強固な砂のお城が並んでいるように思えました。私もそうなりたいです。

やっとことばにできた〜〜〜〜!

(ちなみに、この話が終わった後に、みんなにどこで砂のお城作ってたか聞いたら、浜辺、砂漠、公園などなどでした。お城のサイズ感、成立要因、崩壊理由が全然違うのにみんなしっくりきてて興味深いですね。)


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