見出し画像

体験がすべて

『100日間を振り返りながら、新たな目標を探し出す』

100日間のライティング講座を書き終えた後、再び次の目標へ向けての
新しい旅路(7日目)

「学ぶ」ということについて考えてみる

『歩いてきた道、歩いて行く道』

1.体験学習

昨日の話では、世界には「どんなものがあるのか?」を知るために
『目次(インデックス)』を知識として知っておく必要があると言いました
しかし、それでは足りないものが『体験』です
『体験』を通して学ぶことは多い
「知っていること」「体験したことがある」ということの間にある大きな隔たりは、想像以上に大きい

2.地図は現場ではない

ある都市についての情報が、どれだけ事前に入手できたとしても
実際にそこに行かなければ「味わえないもの」があります
体験が教えてくれるものは、文字通り「想像以上に」多い

書物や記録されたものから知る事ができるのは、せいぜい「文字情報」と
音声や動画のような視聴覚情報でしかありません
身体を通して感じられる感覚は、現代の技術ではまだ『体感』するのは難しい

例えば「サッカー」というものを、いくら資料で学んでも、
実際にピッチに立ちボールを蹴り、歓声の中でプレイすることの感覚は、
想像するしかない・・・
一度でも『体験』したことがあれば、それは『言葉にできなくても、身体が覚えている』

そういう『体験』が最近の若者には少ないとも言われていますが
これは、何でも「情報」として入手でき、それで「分かった気になる」ということの弊害です

3.体験に勝るものなし。だけど手間はかかる

「いろんなことにチャレンジしろ」
そうアドバイスされる事は多いが、確かにそれが一番手っ取り早い教え

現代は、様々な「体験」をすることが昔に比べて増えてきたと思う
でも「人である」以上、そこで起きることの性質は、実は何千年も前から
そんなに変わってはいないのではないだろうか?
人間は「自分の身体(五感)」を通して、外の世界を体験し、他者と交わり、行った場所の環境を感じ取ること、ある出来事を通していろんな感情を味わい、少しずつ「自分ができること」を増やしていく

これら「世界のカタチ」を知り、自分との関わりを創っていくことこそが『学びの本質』なのだと思う

これらを考察してみると、次の『問いかけ』
何を体験すれば良いか? それをどう見つけるか?になるのではないでしょうか?

なので問いとしては

体験したいものはあるか?

ここでまた、どんな「体験」が世界にはあるのか?を知らないという事に
遭遇します
右も左もわからない中で、どこに向かえばいいのか?何を知らなければならないのか?まったくわからないまま「この世界に投げ出される」若者に、
何を与えればよいのか?
旅をするのに必要なものは「地図」と「コンパス」そして「メモ」
手がかりは「今、手元にあるもの」だけ
そこで、最初にやることは
まず「手元の地図」を調べることと「地図とコンパス」の使い方を学ぶこと
になると思います

明日は、その事について考察していきす

連続投稿108日目
今日も素敵な一日を!!

いいなと思ったら応援しよう!