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出来事を語るわたしの対象化
○やはりnoteっていう場はどちらかというとビジネス向けの場という感じがあって、このプラットフォームそのものが、文章を対象として切り離して商品化することと関係があるかもしれない。そのことが悪いわけじゃなくて、プラットフォームと文章そのものの相性というものがあるようにおもう。
○そんなわけで、このマガジンは日記だけれど、ビジネス用のマガジンを作り、今はそちらの文章も同時に書いている。日記は毎日。ビジネス向けマガジンは週一回を目標に考えている。おそらくそちらの方が相性はいいのかもしれない。
○わたしの文章の書き方はどちらかというと、対象化(オブジェクト化)というよりは主体化(サブジェクト化)にあって、わたしのなかにむしろ対象を取り込んでいくような書き方だ。どうやって分けないで、わからないままごちゃまぜにするかを考える。
○ある出来事はわたしのなかでわたしなりの解釈で意味づけされ、語り直される。そうして語っているわたしが対象化されるところまでいければなおよい。
つまりメタ的な視点でその出来事を語るわたしを語り直すことで、出来事を語るわたしを対象化する。
○一度悲劇として生きた後、それをもう一度喜劇として演じ直すようなものかもしれない。補足すると悲劇は主観的で物語内の存在だが、喜劇は全体を俯瞰する第三者視点で何なら物語の外に出て観客に語りかける。悲劇のヒロイン(ヒーロー)と、喜劇の狂言回しの両方をやる。
○それは日常もまた同じである。
●ビジネス向けの最初の文章も、そんなかたちで「過去の出来事を語るわたしを対象化」したようなものになるだろう。
○過去を今、語り直す時点ですでにわたしという主体の主題になってしまう。
●今日でさようならの別れがあって、来週からよろしくの出会いがある。そういう繰り返し。