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紫の雨

 十九の夏、スーパーマーケットの衣料品売場で紫の鼻緒が付いた畳の雪駄を見付けた。それが随分格好良く見えたので、買って帰って早速履き始めた。
 畳敷きだから履き心地が良い。おまけに鼻緒が紫で凄味がある。これはいいものを買ったと大いに満足し、毎日履いた。
 その時分には学生寮住まいで、寮内(屋内)ではスリッパを履いていた。
 スリッパは実家から持って来たものだった。家から持って来たものをいつまでも身に着けるのは、何だか弱い気がするから、じきに寮内でもこの雪駄を履くことにした。
 みんなもきっとそんな感じだろうと思ったが、どうも外履きと内履きの区別をやめたのは他にいないようだった。そのうち怒られるかと思ったけれど、存外何も言われないままだった。誰も気付かなかったのだろう。
 そうして雨の日にも容赦なく履いていたら、秋が来る前に畳がぐずぐずになった。履くとじっとりして気持ちが悪い。いくら気に入っていたって、履いて気持ちが悪いのではいけない。名残を惜しみながら捨ててしまった。
 それからは健康サンダルを代わりに履いた。

 その後、思いつく度に紫の鼻緒の雪駄を探したけれど、どうも見付からない。
 その内に十年が過ぎ、自分は川崎でチェーンのパスタ屋で店長になっていた。
 ある時、近くのマルエツに入ったら、そこに鼻緒が紫のビーチサンダルがあった。期せずしてようやく紫の鼻緒と再会できたのである。
 翌日、職場でパートさんが玉ねぎを切っているところへ、「昨日、とうとう学生時代から探していた紫の鼻緒を見付けたのですよ」と言ってやった。
 相手は「ふうん、そうですか」と言ったきり、相変わらず玉ねぎを切り続けた。それから二月ふたつき後に自分は店を辞めた。

 仕事は辞めても、紫のビーチサンダルはもちろん履き続けた。
 前の雪駄と違って、ビーチサンダルなのだから元来水には強い。だから何も気を遣うことはない。ちょっと近くへ買い物に行く時も、街へ出る時も、晴れの日も雨の日も、さっとつっかけて存分に履いた。
 そうして三年ばかり履いていたら段々底が磨り減って、雨の日につるりと滑った。それからは路面が濡れていると注意しながら歩くことにしたけれど、ビーチサンダルが水で滑るようではつまらない。それでじきに履くのをよした。

エンディングテーマ Prince “Purple Rain”


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百裕(ひゃく・ひろし)
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