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百洋

 中学生の時、何年生の時だったかもう忘れたけれど、二年か三年だったろうと思う。理科室の掃除をしていたら、靴裏の異物感に気が付いた。どうも何かが貼り付いたような感じである。
 きっとテープの塊でも踏んだのだろう。取ろうとして靴裏に手をやると、何だか丸いものに触った感触と、一瞬遅れて痺れるような痛みが走った。
いったっ!」
 慌てて離したら、果たして触った所から血が溢れ始めている。靴裏にはガラスの破片が食い込んでいたのである。
 水で洗って暫くティッシュで押さえていたけれど、血は一向止まらない。
「血が止まらん」
「輪ゴムで縛っとく?」
 吉田が飄々とした調子で言う。
 それで試しに縛ってみると、血は止まったけれど今度は指全体が鬱血して来た。吉田は一見賢そうだからつい云うことを聞いてしまうけれど、存外頓狂なので油断がならない。
「痛たたた、ゴム、切ってくれ」
「おう」
 切ったらまた血が溢れ始めた。これ以上吉田と血を眺めていたってしようがない。自分は傷を押さえながら保健室へ行った。

「あら百君、どうしました?」
「先生、ガラスの破片で手を切ったのですよ」
「どれどれ、あぁ、これね」
 先生は事もなげに消毒をして、絆創膏を貼った上から包帯をぐるぐる巻いた。これだけ巻かれては、血も止まるしかないだろうと思った。
 それから保護者に渡す連絡票を取り出して、「百君は、お名前はヒロシさんでしたね」と言って書き始めた。担任でもないのによく下の名前まで覚えているものだと感心した。

 渡された連絡票には「百洋」と書かれていた。面倒くさいので指摘はせずに、そのまま受け取っておいた。
 家に帰ってそれを渡すと、「あら、こっちの字の方が良かったかもねぇ」と母が言った。

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百裕(ひゃく・ひろし)
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