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富士見湯、宮内のこと
1990年4月から91年の10月まで、鈴木学生寮に住んでいた。
鈴木学生寮は、朝・晩の食事付き、風呂・トイレ共同の学生アパートだった。
周りの部屋には女子もおり、週末には誰かの部屋に集まってみんなでわいわいやっていた。自分は4月生まれなので、ちょうど馴染んだ頃に先輩たちが誕生日パーティをやってくれたのを覚えている。
寮の食事と風呂は平日だけなので、土日は銭湯へ行った。
銭湯は『富士見湯』だったか『富士の湯』だったか、そんな名前だったと思う。ここではとりあえず富士見湯と云っておく――あの辺りの地名が藤白台だったから、それに因んで「富士」をつけたものだろう――。
歩いて行くにはいささか遠いから自転車で行っていた。
寮生活を始めてまもなく、宮内と友達になった。
宮内は背が高くて男前なやつだった。茶髪を後ろで束ねていた。高校時代にはパンクバンドでボーカルをやっていたという。一緒にバンドをやろうという話にもなったが、音楽の好みが絶妙に噛み合わなかったから断念した。
休日の夕方には宮内と2人乗りで富士見湯へ行った。帰りに弁当を買って、寮の面々とテレビを見たりバカ話をしながら食べていた。
ある時、いつものように富士見湯へ向かっているとすれ違いざまに車から「兄ちゃん、ヘビメタか?」と声をかけられた。
宮内のことだ。
宮内は「パンクなのに…」と、後々まで気にした。そんなどうでもいいことを全体いつまで気に病んでいるんだろうか、ガタイの割に随分くよくよするやつだと思った。
※
9月に宮内と決別した。その経緯は、自分が一方的にカッコ悪い話だから伏せておく。
それからは1人で富士見湯へ行った。宮内と出くわすことはなかった。理由は想像がつく。
その年いっぱいで富士見湯は店をたたんだ。
そして翌年、自分は誰の目にも明らかなヘビメタになった。
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