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沈む船

 二十年ばかり前、職場の人間関係が縺れたおかげで随分困った。
 十名足らずの小さな人材派遣会社だった。こんなに小さな中でいがみ合っているのでは、先も知れている。果たして、得意先と結託して同業他社へ移る者が二人現れた。会社はそれで大いに傾いた。

 ある時、帰宅した後で社長から電話があった。
「会社がこういう状態だから、冬のボーナスを出せそうにないの」
 社長は女性である。いかにも申し訳なさそうな調子で何だか気の毒になったので、「それは仕方がないですねぇ」と言っておいた。そうして、ぼちぼち自分も辞める頃合いだと思った。

 翌日、寺島さんが、今日の定時後にみんなで立て直し策を話し合おうと云い出した。
 随分迷惑な話である。自分はそんなことより、定時を回ったら一刻も早くビリヤード屋に行きたい。けれど、移る先も決めない前に嫌だとは云えない。しようがないから「いいですよ」と答えておいた。
 全体、他の皆は立て直せると本気で思っているんだろうか。そう思って聞いていると、◯◯へ営業を仕掛けろとか、△△へ行くといいとか、採用担当のボブ松サプ子が好き勝手を云う。サプ子が知らないばかりで、そんなことはとうにやっている。全体、受注して来たってサプ子が人を集められないのだからいけない。しかしそれを云うといよいよ長くなりそうだから、黙って聞き流した。
 ところが寺島さんは、もっともだ、それは思いつかなかった、そうするよ、とサプ子に大いに賛同する。そうして「百君、明日から二人で◯◯地区を回ろう」と言った。
 賛同は勝手だが、巻き込まれるのは迷惑だ。自分はいよいよ辞める決意をした。

 伊藤茶にそう話したら、茶は「だったらうちへ来たまえ」と言い出した。茶は前の勤め先の同僚で、自分より一足先に同業他社へ移り、この当時は営業所長になっていた。ちょうど新しいプロジェクトが始まったところで随分忙しいから、経験者の受け入れは大歓迎なのだそうだ。
 一応、茶の上の人の面接を受けて、自分はそちらへ鞍替えした。こんなに簡単に進むとは思っておらず、大いに拍子抜けした。
 泥舟職場はそれからじきに潰れてなくなった。

 新しい職場に移って間もない頃、茶とハンバーグ屋へ入った。
 店内では新人らしきバイト女子が、大きなチーズを乗せたワゴンを推してぐるぐる回っている。大きなチーズを削ってハンバーグにかけるサービスをしているのである。あっちへ行ってはゴリゴリ削り、こっちに戻っては別の席でまたゴリゴリやる。どうもきりがない。
「あの子、ずっとチーズ削ってる」と、茶が言った。

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百裕(ひゃく・ひろし)
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