日記:感動性煩悩 2024/10/25

今日は有給で休みだった。だからといってなにか特別なことをしたわけではなく、基本家にこもっていた。

同時視聴というコンテンツの流行りはいつくらいからなのだろうと、某Vtuberのカイジ同時視聴を見ながら思った。

同時視聴は、自身も一緒に初見で楽しみ、それこそ同時に見ている感覚を楽しむものなのかもしれないが、自分が見るのは基本的に既に内容を知っているものに留めている。

これは単純に、作品は一人で見るか数人の友人と見るくらいに留めたいという気持ちが強いからだ。その他大勢の視聴者や配信者の考えについては、少なくとも一度自分で咀嚼するまでは見聞きしたくない。

ともすれば、自分の同時視聴の楽しみかたは、「初見の反応」の楽しみとほぼ同じだ。そういう意味でいえば、自分にとって「初見ゲーム実況プレイ」と「同時視聴」は殆ど変わらない。

つまるところ、自分は感動している人を見たいのだ。

誰かが自身の好きな作品で泣いたり、驚愕したりしているのを見るのは楽しい。それがその人に取って心を動かしている、その瞬間自体に自分は感動している。

ただ、これ自体の生産性は低いな…と、書きながらあらためて再認識する。ちょっとインスタント過ぎやしないか。いや、そもそも娯楽に生産性を求める方がどうかしてるか。

漠然とした不安を感じるのは、ここで得ている感動自体はその作品とちょっと離れたところにあるからかもしれない。有り体にいえば出汁にしているようにも見える(もちろんそんなつもりはないが)。


インスタントな感動で思い出したが、人は誰しも「必ず泣いてしまう」コンテンツを持っていると思う。

自分にとっては
・MGS3のエンディング
・ニコニコ動画の東方手書き動画(キャラが炒飯で料理対決に臨むやつ)
を見ると、反射的に泣いてしまう。

もうすでに展開を全て把握しているのに泣く。「泣きてぇ~!」と思ったときは動画を探しにいく。そして泣く。

こうなってくると、本当に作品に感動して泣いているのか、条件反射で泣いているのか分からなくなってくる。感動する理由自体は分かっているが、だからこそもうこんなに泣かなくてもいいだろとも思う。

人間の脳みそのバグみたいな挙動だ。修正案件なのかもしれないが、これ自体はユーザー不利益でもないし見逃してくれてもいいと思います。

大人になると泣きたいときに泣けないことの方が多いんだからさ…。

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