愛すべきガジェット

文字に起こすというのは、心象をうつつに刻みこむ作業だと認識している。それは秩序であり混沌であり、救いであり呪いであり。誰のためでもなく、また何のためでもない。戯れに金魚掬いのような気持ちでつらつらと書くことはふだんなかなかしないけれど、たまにはよいものだ。

OuraRing第3世代が未だ来ず。第二世代よりも抜群に機能が拡張し、求める性能をもろもろ備えてバージョンアップするということで、非常に楽しみにしているのだが……?

周りにユーザーがいないから、いくら不安に思おうが、相談などめできず。そわそわしつつ、ただ座して待つのみ。まあ、待つよろこびというのもあるわよね。

どうやらわたしはガジェットというのが好きで、PhilipsのHueライトシリーズ、OuraRing、Apple Watch、Amazon Alexaにはたいそう世話になっている。ふだんポンコツぶりを発揮せざるを得ないわたしにとって、彼らは代わりに働いてくれる、よきパートナーのようなものだ。

じぶんの身体でさえ、好きな時に好きなようにコントロールすることができない。これが紛れもない日常で、縛りであり、わたしにとっての不自由の自由。これらを代わりに使役することで、QOLは向上している。かくじつに。

この「コントロールできる」という感覚は、とてもだいじなものだと思う。自分にできないことをガジェットに委託する。やれないことを補ってもらう。そして、ボロボロの生活をすこしでも底上げすること。

他者に依存できない性質の人にとって、便利なモノたちに依存先を分散させることはとても重要だと思われる。

わたしのホロスコープは山羊が5匹もいるので、堅実を好む彼らは「節約せよ! 貯金を崩すな! リスク管理せよ!」と叫んで、これらのようなやや高額な出費に、いい顔をしない。だけど、そういう〝未来の安定〟のために現在享受できるせめてもの助けを突っぱねるのはナンセンスだ。

使えるものはどんどん使って、地道にXを積み重ねていけば、いつかその初期投資は回収できるはずだ。——と、信じている。



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みお
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