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葬送のフリーレンアニメ解説 第1話 〜良すぎだろこのアニメ〜

MAPPA制作、初回2時間金曜ロードショー、事前告知広告打ちまくり、OPテーマYOASOBI、ED milet、主人公声優アーニャ、放送前から2クール確定・・・

自分で上げに上げたハードルを、平然と超えてくるエグすぎるアニメ化。俺じゃなきゃ見逃しちゃうねたまんないね。

はじめまして、原作1巻からファンをやっているものです。
よく練られた気持ちいいストーリーと、小気味いいテンポの会話の原作をどうアニメ化するのか期待半分不安半分でしたが、不安が見事にゾルトラークされる神アニメです。

基本的には漫画に忠実だけど、アニメの演出で光ってるところが多すぎ、今期の覇権アニメの予感がビンビンしてますぜ。音楽良すぎる。そして星が綺麗すぎて泣けてきます。

改めて漫画とアニメを見比べながら何周かしまして、語りたくてたまらない状況です。

今なら岡田斗司夫くらい解説できる。この熱量冷めやらぬうちにまとめていきます。

主に

・フリーレンの心情やキャラクター性についての考察
・アニオリ演出や演出意図
・丁寧に見直して、あ、これそういう意味だったのかと気づいたところ

などについて解説していきます。

フリーレンのキャラクター性とストーリー

『勇者討伐パーティの解散後、50年が経ち、勇者はこの世をさり、残された魔法使いフリーレンの旅がふたたび始まる』というような最近の一捻りあるなろう系みたいなストーリーログラインが表側のストーリーとすると、

裏側はフリーレンの『あれは恋だったのかもしれねぇ…それを確認しに行くぜ…!』の旅です。

厳密には人間の感情を上手く理解できないフリーレンは恋というものも理解しておらず、このヒンメルへの不思議な気持ちは何なんだろう、それを探す旅をしているというのがより正しい表現かなとおもいます。


フリーレンはエルフで長命なので誰よりも経験のある年長者であると同時に、その精神性は極めて幼く、成長も遅いというキャラクターとして描かれています。

人の気持ちがわからないし、1話のストーリーで明らかになるように、ヒンメルが死ぬまで死を理解しておらず(後で解説します)、まるでおばあちゃんが死んだことを上手く受け止められない子どものような振る舞いを見せます。

その幼さをハイターやアイゼンは理解しており、それ故に頭撫でちゃうわけです。

ヒンメルはフリーレンのことを女性としてみているので、頭撫でたりはしてないんじゃないかな(撫でてたらすいません。まだ全巻確認できておらず)


ヒンメルはフリーレンのことが好きだったと思います。そのような描写はこの先々何度もでてきます。ゆえに最後まで家庭をもたなかったのではないでしょうか。

しかしフリーレンが精神的に幼く、恋を理解していなかったためヒンメルの気持ちに気づけず、その状態でフリーレンに想いを伝えても困らせるだけだ、ということで旅が終わるときに何も言わないままだったんじゃないかなと。

そして作中でフリーレンの精神性は徐々に成長し、あのときヒンメルがしてくれたこれはそういう意味だったんだな、と心ぽかぽかしていくというのが大まかな流れになります。

また、アニメではフリーレンの表情の変化が漫画よりかなり抑えめで、起伏が少なく描かれています。その辺の違いも見どころです。アニメから漫画に行くと意外と表情豊かでびっくりするかもですね。


作品全体の考察はこの辺にして、ここからは時系列順によかったところやアニオリ演出、要解説箇所を順に触れていきます。

荷馬車に揺られ凱旋する4人

このシーンで覚えておいてほしいカットが1つあります。
最後の方にある、木の下を通り、街道を手前に進んでくるシーンです。左手の木の下にはお地蔵さんのような石碑があり、その足元にはりんごが備えられています。

このカットと全く同じシーンが後にでてきます。

余談ですが木下のお地蔵さんのような石碑は国中で所々においてあります。聖教の守り神かなんかでしょうか。

4人での旅が終わり、一人旅を始めるフリーレン

宴が終わり、『100年くらいは中央諸国をうろうろしてるから、たまには顔を見せるよ』

といってこともなげに立ち去るフリーレン。

このときのフリーレンは極めてエルフ的な時間尺度に生きており、一言でいうと『また会える』と思っています。人がすぐ死ぬということについて知識はあるものの実感がなく、

一時的に離れるだけで、4人の旅はまだ終わっていないという感覚なのです。

次のエーラ流星では会うつもりだし、いいでしょ、くらいのノリだと思って下さい。

50年間、一人旅をするフリーレン

この旅は、漫画版よりかなり美しいです。アニメGJすぎる。

特にお気に入りは、洞窟の天井にみえる輝石を小舟で眺めるシーン、漫画だと川のない普通の洞窟で、輝石も地面にあります。

また、フリーレンが商店で買い物をしているカットが2カットありますね。暗黒竜の角を買おうとしている店です。
これは漫画でもアニメでも2カットあります。

漫画でもそれらしい若店主がでてくるコマがありますが、50年後と画角が異なるので同じ店主かどうかがわかりづらいのですが、

アニメでは1回目と2回目のカットが全く同じ画角で、若かった店主が年を取ってひげを生やしているというのがよく見るとわかります。

画角を揃えて時間経過がわかるような演出になっています。ナイス。


4人の銅像を見るフリーレン

暗黒竜の角を郵送し、視線を落として4人の銅像を見るフリーレン。

ここは漫画では、結構銅像が露骨にボロボロになっていてフリーレンが軽くショックをウケるのですが、アニメではわりと綺麗です。

勇者が存命で近所に住んでて、かつここは王都なので、ぼろぼろすぎるのは不自然じゃないか?ということで抑えめになったのかなと。

後にアイゼンが『もう斧を振れるような歳じゃないんだ』というシーンがありますが、え〜そんな足腰元気そうだしホントはいけるんちゃう?と思った人もいるでしょう。しかし銅像のアイゼンはめちゃくちゃでかい両刃の斧をもっており、たしかに流石にこれはもう振れないかもな〜とおもいますね。


剣を見るヒンメル

エーラ流星を見に行く前、「ハゲにはハゲなりのこだわりがあるの」といってヒゲを整えるヒンメル。

漫画だと本当にひげを整えているだけのシーンですが、アニメではフリーレンに声をかけられる前に、ガラス戸の棚を見つめるカットが追加されています。

棚の中には50年前に共に旅をしたローブと剣。
50年前の旅を思い出しているのでしょうか。

老いぼれた今のヒンメルにはもう剣は持てないし、もつ必要もないのです。
魔王のいない平和な世界では剣はいりませんから。

10年かけて平和にした世界を、最後に皆で旅をする。
剣を持っていかないことこそが4人の旅の証であり、持ちたくとも持てない衰え、また永遠の別れの日が近づくことへの悲しみでしょうか。

4人での旅が今度こそ本当に終わる、最後の旅になるという感情。万感です。

墓地でヒンメルを埋葬するシーン

ここ、アニメオリジナルです。

漫画では教会でおばちゃんたちに陰口たたかれたあとにその場で泣くのですが、アニメでは墓地に埋葬するシーンが追加されています。

さすがに第1話のアニオリ演出の中だと一番よかったのはここですね。

教会でのフリーレンは、まるでまだ死を上手く理解できない子どものように、ヒンメルの死を悲しめないでいます。

もちろん魔王討伐の旅の中でたくさんの人の死を見たでしょうし、フリーレンも魔族をたくさん殺したと思います。

しかし身近な大切な人が死に、フリーレンは初めて人死をみたような反応をするのです。初めての喪失感を覚えるのです。
フリーレンは長く生きた老練さと、幼い精神を併せ持つ不思議な存在です。

そして棺に土がかけられていき、そこで本当にもうヒンメルと会えないこと、ヒンメルの死をようやく実感したフリーレンは、もっと知ろうとすればよかった、と今からではどうしようもないことを想い、涙を流すのですね。

フリーレンに気持ちの整理と咀嚼の時間を与えてくれたアニメスタッフには感謝しかありません…。

ここで初めてフリーレンは「私、ヒンメルのこと、大事だったかもしれねぇ…」という気持ちになり、精神的に大きく成長したのかなと思っています。

ハイター「それではお先に」

馬車で去っていくシーン。
最後にすっと目を閉じる演出はアニオリです。
良い演出だね。


これで最後になるかも、と話すハイターに「死ぬのが怖くないのか?」と聴くフリーレン。

これも子どもみたいですね。「おじいちゃんは死ぬのが怖くないの?」ってやつです。
ヒンメルの死で死を理解したフリーレンが人の死に興味をもち、でてきた質問です。

また「ヒンメルに続いて、ハイターもいなくなっちゃうの?」という意味でもあります。

余談ですが実際に子供の頃おじいちゃんに「死ぬのは怖くないの?」と聞いたことがある人によると、おじいちゃんは急に真顔になって「まじで怖えよ」と答えたそう。

それと比較で考えると、相当カッコつけてますね。


アイゼン「そんな顔をするな」

『もう斧を振れる年じゃないんだ』
とアイゼンに言われ、アイゼンも十分老いていることに気づくシーン。

漫画だとフリーレンはちょっと驚いた表情をみせ、アイゼンの「そんな顔をするな」というセリフに繋がります。

しかしアニメではフリーレンはほとんど表情の変化を見せません。

でもアイゼンにはその微細な表所の変化がわかるんです。

なぜなら、10年も一緒に旅をしたから。

ヒンメルが死に、ハイターもこれで最後と言い、アイゼンまでもが「もう斧を振れない」と言う。

人間よりは長命なドワーフのアイゼンでさえももう死んでしまうのか?と動揺するフリーレンに、「衰えてからのほうが長いもんさ」と伝えるアイゼン。

これは、俺はまだしばらくは生きてるよ、という意味ですよね。
アイゼンの優しさです。

フリーレンも安心して、またねと言って別れられています。よかったねえ。

「今までの人生よりこの先が長い」とすると少なくともあと50年は生きるつもり、ともとれます。だとすると、この物語が終わったときにはまだ生きてそうですよね。


今度こそ旅は終わり、フリーレンの新しい旅が始まる

アイゼンと別れ、一人歩いていくフリーレン。

ただ空とフリーレンの後ろ姿だけが映るシーンではなぜか、フリーレンが何を思うのかに思いを馳せずにはいられない。

僕が思うにフリーレンは悲しみの中にいます。
もしかするとフリーレンはそれがまだ悲しみとはわからないかもしれない。

彼女なりの悲しみの中に。

美しい音楽が、世界はこんなにも素晴らしいと訴えかけてきます。

失う悲しみを思い知った今だからこそ、もうどうやっても戻らないあの旅の日々が一層輝きを増すように。
悲しみを知ったフリーレンに、世界が美しく見えるのです。


50年前に4人で荷馬車に揺られて凱旋したあの街道を、今度こそ一人歩いて行くフリーレン。

冒頭シーンと全く同じ画角で描かれるその意図は対比。
旅の終わりと旅の始まり。
楽しかった4人での旅から孤独へ。

そしてカメラは、フリーレンの旅はこれからも続いていくことを暗示しているかのように遠くへ視点を移します。

そして「旅の終わり」というエピソードタイトルのカット。

50年前に「そのうち顔を見せるよ」といつでもまた逢える気で何気なく別れたフリーレンは、今ようやく、4人の旅が終わってしまっていたことを、50年遅れで本当の意味で理解したのです。

凱旋の日と同じように遠くに見える王都の城壁。

私にはついこないだのことのように思い出せるのに。

『君のこの先の人生は僕たちの想像もできないほど長いものになるんだろうね』

『なにかお探しでしょうか?』

20年後、ハイターの家を探すフリーレン。

「なにかお探しでしょうか」と声をかけてきたフェルンをしばし無言で見つめるフリーレン。

つまりここは「気配探知に引っかからなかった…?」というシーンですね。

後にフェルンを森でさがしたときの

「やっぱり…気配探知にほとんどひっかからない」の「やっぱり…」に繋がります。

『かっこよく死ぬのも難しいもんですな』

実は「かっこよく死ぬ」はハイターのキャラクターを一貫して説明できるフレーズだと思っています。

ずっとかっこよく死ぬことを考えて行きて、にも関わらずめちゃくちゃ長生きしてしまい、最後にはかっこよく死ぬことを辞めたおかげで幸せな最後を迎えられたキャラクターです。

最終的にハイターは100歳近くで死んでいるはずです。

ヒンメルの葬式の別れ際でかっこよく去ろうとしたのもそうですし、実は一貫してかっこよく死のうとしています。

しかし主に2話以降の内容になるため、次回のnoteで解説しようと思います。


『たくさん借りがあるから、死なれる前に返しに来た』

死んでると思って備える酒を持ってきた、という行動とこのセリフは矛盾していますよね。

死んでいるかもしれないけど、でも生きていたらできることをしてあげよう、という感じでしょう。

最後に別れてから20年たっちゃってますけど、その間にフリーレンになにかしら心の成長があったことが推測できます。

人とできるだけ関わるようにしているということなので、その中でなにか思うことがあったんでしょうね。

もしかしたら手遅れかもだけど、今からでも間に合えば、ヒンメルみたいに後悔しないように、関わっておこう、という気持ちがもてるようになった。

それに気づくのに20年はかかりすぎですけど、まあエルフの時間感覚なので…。


ハイターの家で料理をするフェルン

ここアニオリです。漫画でも何かしらゴソゴソしているものの、こんなガッツリお料理してなかった。
一人で生きていけるように教育しているんだなというのが伺えますね。

『私は僧侶なので、どうも勝手がわからないのです』

これ嘘ですね。
フェルンは現状で歳の割には十分熟練しており、才能はもちろんありますが、ここまで指導したのはハイターのはず。
フリーレンに面倒を見てもらう方便です。


『ほどほどでございます』『私と同じだ』の意味

1話のラスト

フリーレン『魔法は好き?』
フェルン『ほどほどでございます』
フリーレン『私と同じだ』

の箇所です。

この『私と同じだ』は大きな意味を持って、後の話でも再登場します。

ちょっと先の話も入ってしまうのですが大事なセリフなので先回りして解説します。

単に言葉尻の上でほどほどに好きなのが一致しているわけではないんですね。

フリーレンはヒンメルが変な魔法を褒めてくれたから変な魔法集めに執着しているわけですが、別に魔法じゃなくても良かったわけです。ヒンメルが褒めてくれたことが重要で、たまたまそれが魔法だっただけです。

それはフェルンも同じで、ハイターに恩返しするために安心させられるように1人前になりたかっただけで、別に魔法じゃなくても良かったわけです。
たまたま才能があってハイターが褒めてくれたから魔法に執着しているだけです。

2話以降、フェルンがフリーレンの魔法への異常な執着を指摘するシーンが多いですが、幼少期に限ればフェルンの方がよほど異常です。

その様子にフリーレンはフェルンと自分を重ねているわけです。


2話以降の話ですが、かっこよく死にたかったハイターも死のうとしているフェルンに自分を重ねたし、フリーレンもフェルンに自分を重ねています。

フェルンは色んな人の思いを背負ったキャラなんですね。

なお特に幼少期のフェルンは漫画だととても美しく描かれています。

アニメだとちょっとのっぺり描かれているんですよね。

漫画版だと幼少期の時点で大人っぽすぎる気もしますが、眼力がある意志を感じるカットが非常に多いです。

漫画未読フェルンファンの方はぜひ漫画も手にとって見てくださいね


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第二話解説→


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