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1球目|娘に三輪車を買う・2 菊地家

 彩菜の誕生日は4日後に迫っていた。更には、その翌週にクリスマスも迫っている。

 我が家では、まだ明確なルールを設けていないのだが、とりあえず誕生日プレゼントとクリスマスプレゼント、その2つを親の都合で一緒にしてしまうつもりはない。

 彩菜も今はまだ、サンタクロースという幻のお爺さんの事をよく分かっていないが、そのうち友達とそういう話をするようになる。
 12月の冬休みをファンタジックな夢とともに、いつしか特別なものとして感じ始めることだろう。

 なので、できるだけその夢の期間は、親としてもかげながらフォローしてやらなければと思っている。それが親としての愛というものだろう。

 12月18日の誕生祝いは、直近の土曜日か日曜日、どちらか近い日に家族で外食をする事にした。
 国道沿いに子供の誕生日を祝ってくれるステーキ屋があるとお向かいの中村さんに聞いたことがある。確か相模原さがみはら警察の近くと言っていたか?

 まだ詳しく調べてはいないが、ネットで検索すればそこではない店も色々と出てくるだろう。お子様ランチがメニューにある店ならばどこでも良い。

 その前に、多摩境たまさかいのトイザらスに行く。
 僕は、実はクリスマスのプレゼントと誕生日のプレゼントを同時に調達してしまおうという腹づもりでいる。

 計画はこうだ。
 誕生日のプレゼントは妻と彩菜にあれこれ悩みながら、時間をかけて選んでいてもらう。何を欲しいと言ってもこころよく買ってあげるつもりでいる。
 2歳児の欲しがる物だ。極端な値段の物をよもや指差すまい。もちろん年相応のおもちゃなのかという事は妻にしっかり見定めてもらうのだが。

 おそらく彩菜も、長い長い時間、精査に夢中になるだろう。その間に僕は、「お腹が痛くなった」と2人に訴え出て、トイレにこもるという一芝居を打つ。
 そして密かに店員さんを1人呼び出して、例の《ペダル無し自転車に変形する三輪車》の詳細を聞き出し、購入を済ます。そんな寸法だ。

 後は、彩菜に現物が見つからないように、いかにして隠すか?という問題になるのだが。

 方法としては、トイザらスに皆で買い物に行ったその日。一人隠れて会計を済ませた足で、車のトランクに詰め込んでしまうのが良いと考える。毛布か何かをかぶせてしまえばバレやしまい。

 宅配で後日届けてもらうという方法もあるが、彩菜の目を盗んで回収するのが難しい。昨今は《置き配》というのが主流になっているが、外で遊んで帰ってきた彩菜にどうしても見つかってしまうだろう。何より回収人員は、平日は一緒に行動している妻しかいない。

 なので、クリスマス当日まで、プレゼントには車のトランクで眠っていてもらう。そのためには、誕生日当日のトイザらスでの作戦は、抜かりなく速やかに遂行すいこうしなくてはならない。

 木曜日の午後。予定調和の会議の間、そんな安易な計画を人知れず思い描く。その後は、何の詰める仕事も訪れず定時で帰途に就いた。

 翌日。
 正面玄関口から街に出る時、社屋裏手から同期の顔なじみがひょっこり現れた。企画部の坂下だ。

「おう!菊地。飽きもせずまた富士そばか?」
 
 時代の波に社屋裏へと追いやられた喫煙所は、その昔、体育館裏でタバコをフカシていた不良のたまり場に似ていた。

 このヘビースモーカーは、未だに悪い習慣から抜け出せないでいる。
 たとえ台風の日にだって、スラックスのすそを濡らしてまで喫煙するという筋金入り。常にニコチンの臭いをまとっている。

 昨今の風潮で、営業部の様な対外的な部署からは決してお呼びがかからないタイプだ。そして当の坂下もそれを望んでいる。

「お、坂下か。今日はそうだなあ。富士そばも流石に飽きたから…、そうだ。せっかくだから座れる所に行こう。お前も飯だろ」
「いいね。そういう話ならば落ち着ける店に行こう。タバコ吸えるところはどこか知ってるか?」
「分かってて聞くなよ。東京じゃもう、そんな店はどこにもないよ。ガストでいいか?」
「しょうがねえな。うるせえけどあそこなら確か喫煙室があったな」

 そんな他愛のないやり取りを交わし、僕と坂下は宇田川町うだがわちょうのガストへと足を運んだ。

「なるほどなあ。こないだ産まれたばかりだと思っていたお嬢ちゃんももう2歳か」

 爪楊枝つまようじで歯に挟まった何かをき出しながら坂下は感慨深げに言った。
 ガッシリとした体躯たいくに似合わず、しらすと九条ネギをまぶしたヘルシーなパスタで満足しているようだった。

「俺らもオヤジになったもんだよな。子どもの成長は早い」
「全くだ。人様の子の事となると尚更なおさらそう感じるよ」
「そうだよなぁ。坂下の息子さん。もう中学生だったよな」
ちげえっての。もう高校2年だ」
「マジか?」
「マジだ」

 うかうかして生きていたら、何か大切な物事を見逃して生きてしまう様に感じた。まさか、坂下の子がもうそんなに大きくなっていたとは。

「それで。何だっけ?三輪車だっけ」
「うん。そう。何か、ペダル無しの自転車に変形する三輪車っていうのがあるらしい」
「トランスフォーマーのおもちゃみたいなやつか?」
「違うよ。実際に子供が乗るやつだ。それにウチの子は女の子だから」
「ふむ、そうか。なるほどなあ」
 さして興味も無さそうに坂下は相槌あいづちを打つ。
「それって、アマゾンとかで安く手に入るんじゃないのか?」
「アマゾンかぁ…。あまり良い思い出がないんだよなぁ」

 確かに、アマゾンならば少し安く手に入るかもしれない。クリスマス用のラッピングにメッセージカードも添えてくれるだろう。…だが。

「…あぁ、アレか。高橋のやつ、まだネチネチ言ってんのか?」
「いや、流石にそれはないけどさ」

 《高橋》というのは僕の妻の旧姓だ。
 まだ付き合い始めて2年目ぐらいの頃。彼女の誕生日を3日前になるまですっかり忘れていて、慌ててアマゾンでブランド物のバッグを注文した。
 確か、イタリア人の名前がメーカー名の物だったと記憶している。そこそこの価格だった。

 それがまあ、誕生日までに間に合えば問題は無かったのだが…。
 注文して2日後。唐突に業者から在庫トラブルの報告があり、勝手に発送を翌月に変更された。それが坂下も知っている《アレ》だ。

 そう。一番良くない思い出だ。
 アマゾン並びに外資の会社との取引ではそういうことがままある。加えて、及び腰で臨んでいてはクレームはまず通らない。

 恐らく運が悪かっただけなのだろうけど、他にもちょいちょいアクシデントにった経験もあり、それも含めてあまり良い思い出がないということ。要はアマゾンとは相性が悪かった。それだけなのだ。

「ならば、ヤフオクなんてどうだ?出品者と直接やり取りできて、話が通じる分セットアップもし易いだろう」
「いやいやヤフオクって。子供のクリスマスプレゼントだぞ。新品を用意してやらなきゃ可哀想かわいそうじゃないか」
「ああ…それもそうだな。けれどお前。市場しじょうにまだ在庫は残っているのか?もう15日だぞ」
「う~ん…それはまだ確かめていない」
「無かった場合はどうするんだ?」
「どっかの店には必ずあるだろう?」

   そうだな。商品が売り切れている可能性は、よくよく考えてみれば確かにあった。

 途端に不安が、日光をさえぎる鉛色の雲のごとく覆いかぶさってきた。そう、ちょうどもう1時間もすれば雨が降りそうな予感がする今日の天気の様に。

「これから行ってみるか?社用車ころがして」
「馬鹿を言うな。心配しなくても大丈夫だって!お前もサボってばかりいると査定に響くぜ」
「はっ!巡り巡ってとっくに行き着く先だよ。それに企画部なんて俺が口を出さない方が上手うまいこと回る」

 企画部とは、CMや広告などのキャッチコピー・デザイン・レイアウトなどを手掛ける部署だ。
 ファッションや流行を新たに創出しなければならない業界とは違って、弊社の企画部はそういった意味ではピリピリしていない。
 何なら、流行のファッションを「ふ~んなるほど。今はこんななのか」とちゃっかり取り入れたところで誰からの文句もない。

 表舞台というよりは裏方として社会の役割を果たしている弊社。
 とはいえ。だからこそ、そこに巧みな誤魔化しならぬ、コラージュ的なテクニックが必要になってくる。当の坂下から以前、そんな実情を聞いたことがある。

 坂下はキャッチコピーの才能に恵まれた。詰めの大仕事でクライアント様のハートを見事に射抜く言葉を生み出せればメンツが保てる。
「俺は最後にバシッと一本締めをすればいいのさ」と坂下は言う。実に羨ましい立場だ。

「俺はそういうわけにはいかないんだよ。ホラ!会社に戻るぞ」
「待って。もう1本タバコ!」

 坂下と会うといつもこんな感じだ。だが、今回は1つの情報を得た。

   ヤフオクか…。もし店舗で売り切れだった場合のバックアッププランとして考えておくか。

 坂下が、喫煙室で泣き別れの一服をしている最中、僕はドリンクバーでエスプレッソをおかわりする。
 坂下がニコチン中毒ならば、僕はカフェイン中毒だ。濃いコーヒーだが、もはや午後の眠気を払うダメ押しとしての効果は薄い。
 この後、睡魔を蹴倒けたおすような、駆け込みの案件が飛び込んで来なければ良いが。


こんな私にサポートしてくれるなんて奇特な方がいらっしゃいましたら、それはとてもありがたい話です。遠慮なく今後の創作の糧とさせていただきます!