8月18日元実況アナの週一コラムvol.3❗高校野球名監督・和歌山箕島高校・尾藤公さんを偲ぶ 13 仙田和吉 2022年8月18日 12:41 今年3月6日で11年が経った、その笑い顔に魅了されたのは私1人ではない、高校野球ファンベテランの域に入っている大勢の皆さんがそうだったと思う。 それが元箕島高校監督尾藤公(ただし)さん。膀胱がんの為、まだまだこれからの68歳でこの世を去ってしまった。野球を愛し野球に明け暮れた生涯を惜しむ人々600人が葬儀に参列、ミカンで有名な和歌山有田市が悲しみに包まれた。そんな尾藤さんは箕島高校時代は4番・捕手、残念ながら甲子園でのプレーはなくその後近畿大学へ進学。しかし腰を痛めて野球を断念、悔しい思いの中で一度野球から離れたのである。そんな状況下母校箕島高校からコーチの要請を受け、再び野球熱に火が灯る。正に神の導きか・・・翌年には監督に就任、ここから箕島・尾藤神話がスタート!先ずは監督就任から3年後の春、東尾投手(後の西武ライオンズ監督)を擁し甲子園初出場。自身も選手時代から憧れていた大舞台、甲子園球場に足を踏み入れたのである。その貴重な采配を振るった2年後、監督となって区切りの5年目に更なる結果が待っていた!今度はサウスポー島本投手を中心としたまとまりあるチームを率い、1970年第42回選抜大会で紫紺の優勝旗を手にしたのだ。がしかしこの時監督としては若い28歳という年齢もあり、熱血さ故スパルタ指導となり選手の気持ちが離れて行ってしまった。春頂点から僅か2年後、何と監督を退いたのである。恐らく無念の気持ちを噛み締めながら、門を叩いたのはボーリング場。ここで尾藤さんは、接客に従事した。振り返ればこの一時の仕事・携わりが、来るべき第二次政権で生かされるとは思いもよらずに。いや敢えてこの道を辿る様に仕組んだのは、天の声だったのか?いづれにしても2年4ヶ月の月日が尾藤さんを大きく変えたのは間違いない。接客業で身に付けたこれ迄以上に人をいたわる気持ちと笑顔で1974年自身間もなく32歳の時再び母校の監督に復帰した。練習中の厳しさは変わらないものの、試合中は野球以外で学んだ笑顔で接するようになったのだそうだ。すると選手がノビノビプレーし結果が出始めた。そして1979年石井ー嶋田のバッテリーを軸に第51回選抜を見事制覇すると、勢いそのままに夏の地区予選を勝ち抜く。そこで迎えた第61回選手権大会で、高校野球史に和歌山・箕島高校が刻み込まれた壮絶な試合が待っていた!43年前のこの時期8月16日、対石川県・星稜高校戦。試合開始のサイレンが鳴ったのは夕方4時6分、世紀の死闘が幕を開けた。先攻・星稜後攻・箕島両チーム4回に1点を取り、それ以外は0が並ぶスコアボード‼️結局そのまま1ー1で延長戦。ここから想像を超えるドラマが繰り広げられる。星陵が12回に1点勝ち越し2ー1、その裏箕島2死ランナー無し。多くの方が星稜の勝ちを意識する中、打席に向かう捕手嶋田宗彦は何と『ホームラン打って来ます』とバッターボックへ!信じられない事に、打球はレフトラッキーゾーンに飛び込む同点ホームラン‼️嶋田さんに阪神タイガース・バッテリーコーチ時代話を聞くと、あの時は「打てる気がしたんだよ」と話してもらい筆者身震い。2ー2で試合は続く‼️延長14回裏は箕島1死2塁からディレードスチール成功でサヨナラの大チャンス。しかしここでまたしても驚愕のプレーが・・星陵サード若狭の隠し球でサードランナー・タッチアウト、箕島無得点で攻撃終了。このプレーで流れを引き寄せた星稜は16回表7番山下のタイムリーで再びリードの3ー2。その裏箕島又しても2死ランナー無し!流石にもう無理だろう⁉️と思われた中、6番2年生・森川の打席で奇跡が起こる。先ほどの嶋田と違い、初球打ち上げファースト・ファールフライ。しかも落下地点は、スタンドには届かない所で終わった!と大勢が思った次の瞬間星稜ファーストを守っていた加藤が転倒してノーキャッチ。まさかの事態になったのだ!実は甲子園この年からファールグラウンドに人工芝が敷かれ、スパイクがその張り替え部分の角に引っ掛かったのだ。とは言えいくら命拾いをしたといっても2死ランナー無し、気持ちを切り替えて行けば星稜の勝利濃厚は間違いない。星稜・山下監督も肩の力を抜いて行こう❗という仕草でサウスポー・エース堅田を鼓舞した。次のボールでストライクを取り追い込むも、その後森川の打球は左中間へ上がり嘘のようにスタンドイン。練習試合含めてもホームランを打った事無かったバッター!14回裏に隠し球でアウトになっていた泥んこのランナーが森川だったのもドラマティックでもはや筋書きを超越する同点弾。そこには1塁ベンチで、驚異の粘りを讃える尾藤監督の笑顔が有った!そんな奇跡が続くこの試合尚もイニングは進み、17回は共に三者凡退。いよいよ規定の最終18回へ突入した、点を取らないとこの日の勝ちが無くなる星稜は意地で2死満塁のチャンスを作り代打・久木。山下監督がポンと肩を叩いて送り出すもアンダースロー石井がここ一番の投球で三振を奪ってスリーアウト、再試合へ向け星稜は気合いの守備に散る!いよいよ18回裏箕島2つの四球で1死1・2塁とサヨナラの好機。ここで5番上野、インコースのボールを左中間へ!打球はレフトの前に落ちセカンドランナー辻内がダイビングヘッドでサヨナラのホームイン!凛烈の意気が、掴んだ勝利。試合終了を告げるサイレンが響いたのは7時56分、試合時間:3時間50分今でも高校野球史上No.1ゲームとして語るファンが多いのも大いに頷ける。 加えてナイター照明まばゆい中、試合後にも隠れたドラマの続きが有ったのである。208球を1人で投げながら敗れた星稜・堅田投手に、球審を務めていた永野さんが歩みよった。そして「良いゲームだった、ご苦労様」と言って記念球を手渡していた。これに感銘を受けた堅田さんは社会人野球引退後、高校野球の審判員を務め球児に声を掛け励ます存在になっていたのだ。昔から笑う門には福来ると言うが、1つの笑顔からとんでもないストーリーが生まれたのだから正に格言。その笑顔の尾藤監督の指揮は続き、1995年に勇退。その後放送席で、何度もあの笑顔を見させて頂いた❗全力疾走・目一杯のプレーを見た時は飛びっきりの。熱戦続く今年の夏も、間違いなく天国で笑っているはずだ。そう皆が励まされる尾藤スマイルで‼️ ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #高校野球 #選抜高校野球 #校歌 #全国高校野球選手権大会 #スポーツコラム #元アナウンサー #熱闘甲子園 #箕島星稜 #尾藤公 13