#3 読んでもらえる記録を残すことについて考えてみた件
家族に対して「記録」を残すことを漠然と考えていたのだけれども、どうせ残すなら読んでもらえるものを残したい。
ちょっと欲が出てきました。
◆妻はきっと読むだろう
おそらく僕が残した記録などがあれば妻はどんな形であれ読んでくれると思う。
というのも、僕が逆の立場ならば妻が残した記録があればきっと読むと思うから。
大切な人が残したものがあれば気になるし、考え方や意志に受け継げるものがあるなら引き受けたいもんです。
人によりけりだとは思うけど、そういう人を選んだし妻もそれは分かってるはず。
◆娘はどうだろうか
まだ1歳と数ヶ月の娘。
今僕が不慮の事故などでいなくなってしまった際に「パパってどんな人だったの?」といった流れで僕の記録を読み漁るかもしれない。
娘が成人を迎えた頃ならば?
近くも遠くもない微妙な距離感だったり、一般的と呼ばれるような関係性だったら葬儀の直後くらいは触れてもらえるかもしれないけど、その場限りで終わってしまいそう。
何もこれは成人を迎えた頃に限らず物心付いてからの距離感に左右されるんじゃなかろうか。
残念ながら僕自身はきっと後者で両親の記録などには対して興味を持たないように思える。
少なくとも今は…だけど。
◆妻と娘の違い
言わずとも僕と妻は恋愛の延長線上にあって、僕と娘は恋愛とは無関係な位置に関係が存在している。
読み返したり記録を探したりするのは「思い出に浸りたい」という欲求が強いんじゃなかろうか。
そろそろ付き合いが8年目に突入する僕らは人生の3分の1を共に過ごしてる訳で「居て当たり前」の存在。
それが突如失われた時、「浸りたい」「縋りたい」そんな気持ちが出てくるんじゃなかろうか。
もし自分がいなくなってしまってから妻に先に進んで欲しいと思うなら「後押し」する言葉も残してあげなきゃいけないんだな、と思う。
少し話が逸れたけど、僕と娘は始めから親子という関係。
前述した通り、僕自身は現時点で自身の両親の記録があっても対して読まないような気がしています。
もしかしたら娘は違うかもしれないけど、読まない興味ないを前提に「どうしたら読んでもらえるか」と策を練っておく必要がありそうだ。
◆どうしたら読んでもらえる?
記事に置き換えて考えてみる。
「日記」的な記事を読むのは身内(友人知人、恋人など)が大多数。
それも距離が近い人に限ることだと思う。
有名人であれば日常を知りたいと思うかもしれないが。
ならばどんな記事なら読んでみたいと思うのか。
「単純に面白い」
「自分に当てはまることが書いてある」
「知りたい情報が書いてある」
おそらくこんなとこだと思う。
ならば娘に読んでもらえるような記録を残すには
「娘のことが書いてあって、後押し出来る記録」
を書けば良いのではないだろうか。
◆総括
こういった考え方は不純なのかもしれないけど、これも僕自身の考え方であって「旦那(パパ)はこんなこと考えてたんだな」といつか読んでもらえた時に感じてもらえたら良いな…と思う。
読んでもらえたらだけど。