ここらが辞め時と思っていたのに気づいたら宮崎に行っていた謎のオタク
”推し”っていいよな
昨今一般層にも広くその存在が認知され始めた”推し”という言葉。趣味・推し活、などという人も少なくなく、むしろ多くの人間が日々大好きな推しのことを想い、推しに人生を彩られながら生活をしている。そんな文化がもはやスタンダードになりつつある現代だ。
かくいう私にも推しがいる。影山優佳(呼び捨てしてごめん)、昨年までアイドルグループ日向坂46に在籍し、現在は女優・タレントとして様々なジャンルで活躍をする才色兼備の将来有望才能人だ。最近では”元日向坂”という肩書が無くても”影山優佳”単体として世間にも認知され、オタクとしてはとても鼻が高い気分と、「いやぁ、売れたなぁ……」という謎の目線の感情とが混ざり合い、まあなんだかんだ楽しくやっている。そんな自慢の推しである彼女だが、今回取り上げたい話にはまったく関係がない。まったく関係がないからこそ、自分でもよくわからないという話なのだ。本題に入ろう。
遠いなぁ
去る2024年4月、毎年恒例になったアニバーサリーライブ”ひな誕祭”にて、宮崎県宮崎市おける大規模野外音楽フェス、”ひなたフェス2024”の開催が発表された。これは会場であるひなたサンマリンスタジアム宮崎とその周辺を丸ごとイベント会場とした、同県において初の試みとなる一大イベントであり、主催アーティストは名前の通り日向坂46。かねてより縁のあった宮崎の地で、ついに念願のライブを開催することになった。
あまりにスピード決定に驚きながらも沸くオタクたち。私もその会場の中の1人だった。すごいな、ほんとに決まっちゃったよ、それにしても宮崎かぁ…
遠いなぁ。宮崎は遠いよ。先述したとおり私の推しは影山優佳。好きになったのはアイドル時代であるため、在籍当時は所属するグループのことも当然全力で応援してきた。しかしながら彼女が卒業して以降、グループに新たな推しメンは生まれなかった。また箱推しと呼べるほどグループ全体のことが大好きなわけでもなくなった。そりゃ曲が出たらとりあえずは聴くし、近場のライブになら喜んで参戦だってしていたけれど、かつての熱量でミーグリや握手を積むことはなくなったし、どこか冷めた目線でグループを見てしまっている自覚もなんとなくあった。そんなタイミングでの宮崎フェスの開催。めでてぇなあとは思ったが、流石に推しもいないグループのために宮崎くんだりまで行く気力はまったくと言っていいほど湧かなかった。
なんかガチっぽい
そんなオタクの気持ちとは裏腹に、開催決定とともに早速立ち上げられた対策本部は驚くほど迅速かつ真摯にフェス開催の懸念点や問題点に対応していった。この本気度には驚いた。本当にあの人手不足ポンコツ運営でおなじみのSeed & Fl●wer社が関わっているんだろうか。日が進むに連れ県をはじめとした地方自治体側の全面的な協力体制も整えられ、開催されるイベントの規模の大きさとその輪郭とがどんどん姿を現していく。このあたりから少しずつ、自分の心に焦りのようなものがあることに気が付き出した。
やっぱガチっぽい
さらに驚いたのが46時間TVの配信だった。先輩グループではすっかりお馴染みだが、日向坂としては初の試み。そして配信決定の根幹に存在するのはやはりひなたフェスだった。
あー、これはもう完全にフェスのためにチーム日向坂が一丸となって動いている。ひなたフェス。間違いなく今年の日向坂46のメインコンテンツだ。
あー、
あー、
あー……
ついてけないかも
完全に2024年の日向坂メインコンテンツと化したひなたフェス。もしそれに行かなかった場合、自分はいったいどうなるんだろう?
推しが卒業してからも、一応グループのメインの流れにはずっとついてきたつもりだった。しかし、ここで行かないという選択肢を取ってしまったら、今後グループの歴史にも刻まれるであろう2024年最大のイベントをスルーしてしまったら、自分はもうこのグループが進む方向へついていけなくなってしまうんじゃないか。もしかしたらもう、気持ちが完全に離れてしまうんじゃないか。そんな感覚がなぜだかどんどん湧いてきた。
これはまったくもっておかしな話だ。
もう推しなんていないグループ。もう応援する熱量も下がっているグループ。別に置いていかれたっていいはずだ。ファンを辞めたっていいはずだ。それなのに心はどんどん焦りを募らせる。なんだ?お前はいったいなにがしたいんだ?お前はいったい何者なんだ?
およそ人生においてなんの生産性もなく、無意義な自問自答を繰り返すうちに、1つの答えが出た。
そうか、俺はたぶん、自分が日向坂のオタクじゃなくなることが怖いんだ。
エゴ
思えばこのグループを好きになってもう5年以上になる。そんな年月を過ごす中で積み重なってきた”日向坂46のオタク”という要素は、このめんどくさい思考と感情の塊を人間として構成する上で、極めて中心部のアイデンティティになりつつあった。そんな自認が今回のフェスに行かないことで失われてしまうかもしれない。そう考えた途端、怖くて怖くてたまらなくなったのだ。もしこの核が無くなれば、自分はもう空っぽで意思もなく、ただただ時間に流されながら人生を消費するだけのつまらない人形になってしまう。そうとしか考えられなくなってしまった。
冷静になれば、実際はそんなこともないんだと思う。世界には楽しみなんていくらでも転がっている。オタクを辞めたら辞めたで、きっとまた新しい何かに出会い、新しい人生を歩み始める。人間はそうやって年を重ねていく生き物のはずだ。そんなことは分かっているはずなのに、もはや私は日向坂のオタクではない自分の姿を想像できなくなっていた。
これは本当に勝手な話だ。この1年、ことあるごとに「日向坂、もうそんなに好きじゃないかもな」なんて思っていたのに、いざ本当に気持ちが離れる可能性に触れた瞬間、やっぱり自分はオタクでいたいと焦りだす。こんなのものはまったくもってグループへの愛じゃない。自分が自分を守るための保身、エゴそのものだ。ただ自分のために、日向坂という存在を利用しているにすぎない。それでも、エゴでも、惰性でも、私はこのアイデンティティを失いたくなかった。何者でもなくなってしまうのが怖かったのだ。だからこそ、
推しメンはいない。
箱推しでもない。
それでも自分が自分であるために、
私は日向坂46のオタクを辞められないのだ。
で
気がついたら宮崎に来ていた
この辺はもうあまり記憶がない。気づいたら一般発売でチケットを取り、2日目のライブに参加していた。ちなみに前日は所沢にある某蒸し風呂サウナ球場で別アーティストのライブを見ていたため、そこから翌日昼前の便で羽田から宮崎空港へ飛び、ライブが終わったら鹿児島のホテルに泊まって月曜朝イチの便で羽田に帰る。控えめに言ってバカのスケジュールだ。それでも来た。結局私は宮崎に来た。
そこからはもうフェスを満喫した。結論から言ってしまえばとんでもなく楽しかった。数少ない知り合いのオタクと会って語らいもした。当日たまたま知り合った若いオタクと破道の九十「黒棺」の完全詠唱をしたりもした(書いていて意味不明だが本当にした)。神のイベントだったパレードでは写真を撮りまくり、昼飯には地鶏を食らってライブに行った。そしてめっちゃ濡れた。スタンドは濡れないと聞いて無対策で行ったらめっちゃ濡れた。聞いてたんと違うぞおい。どうしてくれんだ。でも楽しかった。
ライブ終了後はローチケで買った大根が虹色に輝いている様子も確認できた。今後の人生において、自分の買った大根が虹色に輝く瞬間を見る機会はそうないはずだ。やっぱりすごいところだ、宮崎は。
帰りの木花駅周辺では全国握手会の待ち時間かと思うくらい待ちぼうけを食らったし、鹿児島のホテルでは死んだように眠りについて、朝食のバイキングすら食べずに飛行機に乗ったけれど、それでも総じるとめちゃくちゃに楽しい旅だった。
これからも
たぶん私は自分の存在を守るために今後も日向坂のオタクであり続ける。あの頃のように胸を張って「日向坂46のファンです!」と言える日はきっともうやってこない。でも、それでいいんだと思う。動機はどうあれ、私は宮崎に行って、フェスを心から楽しんだ。
もちろんまっとうな愛を持ってグループを応援している人たちと自分が同類だなんて烏滸がましいことは微塵も思わない。ただ、愛のあるオタクも、私のように自分のことががよくわからないオタクも、見ている方向さえ一緒であれば、歩む道もまた一緒のはずだ。
ここでしか息ができないと気づいたなら、もう終わりまでここにいたい。何と引き換えてもこの場所を守り抜きたい。これからも僕が僕らしく僕であるために、日向坂46を好きでい続けられたらと心から願う。
2024年9月10日 千円の白菜
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