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後輩が会社を辞めて安心した話

後輩が1月末で退職した。

入社して数年。歳も近く、共通点が多かったことや何となく生きている環境が似ていたことで親近感を感じていた。そんな彼女が退職すると聞いて思ったことは、「やっぱりそうか」ということ。

「コップから水があふれた」

辞めた理由。印象的な言葉だったし、すごい分かると思った。

会社の文化と彼女の価値観が乖離。そして彼女自身も「個としてあるべき姿」と「組織人としてあるべき姿」の狭間で悩んでいた。

悩んでる間に違和感は降り積もり、そして彼女が取った選択が「会社をやめる」ということ。

違和感が少しずつ積み重なり、一見景色と同化し何も変化していないように見えた心のコップが、気づいた時にはあふれていた。

よかったと思えることは、溢れたことが彼女自身を壊さなかったこと。きっと静かにこぼれ、「あ、ついにこぼれたかあ」くらいで気持ちが落ち着いたんだと思う。

新卒で会社に入り、これが社会(社会人)かと思いがら日々を過ごす。最初に感じた違和感に対し正直に向き合いたいが、その反面これが社会というものなのかと自己を納得させようともする。

きっとこれは誰にも待ち受けているステージで、きっとそこでは常に何かしらの選択を迫られ、選び続けなければならない。

初めての環境に身を置き、悩む。これまでの自分と新しい自分(というより新しい環境になじもうとする自分)とが戦い、悩む。答えの出ない問題を何日も考え、何度も決断を取り下げ、そして下した決断。

私はその決断に対し、いいも悪いも分からない。ただ言えるのは、あなたの決断が好きだということ。自分自身で考え決断をしたということが好きだ。自分で決めた道は強い。道を決めることにはパワーがいる。しかしそれでも何かひとつを選び取り、進むことで見える景色は素晴らしいものだと思う。

事実だけ見ればただの「退職」だが、その決断の背景を考えると胸が苦しくなるし、その姿を想像すると愛おしい。

組織に属していると、どうしても受け身でいることが多くなりがちだ。組織に守られていることは楽なので、思考が停止してしまう。上にも下にも、そういった人たちをたくさん見てきた。

安定した環境にいると、不安定な場所へ進む気力は沸きづらい。というか沸かせる必要もない。ただ、安定の意味をはき違えてはいけない。はき違えた人たちは、もれなくゆでガエルになっている。

場の安定は心の安定を生み出し、それがプラスのエネルギーとして言動へ作用していくことがある。何も間違ってはいない。正解はなく、どの選択も正しくあるべきだ。

別に会社を辞めることがいいとは思っていない。ただ、自らの思想と意思と行動力で人生を切り開いていくこと。その姿が好きだ。

彼女が会社を辞めると知って安心した。自分の感じる違和感に正直で、意思をもった行動ができる子だと改めて感じた。

溢れたコップは飲み干せばいい。こぼれた分を救い上げて飲み干せばいい。

最後に彼女に会ったとき、いい笑顔だったぞ。