見出し画像

手渡したい事

初めての投稿になり緊張しています。

最初に、これから私のnoteを読んで頂く皆さんに私が手渡したい事を綴ろうと思います。

距離感について

どうか個々であって下さい。

尊重したいのです。

私は性格的に何でも共有する事にあまり抵抗の無い人に近い感覚かもしれません。好きな人の事は好きと言うし苦手なタイプは距離感を意識します。どちらかというと、私に備わっていない憧れている姿勢だからこそ海外ドラマの様な距離感が素敵でその感覚に近付きたいと深層心理では思っていると思います。
文を書けばつらつら綴れても実際は言葉に出来ないし大勢の中では沈黙に属してしまいがちだし自分の話をする事に苦手意識を感じる。皆と同じになりたいのに皆と違う事にずっと悩んで来たのでここではそれを最初から脱いでいたい。
フォローをしたからフォローを返す必要も無いしスキやイイネに義務制も無い
あなたがあなたの感性で好きな距離感から眺めて欲しい。共感を強いたくないし否定もしたくない。

それぞれの好きな場所で個々で読んで頂けたら幸いです。

言葉にする事の難しさ

人それぞれ皆違う。
価値観も感情の揺れも環境も全てにおいてそんな簡単に「解るよ」なんて言えない事で
それでも自分の経験の中から
「あ、それ解るかもしれない…」
と思う事があると思っていて、そして解ったから何か出来るかと言ったら何も出来ないと個人的には思っています。

私は綺麗な纏まった文章を書くのが上手じゃないのでいつも散文してとっちらかし放題だし結論が先頭で後ろから私が言葉として綴り歩くと先頭の結論も一緒に歩いてしまう癖がある。
主語が抜けてるよとよく指摘されるしディテールを説明しようと必死になるあまり何を説明しようとしていたか解らなくなる事もしばしばある。
今までひた隠して話さないように振る舞ってきた事は回りくどい言い方になる可能性が高い。
受け取り方が千差万別ある中で私のこのような文章で果たして大丈夫なのか不安しか無い。
けれど、その不安をあえて綴ってみようと決意したから下手なりに先ずは綴ろうと思った。

今までと違う日記

今までも日記という形はとってきた。
誰に言われるでもなく自分が殴り書きをしないと自分の考えてる事が解らないしその時どう考えていたか直ぐ忘れてしまうから。
そして何処にどうぶつけて良いのか正確な方法を知らぬまま持て余していた自分の感情のはけ口を日記にぶつけてきた。

言葉を丁寧に選べない感情の爆発は紙のノートに書き殴ってきた。
人との繋がりが欲しくてmixiの日記に書き始めた頃は随分と幼稚で粗末で失礼な事を書いていた。人からの気持ちを受け取れず取りこぼしたままただ自分の感情だけぶつけた結果現在では目も当てられない程のもので大半を削除した。
そして今は殆どTwitterで済ませているし余程の事が無い限り紙のノートもサボっている。
では何故noteをつけ始めたかと言うと、ズバリ「なんてことなの。」に出会って参加していくうちに色んな人達が居てこんなに優しい人達が居てこんなに優しい受け取り方と手渡し方が出来るんだと素直に驚いたから。
今まで自分が必死に隠して隠して生きてきた事が逆なのだと思えた事。自分自身の環境の変化も相まって今まで書いてこなかった事を書こうと決意するに至った。
勿論不安だらけだし本当は隠していた方が楽だと思う。普通を装ってある程度笑っていれば大抵の場面は終わる。でもそれでは自分自身を一番遠ざけていて見て見ないフリをしているんだと思った。自分ともっと近づく為知る為に書いていって今までより更に向き合っていきたいと思った。今だから書ける事を今まで避けてきた事を。
私を綴る事で私を知ろうと努力し続けたい。

上下でなく横に手を繋ぐ事

自分の事を綴るのはとても恥ずかしいし決して自慢に等したくない。

より一層可哀想なのは誰かを決めたくて綴るわけではないし恵まれなかった環境にお恵みが欲しくて書く訳じゃない。

何かをして欲しくて書く訳でも無い。
上下や重い軽いを決めたい訳でも決してない。
ただ横にそっと手を繋げたらちょっとだけ不安を和らげれるかもしれない。
自分だけじゃないんだと知ったら少しだけ安心出来るかもしれない。
手を繋げなくても一歩横に立ってるだけでなんとなく心地良いかもしれない。
だから冒頭に持ってきた様にそれぞれの個々の距離感で、というのはここに繋がるのだと思う。
ハグする程近くても私は好きだしただそっと背後に立ってくれてるだけでも私は嬉しい。
多くの言葉を語れなくてもそっと黙って寄り添う事で充分だと思っている。ただパーソナルスペースが割と広めに取ってあるのが私なので私も人のパーソナルスペースにどれだけ触れて良いのか悩ましく思っていて、アメリカドラマの様な入り方や解し方が得意な方では無い。
相手に手渡すだけで充分で手渡された側はどうするかを自分で決めて良い、その方が私は楽でお互い様になる方が有り難い。矛盾しているけど憧れのポジションにどうしてもアメリカドラマのスキンシップが来てしまう事はこういう人なのだと思って欲しい。
そして苦手であれば無理に距離を詰めないで点と点でなんか言ってるな位に思って貰えたらと思います。

読み辛い文章ですみません。
先ず最初に伝えたかった事を書けた事も今までと違うかなと思えて居て、良し悪しはさておき私の立ち方を明確化する事はきっと意味がある気がしています。
Twitterでも最近は割と好きな様に呟いていて隠す事を辞め始めていますがそれらを纏めて記録していく作業としてnoteを選べた事は新しい1歩だと思います。間違いなくその背中を押してくれたのは優しいゲーム配信とそこに集まる優しい方々との時間を過ごしたから。

先ずは何でもいいから踏み出してみよう、それが成功という実になる必要は無いしする必要も無い。それを自分で決める事はしない。霧の中を歩く様な気持ちだけどやってみよう。

いいなと思ったら応援しよう!