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SFCにおける””何者””コンプレックスについて

SFCの紅葉が色づいて、風景もすっかり衣替えした季節。
あるツイートが秋風となって界隈のTLに吹き込まれた。

「何者コンプレックス」として取り上げられたこのツイートは多くの反響を呼び、SFC界隈で話題になったのは記憶に新しい。今回は、これに対する私の所感を自由気ままに殴り書いてみようと思う。

何者コンプレックスに関する構造分析

何者コンプレックスの発生要因

ぼくは、何者コンプレックスは「承認」ドリブンで発生していると思う。現代の集団コミュニケーションにおいて、「承認」は必要不可欠の要素である。そして、私たちは日々、この「承認」のために集団に応じたキャラを演じている。

SFCという集団においては、このキャラが肩書や活動内容によって説明される。「あの人は○○という会社を起業してやっている」「この人は○○という看板研究会に所属している」等。

入学初期の場合、これらの肩書や活動内容はAO入試勢が多く有していることが多い。これらが一般勢に自身のキャラが無いことを認識させ、キャラの不在意識が「何者コンプレックス」として顕現するのだと考える。

活動者キャラ、無気力キャラ

「何者コンプレックス」を感じたSFC生の生存戦略は大きく2つあると思う。活動者キャラになるか、無気力キャラになるかである。大きく二つに分岐した後、それぞれ詳細なキャラに枝分かれしていく。

活動者キャラを選択した場合は、「意識だけ高い系」、「研究・院進系」、「外部活動系」等の枝分かれが考えられる。

無気力キャラを選択した場合は、「意識低いアピール系」、「アンチ意識高い系」、「嘲笑系」、「お笑い系」等の枝分かれが考えられる。

勿論、キャラは集団に応じて取捨選択が可能なので、個人が複数のキャラを選択することもあり得る。外部で活動をしながら、twitter上では無気力系キャラとして振舞ったりなどがこれにあたる。

何者コンプレックスのそのつぎ

肩書等のキャラ不在による「何者コンプレックス」を感じ、各個人がキャラの生存戦略を確立した後は、徐々にそれから脱却する動きが起こると思う。

各個人がキャラに応じた行動を選択すると、行動によって環境が変り、元々意識していたキャラが前提となる集団へ移行するからである。例えば、起業サークルに入れば、スタートアップやアントレプレナーシップに関するキャラは前提のものとして存在する集団に属することになり、SFC全体から見たキャラが確立するからだ。

そうすれば、承認を巡るキャラ探しから、徐々に目線がやりたいこと・実現したいことなどのビジョンに向いてくるのではないだろうか。

ただし、無気力キャラの要素をメインに選択してしまった場合、この行動自体をとることが難しくなる。だから、この記事を読んでいる人は、活動者キャラをメインに据えてほしいなんて思っている。

コロナ禍で何者コンプレックスを利用する

何者コンプレックスの刺激は減った

引用したツイートのとおり、コロナ禍によって何者コンプレックスに対する刺激は減ったと考えられる。ポエムだが、インターネット上で活動者キャラを観測するのと、リアルで質量を持った活動者キャラと対話するのでは受ける刺激の大きさが違うと考えられる。

ある意味、インターネット上で活動者キャラを観測するのは有名人のツイッターを覗くのに近いと感じる。

人に会おう

コロナ禍で全体的な刺激が減っているということは、自分から積極的に人に会いに行けば全体に対して有利を取れると思う。尊敬している先輩や、凄そうな同期と共通の趣味や話題を見つけてご飯に行ったり、一緒に何かやってみたりしていくこと。プレコロナ時代では普通だったことが、コロナ禍では優位性になっていると個人的には思う。

何者コンプレックスを受けづらくなった今こそ、あえて何者コンプレックスを浴びてみるのも面白いのではないだろうか(ドM)。

おわりに

最初は承認を巡るキャラ探しのために「何者コンプレックス」を感じたとしても、それをうまく利用して、自分で活動者キャラとしてやるべきことをやっていければ、気づいたときにそのコンプレックスは消えていると思う。

その過程で自然とやりたいことや熱中できるものが見つかり、より充実した日々を送れるようになれば万々歳ではないだろうか。

良薬は口に苦し。星川サラの一節とともに筆をおく。


サムネイル画像引用:https://twitter.com/_akakoo/status/1589506831109750784


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