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【論文解説#2】才能か障害か――サヴァン症候群を医学的に解説

 今日持ってきたのは、Original paperって書いてあるんですけどかなりReview論文に近いやつです。このあいだ別の記事も書きましたが、「サヴァン症候群(savant syndrome)」っていうものについて、今のところ研究業界でどういうことが分かっていて、どういうふうに言われてますっていう話をまとめたやつですね。2014年掲載なので、今はここからさらに10年ぐらい研究が進んでるんですが、サヴァン症候群ってかなり論文の出版ペースは遅い方なので、この文章を読むとほぼ今の話に近いことを言ってると思います。


Treffert, Darold A. "Savant syndrome: Realities, myths and misconceptions." Journal of Autism and Developmental Disorders 44.3 (2014): 564-571.


サヴァン症候群は知能検査で分かるのか?

 これは記事の方でも言いましたけど、サヴァン症候群というのは、「何か1個すごく得意なものがある知的障害の子」のこと。これをラングドン・ダウン(Langdon Down)先生が論文に書いて、「idiots savants」と呼んだ。「Idiot」っていうのが「頭良くない」っていう意味なんで、今はそこを削って「サヴァン症候群」っていう言葉で通じるようになったんですけど。そういう天才的な能力を持ってる子がいるっていう話なんですよね。ヤヤ氏はオリヴァー・サックスの本とか読んだことあります?

ヤヤ オリヴァー・サックス読んだことあるけど オリヴァー・サックスがサヴァンについて言及したやつは読んでないなぁ。

 これは『火星の人類学者』か『妻を帽子とまちがえた男』のどっちかだったと思うんですけど(注1)、「数字大好きサヴァン」の双子が出てくる話が私好きなんです。

※『妻を帽子とまちがえた男』の第4章です

注1:神崎

 そういう、「自閉症(知的障害)の子なんだけど一個だけすごい能力を見せる」ってので他に有名なのはカレンダー計算ですかね。これは実例として教員やってる知り合いから聞いたんだけど、「先生は何年何月何日生まれですかって」初対面の人に片っ端から聞いて、「X年Y月Z日だよ」って答えると、曜日を即答するっていう、そういうルーチンを持ってる自閉症の子がいたって。

ヤヤ 結構いるんだね。

 このTreffertさんの文章を見ると、自閉症全体の中でサヴァン症候群が1割ぐらいいるっていうんです。逆にサヴァン症候群持ってる人たちっていうのはそのうち半分ぐらいが自閉症だと言ってます。

ヤヤ 自閉傾向がないのに、著しく生活に支障が出る程度の知的障害? それは自閉症以外の原因によって?

 そもそも「生活に支障が出るぐらいの知的障害じゃなくていい」というのが、サヴァン症候群の今の定義になってるんですよ。だから昔のコテコテの定義だと、例えば知的障害も境界とかじゃなくガチの知的障害が必要条件みたいになってたりしますけど、Treffertさんは「必ずしも知能検査で一定以下じゃなくてもいい」とか言い出してて……もう「じゃあidiot savantって何だったんだよ」って感じなんですけど、このTreffertさんが言うには、「『IQの相場からするとだいたいこんなもんでしょ』っていう水準を大きく飛び抜けたモノを一つ持ってればサヴァン症候群でいいだろう」と。だから、IQ100だとしても、「普通のIQ100の人にはできないレベルですごく得意な何か」があれば「それもサヴァン症候群でいい」っていうのがTreffertさんの、この論文で言ってる見解。そう考えると、自閉症っていうのが昔の「自閉症」から「自閉症スペクトラム(ASD)」になってきてる流れと、似てるといえば似てるんですよね。
 自閉症も昔は知的障害があるのが普通だったんですよね。カナーとかアスペルガーとかっていう、黎明期に論文を残してきた人たちのちょっとした違いによって切り分けてたこともある。つまり、「アスペルガー症候群」とか「アスペルガー障害」っていうのが高知能自閉症群で、それに対して何も断りなく「自閉症」って言った時には主に低知能自閉症群が中心に想定されやすかった。後者は「カナー型」って言ったりもしたんですけど。今は「低知能の自閉症」と「高知能の自閉症」に質的な違いがそんなにあるとは見なされなくなってきた。自閉的な性質、特に社会的能力の欠如と反復性・常同性という性質に着目するときに、IQは必ずしもそれを分断するための本質的な差ではない、ということになって、「スペクトラム」として扱われているわけです。これを踏まえて見ると、サヴァン症候群が、「idiot savant」という低知能を条件とした症候群から、高知能でも凹凸が著しい著しい人たちを含めようっていう変遷は、似た流れと見なすこともできる。

ヤヤ あんまり発達障害とかは知らないけども、なんか「各モダリティに著しい能力の差があると発達障害」みたいな感じにも言われたりもするやん? 例えばIQとして平均したら120くらいだけど、特定の能力だけ150とかあったりすると……みたいな。

 ディスクレパンシー?

ヤヤ そうそうディスクレパンシー。それってサヴァンに含むの?

 それが「何か特定の具体的な能力やタスク」と結びついてればサヴァンと言ってもいいかもしれない。「検査した時だけ」数字としてギャップが見えるだけだとどうかな。人間って検査からできてるわけではないんで。

ヤヤ 確かにそうか、日常生活でないと。

 ちなみに言うと、発達障害を見るためにディスクレパンシーを見てるのは、まぁもしかしたらサヴァンとの相関性を見てるのかもしれないんですけど、あれは実はそんなにエビデンスとかコンセンサスはないです。単に経験則として「発達障害の子はIQテストの群指数の散らばりが大きい傾向があるね」って経験則で言ってる人がいて、それがなんとなく受け入れられてて、半ばエキスパート・オピニオンとして認められてるみたいな。

ヤヤ ある意味、原因でも結果でもなく、もしかすると強く交絡してるだけの……

 その可能性も全然あると思う。

ヤヤ なるほどね。まあ確かにそうだよな、ディスクレパンシー自体は別に障害でもなんでもないからな。

 もし他の能力が100で1個だけ70とかだったら「障害」と言ってもいいかもしれないけど、他が100で1個だけ150だったりするのって「それ障害ですか?」みたいな話だよね。
 ただ、「発達障害?」っていう子の中に普通に「知的障害」っていうパターンも紛れてるので、そういう意味では発達障害外来でルーチンでWAISとかWISCやるのは、まぁ間違ってはいない。

ヤヤ そうだね

 そもそも「知的障害」と「発達障害」ってのも別に背反事象ではないんですけどね。「発達障害の中の最大メジャーグループが知的障害である」っていう見方も生物学的にはできる。単純に「行政が最初に知的障害の支援の枠組みを提供したけど、その中に自閉症とかADHDはあんまり想定してなかったんで、後から拡張された」っていう行政的な都合であって、生物学的には「知的障害」と「自閉症」とか「ADHD」を分ける境界線はそんなに自明ではないかもしれない。

ヤヤ まあそうだろうね。ある意味さ、「認知症」と「アルツハイマー病」みたいな感じで、そういう呼び分けをしてる可能性があるよね。基礎とか病態生理は全然違ってて、単に結果として低知能になる臨床型を持つグループと持たないグループに分かれてるだけっていう。

 そう考えるとサヴァン症候群も、症候群としてまとめる意味があるのかなって疑問は湧くよね。ただ、「サヴァン症候群の半分を占めるのが自閉症合併」っていうことからすると、何らかの共通性があるような気もするし、まとめてもいいのかなと思うんですけど。


サヴァンは生まれつきなのか

 ただ「後天性サヴァン」とかまで言い出すと本当によく分かんないんですよね。

ヤヤ 後天性サヴァンってあんの?

 後天性サヴァンもオリヴァー・サックスさんの本の中には書いてあったと思う(注2)。症例報告として上がってる学術論文はTreffertさんの論文で紹介されてます。例えば髄膜炎(病巣は分かんないけど)とか、あとは銃で撃たれた脳損傷、あとおそらくこれ何かの治療のためだと思うんですけど左の脳の切除とか。

オリヴァー・サックス『音楽嗜好症』の第1章に、雷に打たれて音楽に目覚めた男性が紹介されている。

注2:神崎

ヤヤ なるほど、ぜんぶ脳の器質的な変化がベースになってるわけね。

 基本的にはそうですね。「脳の器質的な変化とか損傷に伴って、何かすげえ得意になっちゃった」っていう人たちを後天性サヴァンと呼んでます。

ヤヤ 最初「後天性サヴァン」って聞いて連想したのは、ちょっと前に流れてきた「博士課程に進むとだいたいみんな精神を病んで、その病み切った末に才能が開花してPhDとなる」みたいな過激なこと言ってる人のことで、そういう「追い込まれた結果開花する才能」もあるんかなと思ったけど。

 今回のTreffertさんの話では「先天性/後天性サヴァン」ってそういう意味合いで書いてないけど、私はそういう環境とのインタラクションとか学習の要素も無視できないんじゃないかなって私は思ってて……つまり「やってみたら自分がめちゃめちゃ得意になるものがあるんだけど、それに巡り合ってない」みたいな。そういうものに例えば10代とか20代で出会ったとしたら、「それってこの人の言い分だと先天性なんですか? 後天性なんですか?」って言ったら、すごい難しいですよね。
 仕事でめっちゃいいパフォーマンス上げてたりする高知能の未診断ASDの中に、意外とそれがいる気がするんですよ。これってサヴァン症候群ともギフテッドとも呼ばれてないけど、先天性でも後天性でもなく「潜在性サヴァン」みたいな。なんかそういう人たちって本当はいるけどスルーされてんじゃないかなと個人的には思ってます。

ヤヤ そうね、なんかそれは結構思う。サヴァンまで行かなくてもさ、なんか例えば今「eスポーツ」ってすごい盛んだけど、もし「eスポーツの100年に一度の才能」という人間が戦前に生まれてたら、その人は一度もその能力が発揮されることないまま死んでったわけやん。で、たぶん同じことってあると思ってて、おそらく「300年後に大流行するスポーツの天才的なプレイヤー」っていうのが今生きてたとしても、その人がその才能の開花を知ることは、もう絶対ないわけん。なんだろうね、こう、当たり前といえば当たり前だし、まあ世界はそんなもんだけど、なんか恐ろしくもあるなって。

 言ってみれば【某頭脳競技の一流プレイヤー】だって、定義的にはサヴァンかもしれない。

ヤヤ まぁそうだよね

 まぁ彼のIQが100以上だとしても普通のIQ100にはあの水準の能力は出ないわけだから、【某一流プレイヤー】はIQが100だろうが120だろうが、「IQよりもはるかに上のパフォーマンス」を出してることは間違いない。そういう意味で、このTreffertさんの一番緩い定義を採用するなら、頭脳分野で1万人に1人とかの成績を上げてる人たちはみんなサヴァンっていうことになっちゃいます。

ヤヤ それで言うと結構いるね。

 そうなんですよ。だからTreffertさんが言いたいのが本当にそういうことなのか、言語化したらそうなっただけで本当はもうちょっとこう、「こういう人たち」っていう何かイメージがあるのか、そこをもうちょっと明らかにして欲しいなと思いながら読んでたんですけど。


社会性を獲得しても大抵のサヴァン能力は失われない

 あとね、さっき「現れる」っていう話をしたけど、逆に「サヴァン性が消失する」っていう人も稀ながらいるらしいんですよね。社会性を獲得するにしたがって、特定の分野について持ってた才能っていうのが、平凡になっていくみたいな。

ヤヤ それって治療とかされてなくても?

 そう、治療されなくても、社会生活に馴染む中で。ただ、一応Treffertさんはそれに対して、「そういう劇的なケースが報告されて注目を集めてるけど、たくさん見てるとそういう人はむしろ例外で、元々持っている飛び抜けた能力は社会性を獲得しても別にスポイルされないのが多数派だから、そんな心配せずちゃんと社会性を獲得しろ」って言ってるんだけど。

ヤヤ このサヴァンの人たちだとさ、能力が「減る」人は稀で、だいたいは「維持される」って言ってたけど、「伸びる」人っていないのかな。「社会性の獲得とともに伸びていく」みたいな。

 これねー、もしかすると言語に関してはあるかもしれないと思うんですよね。ただ「言語のサヴァン」を「サヴァン」と認識できていない可能性がある。

ヤヤ そうだよね。だって「言語のサヴァン」ってさ、つまり言語能力が優れてるから、そもそも他の能力も高く評価されがちだよな。

 その通りです。それって「ギフテッド」になっちゃうじゃんっていう話なんですよね。ChatGPTを見ればわかるけど、言われたことをめっちゃ覚えてるとそれだけでめっちゃ頭が良く見えちゃう。だから、もしかすると、単なる「運動の苦手なめっちゃ賢い子」っていう風になってる可能性もありますよね。

ヤヤ なんかさー、「いる」ね。意外と。


言語のサヴァン症候群?:Hyperlalia

 意外と後半を見ていくとさらに面白いのが、66ページの「hyperlexia I, II, III」ってやつ。「I」「II」「III」っていう分け方はTreffertさんが勝手に分けてるんですけど。神経心理では「hyperlexia」って用語は「言葉をたくさん読んじゃう症状」のことを指すけど、ここで著者が言ってるのはたぶん発達的なもので、「普通の子供たちより文字を読めるようになるのが早い子たちっていうのをhyperlexiaと呼んでいて、さらに「I, II, III」に分類してる。
 簡単に言うと、Iが「健常児なんだけど字を読むのが早かった子」。IIは自閉症群なんだけど、自閉症群の中で言葉を読むのが普通より早い子たちで、ある意味で「言葉を読むことに特化したサヴァン」の可能性もあるんですけど……。「Hyperlexia III」が、これが、「一見ASDっぽいんだけど発達するとASDじゃなくなる子たち」って言ってて……「それ結果論とちゃうか?」って思うんですけどね。

ヤヤ ASD自体がさ、発達ともにちょっとずつ薄まっていかん?

 そうなんですよ。だからこれって、もしかして10年前に書かれたから古いのかなとも疑ってる。「ASD群」の中には、「追跡するとASDを満たさなくなる群」というのが、特に軽症群や高知能群にはよく見られるという話は現代ではほぼ常識になってきてるんだけど、10年前の総説だからそこが反映されてないかもしれないって、この部分を読んでちょっと思いました。

ヤヤ そうか、ASDにこれだけ光が当たってきたのってここ10年ぐらい話だったもんね。

 そうなんですよね。ASDはそれほど低知能ではない例も多いっていうのが分かってきて、「知能とは別のところで鑑別しなきゃいけない」ってなってから有症率も多く報告されるようになってきてるんですけど。そう考えると、サヴァン症候群の合併率として言われる「10%」って、さらに上がる可能性もあるのかなと思ってる。

ヤヤ あるだろうね。思ったより身近、というか、なんかサヴァンっていうイメージだと「飛び抜けた人」っていうイメージがあったけど……

 たぶん一般の人が持ってるイメージって、テレビとかで出てくる障害者のイメージがあって、「自立して生活できないぐらい色々と低いんだけど、でも健常人がどんなに頑張っても普通できないようなことができちゃう」みたいな人だけを言ってるイメージがあるんですけど、もうちょっと身近なものでね。というか、私なんかも、言おうとすればこの「hyperlexia III」に当てはまっちゃうかもしれない。

ヤヤ 読むの早い?

 早いというかね、文字を習わなかったんだけど3歳ぐらいで覚えた。ただ、これはかなりテクノロジーの力があって……「みんなのうた」ってあるじゃないですか。あれって歌と一緒に字幕が流れるんですよね。あれを執拗に見て、音と聞き比べた結果、字が読めるようになったんですよ。ただ、普通の子はそういうふうに獲得しないらしいので、そういう意味ではまぁハイパーレキシアなのかもしれん。

ヤヤ そうなんや。自分はあんまり早くも遅くもなかったな。

 でもまぁ、ここまで緩めると「何を能力とみなすか」っていうところの匙加減次第になってくるかな。さっきヤヤ氏が言ったように、「存在してないeスポーツの才能」とかっていうのは計測できないわけなんで、まあそうなると「何をサヴァンとみなして何をサヴァンとみなさないか」って、かなり恣意的な問題だよね。個体の人間側で決まってない部分もある。

ヤヤ なんかさ、たまにインターネットの「心をふっと軽くすることを言います」系の人たちが言う「どんな人間にも一つぐらいは才能がある」っていうのあるやん。サヴァンの話をさらに拡張していくと、全人類サヴァンっていうことも言えちゃうとかもしれないんだけど、「何か能力を一つ持ってる」って言ったって、その能力が「300年後に大流行するスポーツの才能」とかって言われたら、それでじゃあ明日から何か変わりますかって話だからな。

 本当にね。


サヴァンの先天要因と環境要因

 でも、もっと言うとこの「サヴァンの種」みたいなのって、「一つの物事を、苦労を苦労と思わずに、熱中して繰り返すことができることができる」っていうASD的な性質とちょっと絡んでるのかなと思う部分もあって。

ヤヤ ASDか。ADHDは結構興味が移るからあんまりそういうことはないのかな。

 ADHDとASDは合併率も高いんで完全には分けにくいですけど、でも「ADHDとサヴァンが合併しやすい」って話はあんまり聞かないので、やっぱり「同じものを執拗に繰り返す」っていうASDの性質が何らかの学習に繋がってる部分があるんじゃないかなと思う。
 だってカレンダーなんかさ、あれ人間の都合で作ったもんだから、絶対先天的に知ってるわけないじゃないですか。だからたぶん、カレンダーっていう「あの装置」というか、「あの分割の仕方」っていうのを繰り返し繰り返し頭の中で扱うことで、なんらか普通の人よりもそれを扱う処理が速くなってると思うんですよね。
 音楽のサヴァンなんかもそうで、絵だったらまだわかるけど、音楽って西洋音楽何百年の歴史が作ってきた人意的なものでしょう。あんなものが先天的に備わっててたまるかって思うよね。

ヤヤ うん? どういうこと? 絵のサヴァンって絵が上手ってこと?

 絵のサヴァンは見たものを見たまんまに描けるとか。で、音楽のサヴァンは、例えば一回聴いただけの曲を、ピアノで全く同じように弾けるみたいなやつが一応報告されてる。

ヤヤ まあそんなに不思議じゃないような。見たものをそのまま写真のように描けるんだったら、聴いたものをそのまま弾くのもそんなに違和感ないけどね。

 いやー、和声とか対位法とかああいうものって、かなりコテコテに西洋音楽文化の中で確立されてる様式だから……。

ヤヤ なるほど、そのメロディーとかの複雑さについてちょっと自分は理解が及んでなかった。キラキラ星ぐらいのああいうシンプルなやつを聴いてそのメインのメロディーラインを弾くとかだったらそんなに不思議はないけど、なんとかのフーガとかカノンとかを初見でコピーしたら確かにすげえな。

 そもそも模倣する対象がね、絵だったら自然を模倣するけど、音楽って人工物を模倣してるわけなんで、先天的ではない要素の混入がかなり大きいと思うんだよね。まぁそういう音楽のサヴァンとかカレンダー計算のサヴァンとかを見ると、「才能」ではあるんだけど、環境というか人工物との相互作用で「学習される」要素ってそこそこあると思うんですよね。

ヤヤ 絵のサヴァンってやっぱり風景画の方に偏るのかなぁ。例えば水滴みたいな点がランダムに打たれてるような、草間彌生みたいな絵を見たとして、それを描かした時にその水玉の位置が寸分違わず同じ場所にあったらすごいと思う。

 写真記憶のサヴァンだったらあり得るんじゃないかな。

ヤヤ なんか風景とかさ景色みたいに網膜に映ったものを「オブジェクトとしてはこういう感じだな」って映すのならわかるけど、ああいうノイズみたいなのまで完全再現するならすげえな。

 写真記憶みたいな人たちって、「オブジェクトに置き換える」とか、抽象化して捉えるっていうとこが、たぶんある意味壊れてるんじゃないかなと思うんですよね。なんかね、獲得性(=後天性)サヴァンの中に、「前頭側頭型認知症の獲得性サヴァン」っているんですよ(Miller, 1998; Midorikawa, 2008)。

ヤヤ 壮年期になってからサヴァンが始まるってあるんだ。

 私が読んだ人は、描いてる絵が逆にどんどんリアルになるって(Midorikawa, 2008)。

ヤヤ 意図せずして?

 そうそう。たぶん我々が世界見てる時には、見てるものを適度にオブジェクトに変換して情報量を軽減して受容してると思うんです。その変換による「これって要するに◯◯だよね」っていう「メモリの節約」をしなくなった結果、具体的過ぎる世界になったのではと。

ヤヤ 面白いね。つまり我々は「世界をありのままに見てる」と思ってるけど、実はある程度は捨象されていて、ぶっ壊れると「世界をありのままに見てしまう」と。

 そう、エンコーダーをかませてるんですね。我々だと、抽出して、ベクター画像みたいに頭の中で扱ってるけど、その人たちは網膜が捉えたのをそのままラスター画像のまま保存してるみたいな。


意外と身近にいるかもしれないサヴァン


 サヴァンって本当は総説にするのが難しいんじゃないかなと思うんですよ。存在自体がまず例外なので。

ヤヤ そうね、実際思ってるより多いかもしれないにしても、症例報告で載ってくるのはかなりレアだもんな。

 でも、だからこそ一応こういうね、総説なんかで「サヴァンの一般論」は押さえた上で、もうちょっとその個別例をちゃんと見て議論しなきゃいけないことが結構多いんじゃないかなと思いました。総説を見て、「総説じゃ分からんということが分かった」みたいな。

ヤヤ しかもやっぱり10年あると、サヴァン自体がアップデートされなくても、サヴァン周りのそれこそASDとかがだんだんアップデートされていくから、また新しい総説が欲しいね。っていうか総説で語るんじゃなくてちゃんと丁寧に見ていくのが必要かもしれんけど。

 ということで、「意外と身近にいるかもしれないサヴァン」という話でした。

ヤヤ そうね。なんかいそうだねって思った。

 っていうか医学部とかね、「ギフテット+サヴァン」って未診断なだけで割といると思うんですよね。

ヤヤ あと地方の進学校って結構多いと思う。

 分かる。

ヤヤ 都会の進学校って、都会の親が課金してパーって入ってくるけど、田舎から高偏差値帯の大学とか学部くる人とかさ、なんか無課金京大医学部現役合格勢とかいるからな。「定期テストとZ会だけで来た」とかね。

 絶対なんかいるんだよな。


能力発揮の鍵は社会性かも

 社会性大事よな、やっぱ。

ヤヤ そうね。少なくとも社会性獲得によって能力失うことはほとんどないからガンガン社会性をつけていこうな。

 そう。この総説の中でTreffertさんがめっちゃ言いたいメッセージってそれなんだろうなって思った。「社会性で才能は損なわれないから、お前らガンガン社会性を身につけていけよ!」っていう。

ヤヤ ちょっと趣旨から離れるけどさ、なんか「発達障害の人は人生が10年遅くなる」みたいな言説を目にして、本当かどうか知らないけど、でも確かにさ、普通の人が22歳ぐらい社会に出て社会経験を済んでいくところ、なんか32歳ぐらいから開花していくパターンって結構聞くよね。

 ちょっと分かるかもしれん。

ヤヤ なんというかその、一気に楽になっていくというか、なんか世の中が見えるようになってくるね。

 ちょっとね、「ソレまじり」だなって思ってた人たち、30まで乗り切ると結構自分の人生楽しみ始めてるよね。

ヤヤ うん、そうなんだよ。なんかやっぱりこう、まあ10年っていうのはキリのいい数字だから人によって7年とか8年とかもあると思うんだけど、ある意味「頭打ちが遅い」んだろうね。

 まあそうだねポジティブに言うとそうかもしれん。

ヤヤ 緩やかに社会性を身に付けて能力をブーストさせてきてるんだろうな。

 律速が「社会性」だった人たちっていうのがまあ社会性は流動性知能とかと違ってほぼ何歳まででも単調増加していくからそこで開放されていくのかな



【参照文献】

  • Treffert, Darold A. "Savant syndrome: Realities, myths and misconceptions." Journal of Autism and Developmental Disorders 44.3 (2014): 564-571.

  • Miller, Bruce L., et al. "Emergence of artistic talent in frontotemporal dementia." Neurology 51.4 (1998): 978-982.

  • Midorikawa, Akira, Toshio Fukutake, and Mitsuru Kawamura. "Dementia and painting in patients from different cultural backgrounds." European neurology 60.5 (2008): 224-229.


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