ノークラッシュDEビルド
成功法と正当法は違う。
前者は焼畑農業みたいにあとを残さない。
後者は開拓農業みたいに積み重ねの結果を出すこと。
善で悪を消す事は簡単。
善が悪に対し何も反応しない事で悪は次期に消える。
でもそれは地球の環境破壊と同じ。
瘴気や溜った悪いツケを善をもが負債する事にもなる。
破壊された正常を広げる事になる。
それは善も悪となる。
善は正しさとは別。
善は共存を求め、悪は言動の全てを自己の欲求を原動力とする。
何が正しいとは決められないし、わたしには分からない。
思う事は、わたしは自分がいる場所に思いやりや愛情を持っていたいし大切にしていたいし守りたいということと、そうしていくことをギュッてする事。
固執や執着とは別の自分を広げてくれる自分の一部として。
自分を大切にするには、大切にしてくれてる人や近くにいてくれてる人、そこにあるものを大事にすることが大前提だと思うから。
笑ってて欲しい人が悲しい顔をしていたら悲しいし、そこが治安悪くなれば息苦しくもなる。
そして大切にもしなくなると思う。
なにも出来なくても、いてくれてるだけで心の支えになってくれてる人や場所やものは多い。
でもそれがなくなってしまえば、そこは荒地になる。
いくら大切にしていても空気が流れなきゃ、音がなきゃ、温かさや優しさがなければ、きっとわたしもそこをいつか離れてしまうとおもう。
一緒にいた時間や場所は短くても仮想空間でも夢の中でも錯覚でも妄想でも。
大切にしてくれて教えてくれた温かみや嬉しさや強さを忘れたくないし失いたくない。
綺麗事っていう人がいても、机上の空論っていう人がいても、それを描けないよりずっといいと思ってる。
壊さずに積み上げたい。
時々肩にとまらせてね、
いつでも大好きだから。
らびゅ。