ファッションとは裸の人類が得た「同じ」と「違う」の境界線なのではないか?
はじめに
10月頃に会社で怒られた。
僕のホウレンソウが遅れたことで、実務に支障はなかったが相手のお気持ちを傷付けてしまったようだ。「結婚して子供もいて、人を管理する立場のあなたが会社で1番気を使えるはずだ」と何故か責められた。
どうやら僕は気を使えると思われていたようだ。なんか相手の理想?妄想?はかなり高いハードルじゃん?
相手の用意したハードルを跳べないと怒られる。ならばハードルをグッと下げていただきたい!僕は失敗をする生き物だ。そして良い風に見られたいなんて思っちゃいないそんな生き物なのだ。
人は似ていると感じる人に対して、同じだと思って接してくるなと最近感じる。しかし似てはいるのだけど違うのだ。
いくら同じ人間で、似ている肌の色で、同じ言語を使い、似ている時間に会社に行き、同じ制服を着ていてもあなたとわたしは中身は違う。沢山の同じと似てるを探し集めても違う。
きっと皆んなそんなこと知っているのだけど近いと同じを求めてくる。
今日はなんだかそんな風に相手に同じを求めららるのが嫌になった。だからどうすればそんな相手の先入観を外せるか考えた。
通勤時に録画を聞いている某サロンでの分類の話を聞いてピンときた。相手から見て一目で違うと分かれば良いのだ。一目で同じと分類されないのが楽だ。今回はファッションによるバイアスハックについて。
人類が服を着る理由
人類のスタートは裸だ。
それは今も昔も変わらない。
人類は産まれてすぐに服を着る。
体毛に覆われていない人類にとって服は自然環境から身を守る事ができる必須アイテムだから。
服の機能だけを見れば全人類が裸の上に同じ服を着れば良い。例えば昔ならば草や木の服を着れば良いし、現代ならば全身ユ◯クロを着れば事足りる。
しかし人類は今も昔も多種多様な服を着ている。そしてお気に入りの衣類を身に付けて、ファッションを楽しんでいる。今も昔もずーっと世界中で人ともに進化し変化してきた。
人は服に機能以上のモノを求めている。
部族のファッション、今と昔。
ヤンキーって一目見るだけでヤンキーだなって分かりませんか?それって見た目で、つまりはファッションでヤンキーだと分かるから。
「私がヤンキーですよー」という言葉は要らない。百聞は一見にしかず?自分たちと違うファッションをしていることで、なんとなく自分たちと違うのが分かる。
もし電車に乗っているサラリーマンのファッションをヤンキーにコピペすれば見た目からだけではもはやヤンキーを判断出来ないはず。
この現象は就活生、ヒッピー、ラッパー、金持ち、オタク、ビジュアル系などなど、思い付いたこれらのファッションからもなんとなく相手の事が道ですれ違いざまにでもわかる。自分と違うのが分かる。
ここからの昔の話は想像で書かせて貰うけど、昔の人たちもある程度ファッションで差別化をしていたはずだ。何故ならば同じ木や葉っぱの衣類を着るだけでは自分の属する部族や相手の身分を見分ける事が出来ないから。
多部族を見分けられないと人は困る。
人は群れになり、やがて別の群れと争う生き物だから。敵と味方そして群の長を見分けられないとまともに戦えない。
だから人はタトゥーをしたり、ペニスケースをしたり、泥でボディペイントしてみたり、ファッションで違いを表現したのだと思う。
同じと違うの境界線
民族衣装とヤンキーファッションは同じ構造なのだと思う。
このファッションをすれば我々とあなたは同じですよーとなる。同じなので群れになりやすい。分類が楽。
全員が木や葉っぱ、ユニ◯ロの同じ服だといちいち我々とあなたで「違う」と「同じ」のめんどうな確認作業が増える。会話をしてすれ違ったり、行動が反感を買い無駄なバトルが起こる。
一目見るという超ローコストで誰もが確認作業やバトルをしなくても良いのがファッションの機能の一つだったんだ。
量産型ファッションの社会的大多数の人々はヤンキーを避けることができる。そしてヤンキーも群の仲間は分かるし、ヤンキーは大多数の人々に不要にハードルを上げられることもない。その結果僕のように失敗をしただけで怒られたりしないのだ笑
ファッションの効果は素晴らしい!!
僕とあなたは同じでなければいけないんだという呪いに対して、量産型ではないファッションで外に出掛けて解呪の第一歩にも使えるかも。
また現代人が同じ服装を好むのは皆んなと同じであるということで争いを避ける手段にも使われているのかも。
以上が自分への相手の先入観を外す1番楽な方法がファッションであるという仮説です。
とりあえずロン毛かタトゥーで社会的不適合者感出していきたくなってきた…。
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