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愛を感じる人生とは?人生の彩りが増えるレンズについて

あなたは「愛とは?」
と聞かれてスラスラと答えが出てきますか?

僕は愛についてスラスラと話すのは難しいです。
しかし愛はこうであると断言は出来ないのですが、何か出来事に対して「愛だな〜」なんて感じたりはします

例えば母親がどんなに疲れていようと自分よりも子供を優先して世話をする様や、息子が一個下の妹が泣いているところにやってきて励ます姿を見てグッとくるのです。

そうやって愛を感じるものを見たときに、僕は幸せな気持ちになり体の奥から震えるような喜びが湧き上がります。

愛を感じられない人を見た

愛は誰でも人類が皆同じように感じているのだとそうやって当たり前のように思って30年ほど生きてきた。

ところがプロ奢ラレヤーという、名前の通り人から奢られることで生活をするインターネット芸人が、自身のライブ配信(2020.7)の中で視聴者からの「愛とは?」についてを回答するのを見て、世の中には愛を知覚できない人がいるのを知った。

自分と極端に違う人を見ると、その違いから自分の認知が進む時がある。そういう瞬間が僕は好きだ。

プロ奢ラレヤーの配信を見て自分の価値観が更新されたのを凄く面白く感じたのを覚えています。

「愛は感じなくても世界は美しい」のだ。


今まで僕は愛のある世界は美しく、そして愛のない世界は美しくないとすら思っていた。愛を知覚出来ない人々に対して、愛があることを前提で話すようなことがあったと思う。そんな世界があるのを知らなかったから。

動物と人の見えている世界の違い

愛を知覚してない人に対して、愛を知覚するようにと促すのは、空を飛ぶ鳥や海を泳ぐ魚が人に対して「なぜ空を飛ばないのか?」「なぜ海を泳がないのか?」と聞くようなものだと思います。
翼や鱗がない我々が自由に空や海を行き来せずとも、確かに空も海もある。そしていつだって美しい。

人間と動物や生物の見えている世界の景色が違うというを知っていますか?詳しくはこの記事が分かりやすいのでこちらから

色の識別を人は3原色(赤・緑・青)、鳥や虫は4原色(赤・緑・青・透明(紫外線))で見分けることが可能です。

人は鳥や昆虫のように紫外線を見ることができませんが、人が見ている世界は美しくないものでしょうか?さらに少ない2原色で識別している犬の見ている世界は美しくないものでしょうか?

世界と人のレンズについて

愛を知覚できていないプロ奢ラレヤーを見ることで、僕は知らない視点を知り驚きがありました。
プロ奢ラレヤーは僕が見ている限りは不幸な人でも、世界が醜いものだと見ているようにも思えません。

つまり「愛を知覚せずとも人は幸せでいれるし世界は美しい。」そのことを知れたことで愛を感じるというのは一つのレンズでしかないと気付くことになりました。

人と生き物の目に映る景色がいくら違っていても常に世界は美しく、ある生き物には他の生き物が見えない色を知覚した景色があるだけ。

それがもしかしたら他の生き物よりも彩のある世界に見えることもある。愛を感じることがあればただの事象に感動を覚えることになる。
例えば母親か子にお乳をあげているだけの景色に愛を感じ、世界を一つ彩のある景色として見るように。

僕は世界を愛の見えるレンズで見ている。
また別の人は憎悪のレンズで見ているだろう。
レンズが増えるというのは世界の彩りが増えること。彩りが増えると世界に対して心が動く回数も増えていくと思う。
自分が見えていなくても、他の人が見ている世界がある。
色んな彩りを知り、世界を楽しんでいきたい。

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