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「家族」とは?辞書の意味に物申す

会話をしていると皆んなの認識と、自分の認識が違うんじゃないのかな?と感じる時がある。

社会の多くの人々が「みんな」をしている。
みんなをすることは大多数に含まれること。
今までの歴史の中で大多数に居る人たちが生き残ってきたのだから、みんなをすることは生存戦略の一つ。だからみんなと違うということに嫌悪感を感じる人もいると思う。

みんなの中には僕も確かにいる。いるのだけど、みんなと違うなという僕がいる。
そのみんなと違うというのがじぶん。
「じぶん探し」という言葉があるけど、それはみんなと違うところ探しなのかも。

今日はそんなじぶん探しを「家族」について。

「家族」みんなはどう分類する?

家族、友人、同僚、仲間これらは集団のジャンル分けの名称。家族もその一つ。
辞書でひくと

確かに会話で出てくる家族というのは、お父さん、お母さん、おじいちゃん、お兄ちゃんとかサザエさん的な家で一緒に住んでる人達だと思う。同じ苗字やDNAを持った一緒に住む人みが家族と分類される集団だよね。

でも僕はただ名前や血が一緒だからって自分の兄弟や父を「家族」だなぁと思ったりしてないし、例えば連れ子や養子が居る家庭を見て、その連れ子や養子はその家庭の家族じゃないとは思わない。

名前や血が同じ集団を家族と分類するのは便利だけど、僕はそうやって使ってないんだよなぁ。

「家族」に血の繋がりは必要ない

みんなの家族については分かっている。
でもついその分類について忘れて会話をしていると、あれ?それは家族じゃないでしょ?って感じちゃう時がある。

僕は結婚していて、子供がいる。
子供たちとは血が繋がっているが、奥さんとは血が繋がっていない。血が繋がっていない人は家族ではないのか?いや血が繋がってなくても奥さんは家族だ。それはみんなも僕も奥さんも分かっている。

それから奥さんも子供たちも戸籍上の苗字が一緒。将来娘や息子が結婚して苗字が変わっても僕の家族だ。

つまり名前や血が同じでなくとも家族なのだ。

じぶんの「家族」  

ではどうすれば家族なのか?
僕は家族愛があるかないかだと思う。

血の繋がっていない奥さんを家族として愛している。苗字が変わろうと子供たちを愛せる。

奥さんと結婚してお義父さんとお義母さんができた。奥さんの地元の港町に帰ると漁師をしてるお義父さんは行きつけのラーメン屋さんに帰省の度に誘ってくれる。
2人で自転車に乗って食べに行った時がとても嬉しくて思い出に残っている。
照れ屋で天邪鬼なところがあるけど、いつも奥さんも僕も見守ってくれている。
そしてお義母さんはめちゃくちゃ頼れる。
漁師で家に居ないことの多い旦那さんの代わりに家のことをなんでもやってきたので、なんでも出来てしまうパワフルなお母さん。
細かなことも含めて、もう数えくれない程に僕ら夫婦を助けてくれた。
2人のことが僕は好きだし、奥さんの実家はめっちゃ居心地がよくでリビングでよくぐーたらさせて貰っている。やはり血が繋がっていないけど僕は家族だと思っている。

僕の母は、親の子供に対する唯一の仕事を教えてくれた。弟は俗に言うとグレてしまい、中学生から20代前半まで沢山の迷惑をかけた。
僕や社会がいくら弟を否定しようとも母だけは絶対に弟の存在を否定しなかった。
僕が弟のことをいくら許さないと言っても、1番迷惑をかけられている母は僕が弟を許すようにと言ってきていた。
どのようなどん底にいても世界に自分の存在を肯定してくれる人が居てくれるというのは何よりも力になると僕は思う。これも家族愛だと思う。

僕は自分の人生をできれば愛する人たちと過ごしたいとおもっている。だから自分が知りあって、付き合いのある人たちのことをなるたけ愛したい。好きなところも、嫌いなところも愛したい。血の繋がっていない友人や仲間に対し。それはつまりじぶんの家族になるということだと思う。

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