自意識とnoteとTwitterと

Twitterに書くには長すぎる話をnoteに書いている。

ツイート文が短いほうがかっこいいと思っているから長い話をTwitterに書けず、書きたい気持ちをそのままnoteへ横流ししている。

一度Twitterを経由しないとnoteを開かないから、わたくしはきっとTwitterが無かったらnoteにも何も書かない。

いつからこんなに捻くれた自意識を持ち始めたんだろう。中学生のころにつくったTwitterアカウントは、連投もツイ消しも日常茶飯事だった。身バレの危険も考えず現在進行系の地震の話をしてたし、自慢話に病みツイートにやりたい放題だった。いつからか相互は変わっていって、ある人は年一単位でしか浮上しなくなり、ある人は日常ツイともネタツイともとれぬ所謂ツイッタラーらしいツイートしかしなくなった。みんな段々自我が減っていった。「インターネットの大人」になっていった。私は文末で自ツッコミをしていたし笑うときには「w」を使っていたけれど、それは中学生のやることらしいと気付いてからはやらなくなった。当時だって別に私は中学生だったけれど。
イマドキガールだからインターネット自体は小学生の頃から触っていた。冷笑インターネットは子供の健全な成育に害である。私は小5で厨二病になり、中一で厨二病を馬鹿にする期に入った。中二になる頃には厨二病を馬鹿にするガキを冷笑する期に入ったし、それも過ぎれば鬱病とともに全部グチャグチャになった。
別に「痛々しいを振り返る期」だってもう過ぎたはずなのだけれど、今になってなんとなく「もったいなかったかな」と思うことがある。あの頃に戻りたいなんて微塵も思っちゃいないが、さすがに今あの頃の振る舞いは出来ないなと思うと、別に過去の私がいうほどあの頃の私は悲惨では無かった気がする、という思いが湧いてくる。それでも私は常に更新された私が好きだから、今日の話には本当に意味なんて一つもない。

結局インターネット上での正しい姿ってのはなんなんだろうか。

ないか、そんなもん。

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