おばあちゃんの語るピンとこない幸せ

あなたは今、幸せですか?


突然何かしらの団体への勧誘をしてしまい、申し訳ありません。

ですが、マジで、最近はいろんな真理が"降りてきてる"っていうか、「"気付い"ちゃった」っていうか。
あえて誤解を重ねそうな表現をしましたが(そしてそれには何の意味もないですが)、つまりはあたりまえの日常の大切さみたいなものを感じているわけです。

そして、そんなささやかな幸せに気付いてしまう自分に対して、少し悲しい気持ちになっている。

歳をとって体の自由が利かなくなってきたお婆さんの言う「自分の脚で歩けるのは幸せだよ」という言葉に重みがあるのは、「脚で歩ける」という当たり前を失った当人だからでしょう。

私も最近は、そういう些細な幸せの尊さをひしひしと感じているところです。


例えば、「食事を美味しく食べられる」という幸せ。

おそらく高校に入ってすぐかそのあたりから、これまで好き嫌いの少なかった私は、急に偏食になりました。理由ははっきりとはわかりませんが、なんとなく検討はついているのでご心配には及びません。

とにかく、それまで普通に食べられていたものが嫌いになり、家庭の定番メニューが大部分ダメになってしまいました。

これの何が大変かって、具体的に嫌いな食材みたいなものがほとんど無いことなんです。

例えば「ピーマン嫌い」とか「パスタ全般無理」とかなら伝えやすいですし、作り手側も配慮がしやすい。

でも私は、「出来上がった料理を食べてみた結果ダメだった」とか「いろんな食材をいろんな調味料で調理したものには苦手なものが多い」とか、とにかく言語化が難しくて、人に伝えづらい。大抵はハンバーグとかでない、「名称のない料理」が苦手なんです。

そんなわけで、食卓に嫌なものが一つもない日の、一度も嫌な気持ちが発生しない食事は、すごく幸せに思える。

食欲は人間の三大欲求の一つですから、そこにストレスを感じるのは案外キツい。
美味しいと思いながら食事ができることって、すごく幸せです。

ちなみに食事量が減ったことでダイエットせずに1年で5キロ以上の体重減に成功しました。なるほどね。


他にも、「なんか体調悪いな〜」がない幸せ。

微熱ってマジで厄介だしカスのゲボじゃないですか?

「あ〜あ、熱があれば休めるのになあ〜!」と鼻をほじりながら白目を剥いて宣っていた小学生の頃なら別ですが、そういう気持ちも成長とともに薄れていくもの(私はあんまり薄れていませんが)。

でも、忙しくなると簡単に休めなくなっていって、微熱くらいじゃ平気で登校出勤するようになります。

だから、「休むほどじゃない熱」って本当に最悪。

私はほぼ毎晩「なんか調子悪いな〜」の状態になるのですが、体温を測ると微熱が出ていることがほとんどです。

大抵は37.5未満の軽い熱なんですが、ちょくちょく37.5以上が出るときもあって、そうなると「カ、カス〜〜〜!!」と叫びだしてそのまま頭から風呂へダイブしてしまいます。
そのため毎日首の骨を折って死んでいます。

この件に関しても病院には相談済みで、血液検査までした結果「う〜ん、わからんw」と言われました。様子見でいいらしいのでご心配なく。



今さら感はありますが私は結構身体が弱いです。
と言っても生まれつきの持病とかではなく、単に不健康が災いしているだけの弱さですが。

ご飯をおかわりできる食欲。
毎日シコれる体力。
いや、毎日ぐっすり寝られる体力。

こんな説教じみた話、もっと年寄りになってからしたかった。こんな早い段階で気付きたくなかった。まだ10代なのに…。

小さい頃は、大人の言う「当たり前という幸せ」の話なんて一度もピンとこなかったのに、今は下手したら自分の両親よりも実感してる。

正直、助けてほしい

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