描くことについての話を書いた
先日絵についてのnoteをあげた。あのnote自体は衝動的に書いたものだったが、あそこで書いたことは全て長らく考えてきたことだった。
だから、別にデタラメを書いたわけではない。
あれからしばらくまた考えてみて、色々と思ったことがある。忘れぬようにそれを書き記そうと思う。
該当のnoteの内容は要約すれば、薬で創作意欲がなくなって絵を描かなくなった、それが苦しい。そういう内容。あんなに長々と書いておいてこんなに短文にまとめられることが自分でも驚きだ。
創作意欲が無くなった。より正確に言えば発想力が貧相になった。反面、頭が冴えるようになった。あんなにボーッとしていた頭の中は、常に無数の言葉が駆け巡るようになった。
あらゆる情報は概念として脳内に侵入する。放っておけば頭の中は全てモヤのかかった概念で埋め尽くされてしまって、私の大切な部分が見えなくなってしまう。だから、そうなる前に侵入物は言葉に変換し、モヤを取り払わなければならない。
絵を描くことでモヤを外へ排出していた。
それが、出来なくなった。
出来なくなって、代わりに言葉にして排出するようになった。
要するに、私にとっての絵が単に脳内の吐き出し口としての役割を失っただけなのかもしれない、ということ。
絵はずっと好きで、私の中身は何も変わっていなくて、ただ感情の吐き出し口が絵から文章になっただけなのかもしれないということ。
私は今でも衝動的な絵の描き方しか知らない。昔っから課題はとことん苦手だった。描きたいと思えないものを全く描けなかったし、描かなかった。提出しないなんてザラだった。美術の評定なんていう誰でも取れるもの第一位の項目で、どうして4が、時には3がつくのかといえば、私が絵を提出しなかったから。やりたくないのにやりたくなかった。感情を込めない絵なんて描けない。描けないし、描く意味もない。私にとっての絵はそのためにない。絵が評価されるのも嫌だった。誰だって嫌かもしれないけれど、私の絵はいつだって私のためにあったから、誰に刺さらずともそれは私が私であるために必要な作品だったのだ。そして、私が私の絵を人に見せるとき、それは自己開示の意味を含んでいた。脳内のモヤのかかった概念は絵によって明確な輪郭が与えられ、それはまさしく私の消化し終えた感情そのものだった。
そうして、それをしなくなったことを、私は絵が好きでなくなったと考えていた。だが、よく考えてみれば過去の私は果たして本当に好きで絵を描いていたのだろうか。好きだったけれど、絵を描く理由は「好きだから」では無かった気がする。そうしないと私がダメになってしまうから、だから描いていた。
今はその役割が文章に代わった。今もこうして文を描いては、一文字増えるごとに私の中の輪郭を持った部位が増えていくような感覚に、安心を覚えている。
絵はきっと今も好きだ。
でも、私は衝動性のない描き方を知らないから、絵を描かなくなった。描いてもいいのだけれど、描く必要はなくなった。誰も言葉で教えてくれなかっただけで、きっと大人はみんなこうだったんだ。私はまだ文章を書いているけれど、そのうちそれすらも必要がなくなれば、それは大人になっていくってことなんだろう。
でも、だとしたら、こんなに寂しいことをみんなはどうして「大人になる」の言葉で片付けられるんだろう。常套句の裏側にある本質を、いつも世間は言語化してくれない。気付く頃には今さらなことばっかりだ。皆きっと感情がないんだ。皆きっとどうでもいいんだ。知ったところで何にもならなければ、知る必要は無いのかしら。
絵を描く自分が好きだったのは、絵を描くという行為が創作にあたったからなのかもしれない。
文章は書くけれど、私は別に小説を書かない。詩も書かない。だから文章を書く私は創作者ではない。
他者からの評価を受けない行為はポジティブなアイデンティティにはなり得ない。レッテルがなければ世間にとっての私は何も持たない空っぽの人間で、私は空っぽになりたくなかった。どれだけ私に中身が詰まっていようと、外から観測されないものに名前はつかない。獲得した称号が一つもなければ、それはもう空っぽなのだ。
それでも、そうとわかっただけでも今は良いかと思う。私はこれから自分らしい自己開示の方法を得る必要がある。その方法は絵でなくても良いらしい。
結論の出ないことを書くなど初めてだ。いつもは、書かずとも自分の中で見当がついていることがほとんどだったから。
今日の話は全体を通して啓発っぽくてなんだかかなり気持ち悪い。もうちょっと湿っぽいダンゴムシみたいなことだけを書いていたい。書いていたいけど、もうこれはこのまま放流する。こんな文章二度と書かねえ。キショいから。
衝動性のない絵を書いてみることにする。
noteって毎記事ごとにヘッダーみたいなのをつけられるらしい。よく知らなかったけど。
順番に設定していってみる。のんびりとだし、別に下手だし、全部の絵に意味はないんだけど。でも今までもつけてなかったんだから、別に何でもいいだろ。